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手術体験から  NO 3539

齢を重ねると早朝に目覚めることが多いと言うが、それが本当だということを最近に感じている。

「快い眠りこそは自然が人間に与えてくれた優しい懐かしい看護師である」とはシェークスピアの言葉であるが、彼は「神は我々を人間にするために何らかの欠点を与える」という興味深い言葉も残している。

「人生の黄昏」という言葉の存在もあるが、様々な書物を繙いているともっと若い頃に読むべきだったなという言葉に出会うことも少なくない。

函館に何度か行ったことがあるが、市電の通る道に石川啄木の記念館があり、立ち寄って感じるものがあり、帰阪してから彼に関する作品を読んだら目が留まった一文があった。

「我々が書斎の窓から覗いたり,頬杖をついて考えたりするよりも、人生というものは、もっと深い、もっと複雑で、そしてもっと融通のきくものである」というものだが、石川啄木の生涯について書かれたことが事実とすれば、詩文の才以外は想像を絶する人物観を抱いてしまうものだった。

耳鳴りが続く日々、目も不自由になりつつあるが、杖を手に何とか歩けることに手を合わせている。10年前の同日の「独り言」を紹介いただいているHPがあるが、当時に自分で腹部に異常を感じ、医院で検査を受けたら「そんなことはないだろう」と言われていた先生が、エコー検査の画面を見ながら「本当にあったわ!」と驚かれ、その後に大阪赤十字病院を紹介されて検査を受けた事実があった。

手術を受ける覚悟を決めたのは1年後の春だったが、「机の角に要注意」「前を歩いている人の肘に要注意」「不便な温泉地へ行かないように」と指導され、次のように恐怖感を与えられた。

「大阪市内におられて腹部に激痛を感じたら救急車ですぐにこの病院へ来てください。あなたのデーターは当病院のコンピューターに記録されていますからすぐに手術を行いますが、発症から20分以内であれば50%助かりますが、内部は出血で大変なのでその後が簡単ではありません。それだけは覚悟を」

そんなことを言われて正常で折れる筈はないが、手術の怖さから日々に悩みながら、あちこちへの講演にも気分的に支障があるところから徐々に変化が起き、約1年後に手術を受けることになった。

担当医師に手術を受ける条件として身体に関する全ての検査を願い、何処にも異常がないというところから長時間の手術を受けたが、当日の手術台に自分で上がったので担当医や麻酔医が驚かれたことを憶えている。

手術の体験がないと理解されることはないので書いておくが、手術が終わってから24時間を過ごす回復室内が大変で、そこで精神的な病に陥るケースも少なくないことを知っておきたいものである。

大規模な病院で多くの患者が手術を受け、同室で24時間を過ごすことになるが、点滴の交換を知らせる警報器の音が凄まじく、次から次へと何処かで鳴るので気がおかしくなってくる

意外な誤解  NO 3538

先月に「独り言」の中でアンケート調査に関する問題に触れ、顧客満足度96点や98点などと宣伝している企業は最悪と書いた。特に葬儀という世界は生涯に一度だけの大切な儀式なので、もしも顧客満足度を調査するなら100点でないとおかしいと指摘したい。

つまり、99点という数字はご満足に至っていないということになり、「0点」も「99点」も同じで、「100点」以外は恥ずべき仕事をした結果と考えたいものである。

そんなことを書いたら多くの方々からメールが届いた。特に多かったのは同業である葬儀社だが、「顧客満足度をHPに掲載していたのを止めました」というのが数件あった。

随分昔のことだが、礼節を重視する葬儀という仕事は少しでも礼節を欠いたり忘れたら「0点」と指摘したことがある。司会の技術やイメージに「70点」や「80点」という点数で評価することは可能だが、礼節に関する問題は「0点」か「100点」しかないことを理解したいものである。

著名なミュージシャンである「つんく」さんが喉頭部分の手術で声帯を喪失され、声をなくされたというニュースがあった。

私も6年前に大病を患って声帯の半分を損傷し、しばらく喋ることが不可能な時期があった。大変な苦痛を伴うリハビリを経てコミュニケーションが可能なように回復したが、声質は完全に変化してしまい、それを知らなかった昔に交流のあった人との電話で驚かれることもある。

しかし、変な声になっても喋ることもリハビリにつながるようで、出来るだけお喋りするように心掛けているし、他府県への講演にも出掛けたことが何度かあるのでコミュニケーションとしては通じているようである。

宿泊時にマッサージを受けている時、そんな事実を話すと「信じられない」と驚かれるが、昔の声質をご存じないのでそう言われるが、葬儀の司会に適した不思議な声とも言われていた歴史もあるので運命の悪戯という出来事は大きな試練ともなっている。

全く立つことも座ることも出来なかった闘病生活があったし、歩行器に至った時には右壁にぶつかってしまうような後遺症もあったが、今ではフラフラ感はあっても杖を手に歩けるので幸運だったと手を合わせている。

奇跡ということがあるという出来事を体験している。全く動かなかった右半身が突然に機能するようになったことだが、その時に担当されていたリハビリの先生が「奇跡だ!」と叫ばれたことが忘れられない。

温覚と痛覚に障害のある左半身だが、銭湯で気を付けなければならないのが水と湯を出す際の温度のこと。左手でレバーを作動させて右手で温度を確かめる必要があるからだ。

退院して来た当時に銭湯に行くと不思議な兆候を感じていた。湯船に入ると右半身は温かい温度を感じても、左半身は水風呂に入っているような違和感があり、いつも温めの湯がある湯船をお気に入りとしているが、最近はその差異をあまり感じなくなって来ている。

このページをご笑覧くださる方々に体験したことを正直に書くが、前述の兆候は救急車で運ばれる半月ぐらい前から兆候があったもので、「両手の指先が痺れる」「膝から下が冷えを感じておかしい」「左半身が水風呂だった」「司会の最中に2秒間ほど呂律がおかしかった」こともあり、女性の司会者から「おかしかったです。すぐに病院へ行ってください」と言われたのだがそれからしばらく経った日のこと。午前2時半に就寝したら気持ち悪くて目覚めたのが午前4時半のこと。その時はどうにもならない状態で、病気に対する常識的な判断から疾病の結論を想像したのだが、まさか嚥下障害や声帯に損傷が起きているなんて考えもせず、猛烈な咽喉の渇きからコップ一杯の水を飲んだら気管支に入ってしまい、誤嚥性肺炎で20日間高熱で体験だったことを憶えている。

上記のような異変を感じたらすぐに医療機関で診察を受けるべきで、時間との戦いであることを知っておきたいものである。

ラストラン  NO 3537

惜しまれながら「トワイライト・エクスプレス」「北斗星」などの列車のラストランが話題となっていた。

仕事、旅行で利用した列車の思いでは人生の1ページとして記憶に残るが、その列車が運転されることがなくなることは確かに寂しいことである。

「乗り鉄」「撮り鉄」「録り鉄」などの言葉が目立って多くなった鉄道マニアの世界だが、ラストランが「葬式」と捉えて「葬鉄」という新語も誕生しているのでびっくりである。

「トワイライト・エクスプレス」を利用したことはないが、昔、札幌での講演に行った際に「北斗星」に乗車した体験がある。ネットの中に「北斗星」に400回以上乗車した人の著書のことが紹介されていたが、上野と札幌間で17時間以上を要するので大変である。青函トンネル内を走行している時に現実に戻り、その後の北海道行きは大嫌いな飛行機を利用することになった。

列車内でしか販売していないオリジナルグッズがあり、自分の分を含めて写真の土産に「北斗星」のロゴ入りの懐中時計を購入していた。

腕時計とは違って講演の時に演台の上に置くのが便利で重宝していたが、名古屋のホテルで講演をした際に忘れてしまい、10分後に気付いて戻った時には行方不明となって残念な思い出となっている。

「幸せ列車」のHPに管理人さんが10年前の「独り言」を毎日掲載くださっているが、当時にこんなことを書いていたのかと懐かしく思い出している。

それは「各駅停車」というコラムのページの下段にあるが、ご興味があればご笑覧いただければ幸いである。因みに昨日の「各駅停車」のコラムには、前日のテレビ番組で特集していた皇后陛下のことに触れ、娘様とご一緒に南紀へ出掛けられた際に偶然私もその地に行っており、お2人のお姿を目にすることが出来たことを書いていた。

一昨日の「独り言」で交通事故の悲惨な現実を綴られたご遺族の言葉を紹介させていただいたら、多くの人達からメールを頂戴することとなり、訪問された方々が安全運転につながればと改めて手を合わせた。

列車がラストランを迎えると惜しまれるが、惜しまれなかった元総理が外国に出掛けて批判の的になっている。様々な意見もあるだろうが、世の中には不思議な人もいるものだと考えながら、人は誰でも自分の色の付いたサングラスで世の中を見ているということを再認識した思いがする。

メールマガジンの「まぐまぐブログ」の原稿も打ち込まなければならないが、数本を書き上げた中に神戸の「公詢社」の社長のことを紹介しておいた。随分昔から中身の濃いブログを発信しておられるし、ラジオ番組のレギュラーとしても活躍されている。

阪神淡路大震災の時は犠牲になった方々の中で2千数百名のお世話をされた歴史もあるが、追悼式の担当をしていることもあり、両陛下がご出席された今年の追悼式や交通事故でご逝去された当時の兵庫県知事の「お別れの会」に関しても書いておいた。

ご興味があれば「まぐまぐブログ」からお申し込みを。

強運なのか  NO 3536

振り返れば悪運が強いように思っている。様々な病気になって10回も入院したし、転院が2回あったので12回ということになるのだが、こうしてブログを打ち込めることが出来るのだから手を合わせている。

いつもお世話になっている銭湯の女将さんから「よく入院するわね。でもいつも戻って来るから凄いね」と言われているのだから考えてみれば「そうなのだ」と納得する。

昨日も福岡空港で全日空機が故障で止まった出来事があったし、今日は琵琶湖畔の旅館で火災が起きたニュースもあるが、飛行機、列車、電車、バス、船、タクシーの利用や自分の車や友人の車の助手席に乗る日々の生活の中で、こうして今日を迎えていることはびっくりするぐらい幸運と考えるべきだろう。

交通事故、航空機事故、自然の大災害の被害者のお通夜や葬儀を担当したご仏縁も多いが、そんな悲しみの中で体験する感情はこの仕事がどれほど重要な責務があることかを学ぶことになっている。

涙の成分は血液だと聞いたことがあるが、真っ赤なものが透明となって目から流れ出るプロセスで心身の大きな負担を軽減してくれるメカニズムがあるそうで、「涙は悲しい時に流れ出るものではない。涙は感情が極まった時に溢れ出るもの。人が生きている、いや生かされている証しである」というフレーズにつながる訳である。

これまでの人生を振り返ってみると、運の強さは半端じゃないことに気付く。随分前に他のコラムで書いたことを再掲するが、沖縄がアメリカ統治の時代だった1963年8月に神戸中突堤から関西汽船「浮島丸」2611トンに乗船して沖縄へ向かった。

大阪湾を出る前頃から揺れ始め、高知の沖では立つことも不可能な大揺れで奄美大島の名瀬港まで何も食事をしない状態で到着した。

低気圧の接近で台風並みの強風が吹いていたこともあるが、同行者達は全員がグロッキーになって横たわるしかなく、誰もが「降ろして欲しい」という状況だった。

その後遅れて名瀬港を出港。幾つかの島に帰港しながら神戸から66時間を要して遅れて那覇「泊」港へ到着したのだが、港は大変な状況で大勢の人達で大混乱していた

何かが起きているとは感じていたが、それが那覇から近くの島へ向かう「みどり丸」が海難事故を起こして沈没しており、多くの犠牲者が出ていた。当時の為替は1ドル「360円」でパスポートが必要だった。宿泊に利用したのはユースホステルだったが、戦争の爪跡「ひめゆりの塔」をはじめ多くの慰霊碑なども回った。

「浮島丸」はその後に転売されて「父島丸」といて東京と小笠原間に就航していた。

よくぞ転覆しなかったものだと自分達の幸運を確かめ合ったことも記憶しているが、帰路に乗船した鹿児島までの「ひめゆり丸」は波もなくて快適な船旅だった。

「ひめゆり丸」は前年に尾道造船で進水したばかりの新造船で2640トン。その後に東京航路に就航してフィリピンに売却され改造に至り、火災事故で廃船状態になったが、保険会社が所有していたこの廃船を同じ海運会社が買い取り、大改造を施して定員を増やして客船として就航したが、1987年12月20日にガソリンを満載した小型タンカーと衝突、一瞬にして大火災となり多くの被害者を出すことになった。

海南の事故で知られるのはタイタニック号の1513名の犠牲者だが、この「ドニャ・パス」と命名された船の犠牲者は公式発表で1518名。乗船名簿の義務付けがなかったところからもっと多くの乗船客がと言われていたが、海運会社の発表では4375名だったので衝撃となった。

昭和50年代に入って間もなくの頃、テレビやラジオのCMで流れて注目を集めたのが大阪南港と鹿児島港を結ぶ「さんふらわー」の登場で、13598トンの大きな「さんふらわー11」に乗船した歴史もあるが、この船の末路もフィリピンに転売され、台風の影響から沈没事故に至っている。

考えてみれば数奇な関わりがあることが分かるが、今この世に存在するのだから運が強いのだろう。何度も入院して病室の白い天井を眺めながら学んだことは、病気と寿命が別ものということであった。

業界の変化  NO 3535

NHKの番組「プロフェッショナル」でホテルの「コンシェルジュ」の世界で知られる女性を採り上げていた。

宿泊客の大半が外国人で言葉の対応能力も求められるが、何よりこれまでの体験による情報収集に培われた引き出しの多さが重要だろうし、密着取材の中で起きた様々な出来事に対応される仕事振りは見応えのあるものだった。

その日の夕方の便でアメリカへ帰国する女性がパスポートを紛失し、朝から観光に訪れた先に連絡して協力を要請したら、忘れ物として保管されていたとの連絡があって解決することになったが、日本人が外国に出掛けてホテルのコンシェルジュの窓口で情報入手や何かの依頼をすることがどれほどあるかと考えるとかなり少ないような気がする。

言葉が通じない問題は深刻で、コンシェルジュが片言の日本語しか話せず、単語を並べて英語でやりとりした体験が何度かあるが、早朝の便で帰国するのにタクシーを予約していても「本当に予約されているのだろうか」という不安が生じ、当日の朝のチェックアウトを済ませ、玄関に停まっているタクシーの目にして荷物をトランクに積み込んで出発した時の安堵感は体験された人には理解出来るだろう。

団体での行動が余り好きでなく、ツアーを避けて個人旅行ばかりを体験して来たこれまでだが、言葉の通じない国で不便を強いられたことも旅の思い出の一つである。

コンシェルジュという言葉は、随分前から我が葬儀業界にも登場し、深いご仏縁縁に結ばれる人物の名刺にも肩書として記載されているが、喪主さんをはじめとされるご遺族の方々に着き添って、悲しみの儀式が全て終えられるまでフォローすることから歓迎されている。

最近はホテルを会場とする「偲ぶ会」や「お別れの会」が増え、大規模寺院を拝借する社葬や本葬儀が少なくなったが、それが多かった時代には「葬儀委員長さん担当」や「喪主様担当」の専用スタッフで対応していたこともあり、お喜びいただいていたものだった。

「葬儀は究極のサービス業」「司会は究極のサービスサービス業」「葬祭業はホテルマン以上の資質が求められる仕事」というような持論を業界向けの講演で訴えて来た歴史があるが、ホテル業界が「偲ぶ会」や「お別れの会」に積極的に取り組むようになって、「最もホスピタリティを必要とされるのは悲しみのお客様である」と訴えて来たホテル業界向けの講演も理解されたようで、全国各地の多くのホテルから招聘されたことも歴史して忘れられない。

ネット社会の到来で、ややこしい「葬儀会社紹介ビジネス」が増えている。何処でも紹介しますと謳っているが、依頼を受けてから業者を探すケースが多く、真面な業者なら契約を締結していないというのが世の常で、どんな業者が選択されるかはご理解いただけるだろう。

「幾ら紹介料をくれます?」なんて電話があれば弊社は断るが、断る業者が正常な葬儀社である。ややこしい業者を選択されてしまって後悔されるのは、依頼をされたご遺族にも少しの責任があるという考え方も大切で、車を購入される際に様々な情報を入手されるだろうし、葬儀は1回だけの重要な儀式と考えたら当然そうありたいと願っている。

大手物流グループも紹介ビジネスを展開して派手なCMが目立っているが、業者から高額な紹介手数料を課しているのでその分はお客様に影響するのは当たり前の話である。

ホテルや旅館の予約サービスにあっても同じことが起きており、これまでは大手旅行会社という「リアル・エージェント」が主流だったのに、ネット社会に登場した「サイバー・エージェント」の影響は大きく、20%から25%の手数料がホテルや旅館に課されているところから、各ホテルや旅館のHPを開けたら「公式」という文字が目に留まり、HPから直接予約をして欲しいようなことが表記されていることが多い。

合 掌  NO 3534

イスラム国の一連の事件で様々な意見が論議されていた。新聞、テレビなどのマスメディアをはじめとしてネットの中でも多くのやりとりが行われ、政府の対応に批判する側と擁護する側が激しく対峙する世界もあった。

著名なブロガーが持論を書き込まれるケースも多くあったが、ある人物が日本の仏教に対する宗教観が希薄する中、イスラム社会の信仰に対する行動の具現化が世界中で表面化し、その中の一部が過激派として刃をむけるようになった現実を迎え、日本人はもう一度この国に根付いている仏教のことを考える必要性を訴えていた。

何度も書いているように仏教は「奪い合い」ではなく「与え合い」の教義がある。

過去に何度か紹介している函館の水引細工アート「清雅舎」の「凾館便り」のページにコラム「迷いの窓」があるが、その第一号「公開の日」の冒頭に次のような文章があった。

『あるお寺様曰く、「仏の教えは一つである。山に例えるなら、そこへ辿り着くルート(方法)がいくつもあり、それが仏教宗派となった』

これは仏教宗派に至った経緯を分かり易く説かれた言葉のように思える。先月の末、深いご仏縁に結ばれるお寺の檀家総代さんの本葬儀がホテルを会場として行われた。そこで受付に準備して参列者全員に配布されたのが仏教讃歌「三帰依」のパーリー語原典の歌詞と楽譜だった。他に法然上人がお作りになった「月影」もあってご唱和いただいたが、それによって会場空間が清らかで厳粛な「式場空間」に神変出来ていた。

「三帰依」は「佛・法・僧」のことで、これを最も理解出来ることが聖徳太子制定の「十七条憲法」で、第二条に「深く三宝を敬え」とあることで知られている。

「仏様」「教え」「説かれる人」が「三宝」となる訳だが、前述の社会学者はこの憲法の第一条の「教え」の重要性についても強く訴えておられた。

「以和貴為」の言葉で知られているが、「和を以て貴しとなす」という考え方は、宗教や思想を超越して人々が集まることから何事も始まりがあるということで、他の宗教や民族間の思想の争いを起こす人間社会の「性(さが)」と「業(ごう)」を戒めているとも言えるだろう。

インドの偉大だった指導者「ガンジー氏」の暴力に対する無抵抗主義も崇高な考え方だが、現存されていたら間違いなく現実を嘆かれているだろうと想像する。

タイも仏教の盛んな国であるが、合掌する姿は我が国とは異なっている。掌を合わす際に中央部を少し膨らませるようにするのが一般的で、それは蓮華の蕾を表現していると言われている。

タイで合掌することを「ワイ」とも言うが、同時に掛ける言葉に「サワッデイー」があるが、インドやネパールの合掌とは少し意味が違うことも理解しておきたい。

インドやネパールでの合掌で掛けられる言葉は「ナマステ」が知られているが、「ナマス」には敬礼の意味が込められ「テ」は「あなたに」ということになり、ヒンズー教やジャイナ教でも受け入れられているが、仏教では「帰依」、仏典を漢訳したものでは「南無」となる。

イスラム社会では「アッサラーム・アライクム」が知られているが、宗教の異なりがあっても互いが尊重し合う世の中が果たして訪れるのだろうかと手を合わす。

日本の文化  NO 3533

人生に於ける宝物と言えば人との出会いがあるが、一期一会を言う言葉があっても不思議なご仏縁があると素晴らしい人との出会いは大きな影響を受けることになる。

幸せなことにそんな人達が多くあるので恵まれていると手を合わせているが、このコラムで過日に紹介した函館の「清雅舎」の代表には今でも緊張する存在で、何より日本の文化の匠と称するべき女性である。

弓道、香道、着付け、水引細工、篠笛、篆刻、などの世界に長けておられ、彼女が研究されていた僧侶の装束や法具のHPの内容は多くの人達が研鑽するために訪問する人気のページとして知られており、我が業界の人達では有名なHPである。

そんなHP内にある彼女が一時期にしたためておられたコラム「迷いの窓」が秀逸の世界で、私の数量だけは多い駄文の列記と対角にある内容となっている。

久し振りに訪問してゆっくりと拝読させていただいたが、よくぞこれだけ知識と文才があるものだと驚嘆するㇾベルで心から羨ましく思ってしまう。

弓道のこと、香道のことなど知らないことばかりで勉強になるが、ヨーロッパの酒と日本の焼酎の話題も興味深いし、そうかと思うと難しい専門的な知識の解説があったり、時代劇の裏話が出て来るので面白く、私の紹介から彼女のコラムのファンになった人が多い。

このコラムの中にベルギーに在住され、活躍しておられる日本人女性のブログ紹介があり、辿って行ったら現在も続けられており、また楽しみが増えたと喜んでいる。

「オニオン」さんと称される女性だが、この方も日本の文化に長けておられるようで、「清雅舎」のトップと不思議なご仏縁からメールでの交流が始まったようだ。

ご興味があれば「清雅舎」のHPから「凾館便り」のページを開け、下段にある「迷いの窓」のタイトルの中に「ベルギー」の文字が発見出来るだろうし、号外というページをご覧になれば皆様のご見聞もグローバルになるだろうと想像する。

ネット社会になって昔では感がられなかった便利なツールとなったが、知らなかったら、また目にしていなかったらこんなことにはなっていなかったということもあるのは事実。世界中を震撼させているイスラム国の発信する情報もそうで、単純に感化されて傭兵に憧れてしまって悲劇の現実を知った人達も少なくないようだ。

今日は関西から始まった恵方巻き「丸かじり」の日である。立春の前日なので大晦日として年越し蕎麦を食する慣習の続いている家もあると聞いたことがあるが、願い事をすると同時に今日を迎えている幸運に感謝の合掌をすることも忘れないようにしたいものである。

法の順守  NO 3532

何処の葬儀専門式場に行っても音楽が流れている。式次第の進行にあっても様々なCDが使用され、派遣司会者それぞれが自身で録音したコピーを流していることが多い。

市販されている楽曲を「個人」が楽しむ目的で録音することは問題ないが、「故人」を送る式場で流すために録音することは違法で、それは遺族が持ち込まれて来た「故人が生前に愛されていた楽曲のCDやテープ」でも原則的に法に抵触することになる。

静岡県のライブハウスで起きた訴訟が話題を呼んでいる。著作権協会への未払い問題から提訴され、地方裁判所が原告の訴えを認めて執行官を送り、楽器や音響機器に使用禁止の措置を進めたといのだからびっくりである。

過去に区民ホールでチャリティーコンサートが行われた時の体験だが、プロデュースと司会を担当するところから法に抵触しないというプロの哲学から、演奏曲が決定してから著作権協会に足を運び、定められた使用料を支払って来たが、外国の映画音楽だったのでかなり高額だったと記憶している。

主催が社会奉仕団体で収益は全てを寄贈する趣旨で行ったが、入場料が設定されていると料金がアップするし、会場の広さや収容人数によっても設定金額が異なって来ることも知っておきたい。

当日のリハーサルでのこと。演奏者の皆さんにその事実を伝えたら私らしいと揶揄されたが、法に触れたりお客様から指摘されることはプロの恥であるというのが私の信念。そんな思いを話したら偉く賛同してくれたことが印象に残っている。

弊社の本館と西館の式場にはジャスラックと契約している書類が掲示されている。故人がお好きだったCDを流して欲しいということも多くなっているので不可欠だと考えているが、果たしてそんな契約をしている同業者がどれほど存在しているだろうか。間違いなく数社しかないと想像している。

ホテルや結婚式場でもこの問題がある筈だが、ホテル業界は神経を遣っているようである。

ジャスラックと契約したのは随分前のことだが、しっかりしていると感じたのは契約の自動継続に関することで、毎年請求書が送付され、使用料を支払うと思っていたらさにあらず、銀行の自動引き落としという条件だったからだ。

式場の広さ、月間件数、参列者の予定人数などで使用料が異なっているが、物事をグローバルに考えることは大切で、「大は小を兼ねる」という言葉を実行している。

神道の葬送

明治時代を迎えて「廃仏毀釈」が打ち出されたが、それまでは仏式での葬儀が行われていたことになるが、神式の葬儀が進められるようになった現実はどのように行われていたのだろうかと興味を覚え、随分昔に様々な文献を繙いてノートに記録したことがあった。

神道では「死」に対して忌み嫌われていたところから神社の関係者が葬儀を執り行うこと自体が大変だったらしいが、どのように行うべきかというマニュアル的なものも作成されており、そんな中から昔の資料を抜粋して紹介しよう。

喪主を務める人、葬儀に携わる人は次のような行動をする。(遺族、斎主、神官などを含む)

「衣服を改める」「手を洗って清める」「口を漱いで清める」そして故人の名前を「御霊代(みたましろ)」に書き、故人に対して霊を「御霊代」に遷すと秘かに伝える。

次に「御霊代」に覆いを掛け、こもを敷いた別室にて「東」若しくは「南」向きに安置、朝夕に供物を捧げ、夜は灯明を用い、供物が届けられたら並べる。

東南とは辰巳の方角で、大阪城からその方向に我が生野区の巽が立地して い る。

湯灌は夜の12時を過ぎてから行い、整髪と爪を切ることを忘れないように進め、次に新品の装束を着用させ、枕は「東」、顔は「北」に向ける。

 仏式の場合にはお釈迦様の涅槃の姿のように「頭北面西」となっている。

 エアコンがなかった時代であり、出来るだけ低温の所へ安置し、大きな洗面器のようなものに酢を入れて側に置くという慣習もあった。

 髪の毛、爪、湯湯灌に使用した手拭、整髪に使用した櫛などの用具、また湯灌に使用した盥や桶などは庭の片隅に大きな穴を掘っておき、そこに埋めてしまう。

日が過ぎると遺族と親族は安置されている部屋に入り、柩の中に「入帷子(いれかたびら)」を奏上して別れを告げると共に、故人を納めて愛用品などを一緒に入れる。

柩の蓋を閉じたら密封と防腐を目的に「松脂(まつやに)」などを塗った後、覆いを掛けて葬儀が行われるまで安置しておく「喪屋(もや)」に移し、米、水、塩などを供える。

埋葬のために墓地に穴を掘る場合は、その土地の神様を祀ることから始めなけれならず、穢れに触れていない人が祓い清めてこもを敷き、神坐を設けて供物を捧げて祝詞(のりと)を奏上する。

 ご不幸が発生して葬儀の依頼があって参上すると、仏式で進められるお家でも神棚を祀っていることが多い時代があったが、神棚を半紙などで封印する「習わし」は広く伝わっていたが、「穢れ」という観点からすると遺族がするべきではなく、血縁関係のない人達が担当することになる訳だ。

その後に撤饌(てっせん・・供物を下げること)を行い、穴を掘り、棺を納めるための外箱を準備し、その周囲に炭の粉や灰などを入れて固めるが、先祖からの墓地に葬る場合は土地の神様を祀る儀式を行わなくてもよい。

出棺は夜に門前で庭火を燃やしておこなう、また葬列に関しては松明(たいまつ)、白杖(すわえ)、銘旗と続き、病人、老人以外は全員が歩いて向かう。尚、出棺した後の家は、留守役をする者が竹箒で掃除して払う。

墓地で進めておかなければならないことがある。それは掘った穴の四隅に篝火を焚き、到着した柩を台の上に安置し、筵を敷いて供物を準備する。

 責任者となる立場の者は、手と口を清めた後に拝礼を行い、撤饌後に柩を納めるが、その周囲に炭の粉や灰を入れ、故人の為人を記した墓誌を納め、埋めた後は少し高く盛っておき、そこに墓標を立てて芝垣を巡らす。

 竹か細い木の柱を立てて棚を造り、へぎ板、杉の葉などで屋根を葺き、礼拝して済むことになるが、塚となった状態の上に石を置いて獣が掘り返さないような処置も行う。

 葬儀に「樒(しきみ)を用いることが慣習としてあるが、常緑樹である樒は毒性があり、獣が先天的に嫌うところから埋葬時に山から切って持ち寄ったという説もある。

 「樒」は鑑真和尚がインドから持ち寄られたという説があり、新芽が出て来る時に、それがインドの無熱池の蓮の蕾によく似ているから仏式の葬儀に用いられるとも言われている説を読んだこともある。

埋葬が終わってから戻る時は、谷川なので予め定めておいた場所で榊を用いて身を祓い清め、戻ってから御霊代に礼拝を行う。

それらが終わったら門を閉じ、50日間の間を謹んで過ごすことになるが、喪主以外の身内は30日が通常だが、その地の習俗に準じることが奨励されている。


 喪舎(葬儀まで遺体を安置しておく場所。もがりのみや)がある場合は、戻ると同時にそこに入って忌みこもりを行い、定められた日数を過ぎてから払い清めて着替えて戻る。

 昔は大切な人が亡くなると遺族は山寺などで中陰期間を過ごすこともあったが、これらを行うケースは裕福な家に限られたようで、大半が自宅に戻ってその期間を過ごしていたようだ。

不幸が発生した場合、識者を選んで執事みたいに葬儀に関することを任せる訳だが、書記役を任命して弔問者やお供えものの記録、関係費用の支出など会計全般まで記録を残し、現在で言うところの「故人情報」についても書き記しておく。

神道独特の文字言葉があるので触れておくが、僧侶を「髪長」と言ったそうだし、病気のことを「夜須美(やすみ)」と表現していた文献もあった。

御霊代は「霊璽」を表わすこともあったし、高案を「つくえ」、いれかたびらは「野草衣」と書き、墓誌は「はかじるし」、墓標は「かりのしるし」幸木を「さかき」と読んだそうである。

 明治を迎えるまでの天皇の葬送の儀式は仏式で行われていたことになり、明治天皇から神式となった訳だが、天皇の葬送にあってお柩の輿を担ぐのは「八瀬童子」という歴史もあり、比叡山にもつながりがあり、京都の「葵祭り」にもその装束姿が見られるので検索をされたら勉強になる筈です。

時は流れて  NO 3530

北海道を走る「特急スーパーおおぞら」の全車両禁煙の車内で、喫煙していた人物に車掌が注意したところ、腹を立てて座席のテーブルを壊して警察沙汰に発展し、特急列車が健勝のために93分も停車したというニュースがあった。

おかしな人達が増えているようで、高速道路を逆走した事故も続いている。いつ何処で誰が災難に遭遇するか分からないのも恐ろしいことで、少なくとも今日あることに感謝して手を合わせておこう。

さて、「独り言」のコラムで昨年の師走に亡くなった同業者のことに触れ、その業者におられた番頭さんに教えて貰った昔話を書いたら、過日にその業者と縁のある人物が自宅に来てくれ、番頭さんの奥様が存命されており、「独り言」の内容を伝えたら大層懐かしく喜ばれていたと知らせてくれた。

このブログにも再度触れておくが、その番頭さんは奉書の巻紙に葬儀の見積りをされ、達筆な文字で巻紙に書かれるのだから遺族や親戚の方々が驚嘆されたのは言うまでもなく、実際にその文字を目にしたこともあったが、見事というレベルの達筆で羨ましい思いを抱いたことを憶えている。

昔、書道教室に通ったことがあるが、先生に教えられたことに「綺麗な文字が書きたかったらまずは一文字ずつ正確に丁寧に書くこと。筆順を学び、左右上下のバランス感覚を知るだけで見違えるように上達するから」とあったが、走り書き、殴り書きの多かった私には全く無縁の世界となってしまって後悔している。

昔は葬儀の式場の入り口には故人名を書いた板の存在があったが、最近は板ではないタイプが潮流で、文字も炭の手書きではなくコンピューターによる切り文字のようになっている。

板の時代のことだが、お客様の決められ多予算に合わせて「長さ」「厚み」「材質」などが異なっていたが、最も上だったのは本物の「檜」だった。

カンナで削る技術も重要だったが、何より書き損じをしないようにすることが大切で、板の上に文字を書くということが簡単ではなかったようである。

ある神道の葬儀の打ち合わせに行った時のこと。他府県から来られる先生が日本を代表する書家で、「板だけ持って来て欲しい。こちらで書くから」と言われて午前中に届けたら、午後になって「もう1枚持って来てくれ」と電話があった。

持参したところご本人がおられ、「ちょっとスペースが足りなくなってしまって」と言われたので、板に「押しピン」を刺してバランスを決められたらとアドバイスしたら「なるほど!」と行動に移られたが、完成した字はさすがに別格という風格が感じられるものであった。

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