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祈りの日  NO 3499

過日に話題となっていた「あべのハルカス」がオープンした。当日は私の誕生日だったが、他府県に出掛けており、行った先で前日にケーキで祝ってくれたので恐縮した。  

オープンから3日間で45万人の来場者があったそうだが、それに比べて始まった大阪市長選が盛り上がらない現実が対象になっている。前市長を含めて4人の立候補があったが、説明会の時には13陣営が参加していたニュースもあり、それで各地の掲示板を12名まで可能なように増やした出来事も報道されていた。

詳しくは知らないが、選挙費用として6億円を要するという指摘もあり、厳しい大阪の人達には抵抗感が強いようだ。

公募で区長に就任した一人が立候補予定で辞任したが、加西市の元市長だったその人物は、余りにも盛り上がりに欠ける予想から立候補を断念されたようだった。

最近の傾向で何処でも投票率が低いので驚くが、若い人達に人気の高い前市長なので、浮動票が結構集まるかもしれないが、果たしてどんな結果となるのだろう。

選挙で話題となったのは東京都知事選。ネットの中で投票依頼を応援する候補者名を入れて行動し、公職選挙法に抵触するところから警視庁から指摘されたら、「私は日本人ではありませんので知らなかった」と恍けたそうで批判を浴びていた。

世の中には「お騒がせ」と呼ばれる人達の存在があるが、冗談はテレビの番組だけにして欲しいもの。そんな人物が政治に関する世界に出て来たらマイナスイメージとなる筈である。

明日は東日本大震災から3年目となるが、まだ多くの行方不明者がおられる事実や避難所生活を強いられている人達が存在していることを忘れないように考え、犠牲となった方々に手を合わせながら風化しないように願っている。

都知事選でも公約のテーマの一つとなっていたが、知事や市長という職責に大災害時のリーダーシップという問題があることは周知の事実。そんなことが発生しないように祈りながら仕事の出来る人物が選出されることを願ってしまう。

昨秋に北海道に講演に出掛けたが、その帰路に立ち寄った東北の地で聞いた震災時の体験談の現実は想像を絶する恐ろしさで、多くの幼い子供から高齢者まで巻き込む自然の猛威に、この世に神仏は存在しないのだろうかと無常観さえ感じてしまった。

そんな中で被災しながらも健気に復興に向かって取り組んでおられたご夫婦にも会った。不思議なご仏縁に結ばれて立ち寄った気仙沼の「なにわのたこよし」さんというたこ焼き店だが、1月の土曜日のテレビ「人生の楽園」で紹介されていたことはこのブログでも紹介していた。

昔の記憶に残っていた醤油味のたこ焼きの話をしたら、それに取り組んでいる様子が番組の中でも採り上げられていたし、実際に立ち寄って「美味しかった」と書き込んでくれた人もあった。

昨日の「幸せ列車」のコラムにアンパンマンのことを書いたが、弱者に手を差し伸べるのは人の世の大切なことである。弊社でも月間に何軒も奉仕となる仕事も担当させていただいている。それらは同業他社が断ることでますます増えて来るように感じているこの頃だが、銭湯で持参したタオルを見ると「気仙沼プラザホテル」とあったので、我が大阪は恵まれていると改めて感じた。

環境汚染の危惧  NO 3498

昨日の水曜日に発信しなければならない有料メルマガ「まぐまぐブログ」だが、「まぐまぐ側」のシステムの手違いから今日の未明になってしまったようで、ネット社会の意外な盲点を知ることになった。

ネット社会に関して衝撃だったのは「ビットコイン」の問題で、心配されていたリスクが表面化したみたいで話題になっているが、それでも大丈夫と断言する組織側の発言もあるのでどうなるのだろう。何やら「ビットコイン教」みたいな信仰のような感じもしてしまう。

我が大阪市長が失職する期日になった今日だが、公募で選出されていた北区長の辞職に続いて城東区の女性区長も辞任するような報道があり、これもどうなっているか理解し難い状況である。

そんな中、各区の区民への対応を民間会社が調査した結果で、昨年にブービーだった我が生野区がトップにランクされたというニュースがあった。ここも公募で選ばれた区長の存在があるが、不名誉なブービーにショックを受け、プロジェクトチームを結成して取り組んだ結果のようだった。

そう言えば、昨年に所用があって区役所に手続きに行ったが、その時に高齢者に優しい対応をしてくれると思っていたが、その背景にそんな取り組みがあったことを体感したみたいだ。

そうそう、その帰路に役所の横の道で財布を拾い、通り掛かった女性と二人で近くの生野警察署に届けた出来事もあったが、その日の内に落とし主が判明したので安堵したが、拾い主の当事者である私は権利放棄をしたことに担当窓口の方が驚かれていたことも印象に残っている。

ニュースを観ていたらNHKの会長や委員のキャスティングに対する批判が強いようだ。会長の恍けた発言もびっくりだったが、委員全員に辞表の提出を命じ、それは委員としての覚悟と責務からだなんて答弁をしていたが、人は40歳になったら顔に責任を持てと言う言葉もあるが、恍けた人生を過ごすと恍けた顔になるので気を付けたい。

昨日の「PM25」の状態は酷いものだった。東北まで影響があったようだが、原因に関して積極的に取り組まない中国の現実を考えると、今後いよいよ深刻化すると覚悟しなければならないが、中国の国民に気の毒な思いも感じる。

北京を訪問中のスウェーデンの要人が「環境は最悪」と発言して話題になっていたが、世界の工場と注目して中国へ工場進出をした日本の企業も考えなければならないだろう。現地に出張させる社員の健康を考慮すれば問題があるし、北京に宿泊して来た友人や知人達全員が外出出来ない状況だったという体験話も聞いたが、果たして改善する行動が始まるのだろうかと懸念を抱くこの頃である。

思い出したこと  NO 3497

昨日、名古屋で衝撃的な事故が起きていた。名古屋家のすぐ近くで車が意図的に歩道を走行し、多くの被害者が出たという出来事だが、「誰でもよかった。殺したいと思って」と供述しているのだから普通ではない。巻き込まれた人達に理不尽な怒りが込み上げておられるだろうと想像する。

現場となったところは何十回と通ったことがあり、自分が被害に遭遇しなかったことに手を合わせているが。いやはや災難とは本当に「いつ何処で」被害者になるか分からないもので今日あることは幸運の積み重ねだと実感している。

BSのテレビのCMで司会や映画評論で知られる「浜村淳さん」が起用されていた。それは過去にも書いたことのある「にんにく卵黄」のCMで、前に触れた時は指宿のホテルの女将さんが起用されていた時だった。

「浜村淳さん」は私の一回り上の年代で、もう78才を迎えておられるが、「有り難う浜村淳です」のラジオ番組を40年も続けられているので凄いことである。

浜村さんが司会をされていたテレビ番組にゲストとして何度か出演したことがあったが、生放送の始まる1時間前の打合せ時に「この問題には触れるべきではないのでは?」と言うと「そうでしょうね」と同調されていたのに、本番の中でさりげなく触れて来られるのでいつも苦労していた思い出がある。

私が呼ばれるのはもちろん「葬儀」に関するテーマだが、伊丹十三監督作品で話題を呼んだ映画「お葬式」に関する月刊誌の対談でご一緒したこともあった。

企画をされたのは浄土真宗本願寺派の「御堂さん」という月刊誌だったが、対談の場所は北御堂で「映画を観てください」という条件から難波の劇場に行ったことも憶えている。

対談の企画で構成されていたのは浜村氏が映画評論家としての立場。私は葬儀社としての立場。そしてご主人を送られた遺族の立場からボヤキ漫才で知られた人生幸朗師匠の奥様「生恵幸子さん」が来られており。テレビ局のプロデューサーであり住職でもある本多氏がまとめ役となっておられた対談だった。

それからかなり年数が経った頃、また不思議なご仏縁で浜村氏が私のことをラジオ番組の中でとりあげられていたそうだ。「そうだ」と書いたのには理由があり、これはその番組を聴いていた私の友人や知人から教えられたからで、その話から大凡の内容を知ることになった。

その日の新聞の社会面のトップ記事に私のことが掲載され、大きな顔写真まであり、その記事を読まれた浜村氏が番組の中でその出来事を紹介されたというものだった。

我々葬儀社が新聞記事に掲載されるのは悪いことをしなければ難しいが、弊社は新聞の一面にカラー記事として採り上げられたことや、前述のように心温まる話として社会面のトップ記事に採り上げられた歴史があり、それは弊社の誇れること。そしてこれまでの人生の中の「生かされた証し」の1ページとして心に刻んでいる。

あの頃は  NO 3496

京都で信じられない出来事が起きていた。身体の不調を来して救急車を依頼したら、やって来た救急車の隊員が「死亡しています」と帰ってしまい、その後に法的な立場で鑑識を担当していた警察官が死んでいないことを確認して、救急車を手配して病院へ搬送されたが命に別状がなかったらしいので幸いである。

これも典型的なヒューマンエラーを物語る出来事だが、搬送されたのが2時間後ぐらいだったというのだから衝撃であり、こんな事件が二度と起きないように願っている。

さて、ミュージカル映画の名作として語り継がれている「サウンド・ミュージック」だが、その原作のモデルとなったトラップ家の次女が99才で亡くなられたというニュースがあった。

第二次世界大戦の最中、ドイツに侵略されるような状況の中での物語だったが、主演をしていたのは「ジュリー・アンドリュース」で、彼女は3オクターブの以上の美声の持ち主と言われていた。

この映画が公開されてから間もなくのこと。彼女が来日、各地でディナーショーなどが行われていたが、我が大阪のホテルでも企画されていたが、そのチケットが10万円で驚いたことを記憶している。

3万円程度なら行っていたかもしれないが、10万円となれば限られた人にしか行けないレベル。ちょっと悔しい思いを抱いたことが懐かしい。

「ドレミの歌」「エーデルワイス」が挿入曲として知られるが、メインテーマの旋律と彼女の歌声が強烈な印象として焼き付いており、サウンドトラック盤のレコードが今でも我が家に存在している。

物語はオーストリアからスイスを経てアメリカへ逃れたとなっていたが、トラップ家はアメリカに着いてからホテルを経営していたと伝わっており、次女が亡くなられた地もアメリカだった。

今ではシンセサイザーが存在しているし多重録音は誰にも可能となっているが、私の青春時代に購入した録音機材はオープンリールのシステムで、俗に謂われる2トラックで、テープの半分ずつで左右のスピーカーから流れる音がコントロール出来た。

そんなところからまずは伴奏だけ吹き込み、それを流しながらメロディを録音してから楽しむなんて今では考えられない収録遊びをやっていた。

その後にカセットテープが登場してびっくりしたが、当時の車のオーディも8トラックのテープが主流で、「カー・ステレオ」という言葉で呼ばれていたが、デジタルの世界になってCDやDVDが誕生するとは想像も出来なかった時代であった。

音楽のこと  NO 3495

今日の号はちょっと長々と続くが、耐えていただきながらご笑覧を。

昔のテレビの歌番組の司会で「名文句」とされていたのが「玉置宏さん」の「歌は世につれ 世は歌につれ」だが、この言葉は紅白歌合戦の司会を担当された国民的アナウンサーとして知られていた「宮田輝さん」も時折に語られていた。

その時代にラジオやテレビが流れて来るヒット曲、その旋律が耳から入って心の扉を開け、何時しか記憶の引き出しに収められることになり、何年経っても耳にするとその当時のことが思い出されて来るものである。

大切な方の大切な最後の儀式に、故人がお好きだった曲を流すことも増えたし、ご遺族が「いつも聴いていたCDです。闘病生活を過ごしていた病室でも聴いていました」と持ち込まれるようなことも多くなった。

数日前、毎週水曜日に発信している「まぐまぐブログ」の原稿を数本分書かなければならず、一本のテーマにそんなケースでの著作権問題について書いておいた。

お客様が「流して欲しい」とご要望されても、厳密に言うと著作権問題に抵触することになり、我々葬儀社はその対応をクリアしておく必要があることになる。

「作詞」「作曲」「歌手」「音源」などの権利を法律に基づいてガードしているのが著作権協会だが、知的所有権に関して認識するのは文化国家の原則であり、それらはプロの世界では常識と言われているので中国社会の現実は文化国家とは程遠いと言えるだろう。

これまでに多くのブライダルや葬儀の司会者の指導をして来た歴史があるが、著作権フリーとなっているもの以外を演出として使用する音楽に関して著作権に対する意識が想像以上に低く、そのことを教えると「知らなかった」という言葉が飛び交うのが現実だった。

ブライダルの司会者でも新郎新婦が用意されるCDを流されるケースもあり、入場、ケーキ入刀、色直しなどそれぞれを考えられ、数曲を1枚のCDに収録されて来るケースもあるが、自分で楽しむ範囲なら可能だが、披露宴で使用するとなれば演出活用となり、コピー収録したこと、使用したことの両方が抵触することになるので気を付けたい。

昔、大規模なチャリティーコンサートのプロデュースと司会を担当した際、映画音楽が中心だったのでジャスラックの事務所に行って申請を済ませ、著作権使用料を支払って来たことがあった。

プロとして法に抵触することはしたくないし、もしも指摘されることになったら恥ずかしいからである。

大手のホテルのバンケットルームなら、ジャスラックと年間契約を行っている筈で、部屋の広さや収容人員によって契約料金が異なるシステムだが、そんな会場で演出に使用する場合の制限があり、自分でコピーしたCDやMDは一切使用出来ず、市販されている現物という条件が付加されている。

作詞者、作曲者など有権利者に許可を申請するのが大変なのでそれらを一括として窓口となっているのがジャスラックなのだが、中には使用不可という楽曲もあるそうだ。

弊社では、葬儀式場のオープンと同時にその対応を進め、お客様が持ち込まれる現物のCDなら可能となっているが、そんな対応をしている葬儀社は全国に数えるほどしかないのが現実だろう。

著作権の問題で知られているのは映画「ローマの休日」で、オープニングタイトルとエンドロールに著作権に関する表記がなかったことから、制作公開された1953年当時のアメリカの法律から「権利放棄」と判断され、俗に謂われる「パブリックドメイン」となっていた。

それから50年が経った2003年、待ってましたのように日本国内の各社がDVDで販売を始めたが、パラマウント社が侵害していると提訴。やがて最高裁の判決で国内法の50年経過ということからパブリックドメインと下された歴史がある。

また、音楽著作権に対して欧米諸国では死後70年間という法があり、各国との法律の異なりで問題になることもあるようだ。

クラシックの世界で有名なのは、ショパンが遺言で未発表作品を焼却するように弟子達に命じたが守られなかったことや、マーラーの交響曲「復活」は、第一楽章と第二楽章の間で「5分間」開けると指示されていたそうだが、「白けタイム」になると無視されたケースも語り継がれている。

特筆するべきなのは交響曲「惑星」のホルストで、本人と遺族の意思から編曲やオーケストラの編成の変更、そして抜粋演奏が禁じられていたことも有名で、人気の高い「ジュピター(木星)」だけ演奏するのが難しかった歴史がある。

私の人生の「生かされた証し」として葬儀専門音楽CD「慈曲」を監修したこともある。収録されている10曲の内1曲だけは私の作曲だが、有名だった読売テレビの「宗教の時間」で特集され、作曲者と私が出演したこともあった。

その収録曲の中に「時空を超えて」という曲があるが、これは悲しみの皆様を慰めたり癒したりする目的で作曲者が心を込めて描いた旋律で、そのテレビ番組の中でも採り上げられていた。

不幸でないように  NO 3494

高級葬儀のコラムの更新は継続しているが、このブログの更新は久し振りである。

「コラム 独り言」や「幸せ列車」のコラム「各駅停車」。また毎週水曜日に発信しているメルマガ「まぐまぐブログ 久世目線」の存在もあり、出来るだけ無理をしないようにしているが、時折に更新しておかないとご訪問くださる方々に申し訳ない思いがする。

今日は、午前中は幹部社員と2時間ほど過ごした。彼がある資格の必要な人達に向けてのセミナーの講師を担当することになり、参加される方々が参考になる話題についてアドバイスをしておいた。

全国的に葬祭業者や関連する組織団体がセミナーを開催しているが、「終活」の新語が生まれた潮流の中、そんな大半が業者の囲い込み戦略となっている現実があり、社会問題になっている「オレオレ詐欺」の被害者が存在するように、騙されてしまう人達が少なくないので警鐘を鳴らす必要があるようだ。

悪質な囲い込み戦略の特徴は、同業他社の悪口を中心に、受講される方々に恐怖感を与え、自社が素晴らしい葬儀社であるようなことを演出しているが、そんな業者の被害に遭って二重の悲しみになることのないように願っている。

これまでに全国で講演やセミナーの講師を担当して来た歴史があるが、心掛けて来たことは葬儀の意義や「家族」が「遺族」と呼ばれるようになって陥る悲嘆の問題の訴えで、受講者は葬儀社団体、教育団体、ブライダル司会者団体、ホテル旅館経営者団体、ホテル支配人団体、宗教者団体、消費者団体など様々な人達であった。

今日もそんな講演体験の中で参加者から歓迎されたテーマを幾つか伝えておいたが、果たしてうまく務められるだろうかは別として、貴重な体験となることは大歓迎である。

多くの人達の前で話しをすることで自分自身が学ぶことになることも多く、そんな体験が次々に相乗効果とつながって話題のテーマがグローバルに拡がって行くものである。

葬儀の仕事に従事する者は、この仕事がビジネスであると絶対に考えるな。葬儀に携わる者は悲しみを理解するように努め、プロという立場でホテルマン以上の資質が求められる世界があり、なぜなら究極のホスピタリティが重視されるのが「悲しみ」に接することだからである。

この業界の人達に伝えてきた中に「経営者は宗教者たれ」「葬儀社に従事するなら宗教者たれ」ということがあったが、若い人達が「ベテラン」と呼ばれる年代になって初めて理解出来ましたと言われたことが多くあった。

そんな思いに至ったのは、葬儀という仕事は「不幸な人達に少しでも不幸でないひとときをプレゼントする」という考え方があるからで、それは人を幸せにしなければならない宗教者に通ずることからである。

社会の結界  NO 3493

先月の18日に放送された「人生の楽園」で採り上げられていた気仙沼の「なにわのたこよし」さんだが、昨秋に行って再会した際に提案した「醤油味」のたこ焼きを、深いご仏縁に結ばれる人物が気仙沼に立ち寄った際に試食して来たようで、「幸せ列車」のコラム「各駅停車」のコメント欄にメッセージを書き込んでくれていた。

我が大阪も昨夜から雪が降り、日付が変わる頃に真っ白に雪化粧し、いつもより明るい感じがしていた。

四国や中国地方も積雪で高速道路通行止めが多く、東海道新幹線も1時間前後の遅れが出ているという報道もあったが、低気圧の影響は中部地方から関東や東北に及び、気仙沼の雪景色を想像しながらご夫妻のご健勝とご多幸を祈念している。

大学の入学試験の開始を遅らせるたり、様々なイベントが中止を余儀なくされていたが、全国で行われている冠婚葬祭に関して大きな影響が生じたと想像し、航空機の欠航などで間に合わなかった方々の心情を拝察申し上げている。

ニュース映像の中に積雪でタイヤが滑って発進出来ない光景があったが、そんな場合に教えて貰ったテクニックがあるので書いておこう。

積雪の状態から発進する時、ノーマルタイヤでは空回りさせてしまうこと避けなければならず、そうならないようにサイドブレーキを半分程作動させるのも知恵であり、それを知っていて幹線道路のレストランから私だけが発進出来たこともあった。

また、タイヤチェーンを装着する場合も同じで、チェーンを被せてからタイヤを半回転させる時にも有効で、空回りしてツルツルにしてしまったら全く動けない状態になるので気を付けたい。

明日は東京都知事選の投票日だが、積雪の影響で投票率に影響が及ばないことを願っているが、過日に放送されていた民放の番組に4人だけの候補者を招いて討論させていたのを観ながら、他の候補者への呼び掛けもあったのだろうかと疑問を抱いた。

「届け出順に」というコメントを耳にしたこともあるが、平等性ということからすると不公平になるだろうし「主な4人の候補者」という表現もおかしな感じがする。

さて、今日も我が家のポストの中に葬儀社のCMがポスティングされていた。宣伝には様々な方法があるが、抵抗感を抱いてしまう人も少なくなく、間違いなく取り返しのつかない悪いイメージを与えることになるので考えるべきだろう。

数日前、インターホンが鳴ったので画面で対応したら冠婚葬祭互助会の女性セールスで、当分ありませんからと断ったが、それからしばらくして近所を歩いていると、一人の女性がある家の玄関にあるインターホンを押している光景を目にした。

その時のやり取りが聞こえたので書いておくが、「どちらさん?」「互助会ですが」「何の話?」「お葬式の式場ですが、内覧会のご案内に参りました」「縁起でもない。結構です」と、かなりご立腹の対応がされていたみたいだが、そんなセールスを展開させる発想は理解出来ないことである。

私の哲学の中に「100分の1理論」というのがあり、これは、99人に宣伝が伝わっても一人を間違いなく敵対関係にしてしまい、その人から広がるイメージダウンは想像以上のもので、悪質な業者や経営危機になっていると判断されることも考えられる。

今の社会は「何でもあり」という風潮があるが、やってはいけない「結界」というものだけは残したいもので、そこに日本人の誇りと文化があるように思っている。

思い出が形見に  NO 3492

大阪市内の住居の17%トが空き家だそうで、我が生野区は21%で第1位、第2位が20%の西成区というニュースがあった。

生野区と西成区の一部は戦時中の空襲被害が少なかったからだそうだが、崩壊寸前の空き家や、粗大ゴミを捨てに来るケースも多いそうで、不審火事件も発生しているところから様々な問題が表面化している。

そんな中で気になったのは、近所の人達が心配になって役所に要望していたことで、役所が権利者を調査しても見つからないことも少なくなく、見つかって対処を伝えてもそのまま放置されている問題だった。

解体するにしても費用が掛かることも事実だが、条例が適用されて一部の補助金規定があるそうで、一度は確認をされるべきだろう。

さて、日本で一番長い商店街として知られる天神橋商店街の自転車通行が規制されたニュースもあったが、知っていても走行している人達のインタビュー光景に簡単ではない複雑な思いを抱いた。

弊社の式場である西館のすぐ近くに源ヶ橋から林寺、生野東、舎利寺、田島に抜ける1キロぐらいの商店街があるが、五つの振興組合が組織されている中、自転車通行に関して随分前から啓蒙していた歴史があるが、今でも走行している人達が多い。

自転車と歩行者の衝突事故で、重傷のケースやお気の毒に亡くなられた出来事もあり、民事裁判で「5000万円」や「1億円」の賠償というニュースもあったが、保険に加入している自転車は数少ないと思われ、いつどこで加害者か被害者になるか分からないので気を付けたいものである。

全国的に商店街の空き店舗の問題が浮上している。近くの商店街でもシャッターが下りたままというところが増えているが、後継者の問題や大型スーパーやコンビニの登場で閉店した店舗も多いそうである。

活性化について様々な取り組みをされているようだが、その解決策はなかなか難しいようで、このままではどうなるのだろうかと心配している。

生野本通商店街もかつては賑わい、自転車で走行するなんて出来ないぐらいの人通りがあった。「三丁目の夕日」の時代には午後10時過ぎまで開店していた店舗もあったし、源ヶ橋と疎開道路の間には公設市場も存在していた。

そんな商店街を歩くと最近に目立って多いのが整骨院で、次々に改装していると思っているとオープンするので高齢社会を改めて認識させられるが、そんな私も過去にはあちこちにお世話になったこともあった。

昔、商店街が中心になって「釣りの会」と「ゴルフの会」を組織されていた。どちらも誘われて入会していたが、随分前に寂しくも解散されてしまい、当時のメンバーも皆さんがご高齢になっている。

そんなメンバーだった方の葬儀を担当すると、同窓会みたいに昔話に花が咲くが、そんな時代をご存じでなかった息子さんや娘さん達から往年の出来事について「もっと知りたい」と聞かれることも多い。

同好の誼という言葉があるが、同じ趣味で共に行動していた歴史は間違いなく人生の1ページで、葬儀とは思い出が形見となる儀式でもある。

意外なこと  NO 3491

お葬式の依頼があった場合に困る問題がある。個人名義の預金などが凍結されてしまうからで、それを引き出すには全ての相続人の提出する書類なども必要なので大変である。

詳しい内容については弁護士さんに確認願いたいが、あるお葬式で家族のお一人が入院中で危篤状態にあり、書類の署名も不可能なので困り果て、担当の弊社の見積書を提出して欲しいというケースがあった。

書類に名前や印鑑を押す場合、二種類の表記があることも常識である。「記名押印」と「署名捺印」だが、後者の場合には自筆が求められ、前者は他人が書いても印刷文字でもよいというものである。

冒頭の銀行へ提出する書類は勿論「署名捺印」の条件となるが、それが揃わないと引き出すことが出来ないことがあるので知っておきたい。

一方で、郵便局の貯金はどうだろう。これまでに「火葬許可証」を持参して「お葬式に必要だから」と言って引き出されたケースが何度もあるので銀行預金に比較すると制限が緩いようだが、厳正に考えれば相続に問題が起きることも考えられるので気を付けたいものだ。

さて、大阪では滅多に積雪することはないが、この仕事に携わっていた中、朝になったら雪景色だったということを何度か体験している。不思議と3月を迎えてからが多かったが、霊柩車やマイクロバスがタイヤチェーンを装着して大阪市内を走行していた光景を憶えており、いつも1時間で火葬場が往復出来たのに、チェーンを装着していない車が大半で渋滞してしまい、倍近い時間を要することになって大変だった。

友人ファミリーが車で新潟県までスキーに行くことを知った。喫茶店で会って聞いたのだが、その時に「冬用タイヤ規制」と「チェーン規制」があることを伝えると、彼は意外な表情で「4輪駆動車だし、冬用タイヤを装着しているから問題ないだろう」と返して来たので、「チェーン規制になったら冬用タイヤでもチェーンを装着しなければ通行出来ない」と話したら、「嘘だろう?」と信じてくれなかった。

この問題は本当のことで、冬用タイヤでも駆動輪にチェーンの装着を義務付けられることがあるので要注意だし、その規制があるところのインターチェンジで降ろされることになるので気を付けたい。

何度かチェーンの装着を余儀なくされたことがあるが、猛吹雪で厳しい冷え込みの中で苦労して装着したことを憶えているし、やっと装着が終わって走り始めたら、何か忘れているような気がしてならず、3キロほど走行して気付いたのがホイルキャップを取り外すのを忘れ、そのままで装着してしまったこと。お蔭でホイルキャップは傷だらけで、帰阪してから新品に入れ替えることになって無駄な出費となった。

その出来事は中国道の佐用の西での出来事だったが、夜のことで、トンネルを出ると路面が真っ白で猛吹雪だったのでびっくりさせられた。

チェーンを装着して走行するのは仕方がないが、そのままトンネル内に入ると最悪というぐらいの状況になる。また、もう大丈夫と考えて外したら、しばらくしたら積雪状態になって再度装着という体験もあった。

情けない思いで装着している横を、冬用タイヤを装着した車が次々に通り過ぎて行く。次は冬用タイヤにしようと考えた体験でもあった。

安全運転を願って  NO 3490

酒気帯び運転のトラックが軽自動車と衝突、幼い子供とお母さんが亡くなったという悲しい事故のニュースがあった。

全国各地で悲惨な事故や事件が相次いでいる。運転免許が不可欠で取得した人もあれば車を運転したくて取得した人もいるだろうが、運転免許証が交付されて手にした時の初心を忘れずにありたいものだ。

何度も書いた「人生は反省の範囲内で。後悔することのないように」だが、法廷で被告となっている人や刑務所で服役中の人達が多いことを考えれば、人間とはそう簡単なものではないようである。

入院加療中の被害者、また、リハビリ中の被害者、そして大変な後遺症に苦しんでおられる被害者の存在も忘れてはならない。交通事故は間違いなく人災だと認識したいものである。

犯罪者が出所して再犯に至るケースも少なくないようで、特に多いのが覚醒剤に絡むものだそうだが、そもそも興味を抱いた時点で社会から外れてしまったと言えるかもしれない。
酒気帯び運転で免許証が失効となり、無免許なのに運転して事故を起こした人もいたが、そんな横着な行動神経の人が走っているということを想像するとゾッとする。

今日のニュースでびっくりする内容があった。昨年中に刑務所内で殺害された人が500名をオーバーしたそうで、塀の中でも新たな加害者と被害者が発生するとは大変なことである。

スポーツの大会で「選手宣誓」という光景を何度も目にしたことがあるが、それが形骸化や形式だけであったら単なるイベントの式次第の流れのひとつになってしまう。冒頭の運転免許証取得の際にそんなことを考え、高齢になって免許証を返却するまで忘れないようにしたいものである。

私が普通免許の取得に自動車教習所に通ったのは18歳を迎えてすぐのことだった。当時の教習所の入所金は3万5千円。今では信じられない金額である。

娘が成人して大学生の時、教習所に通うことになったのだが、高額な入所料に驚いていたのに、その後「追試」とか言って何度も支払わされたことも懐かしく、そんな娘が3人の子持ちになって車が生活の必需品となっているらしいが、会ったり電話がある度に事故を起こすなと伝えている。

全国で悲しい事件や事故があればお通夜や葬儀が行われることになるが、そんな光景をいっぱい体験して来たところから、絶対に「加害者になるな」「被害者になるな」ということが口癖になってしまった。

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