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あの頃は  NO 3496

京都で信じられない出来事が起きていた。身体の不調を来して救急車を依頼したら、やって来た救急車の隊員が「死亡しています」と帰ってしまい、その後に法的な立場で鑑識を担当していた警察官が死んでいないことを確認して、救急車を手配して病院へ搬送されたが命に別状がなかったらしいので幸いである。

これも典型的なヒューマンエラーを物語る出来事だが、搬送されたのが2時間後ぐらいだったというのだから衝撃であり、こんな事件が二度と起きないように願っている。

さて、ミュージカル映画の名作として語り継がれている「サウンド・ミュージック」だが、その原作のモデルとなったトラップ家の次女が99才で亡くなられたというニュースがあった。

第二次世界大戦の最中、ドイツに侵略されるような状況の中での物語だったが、主演をしていたのは「ジュリー・アンドリュース」で、彼女は3オクターブの以上の美声の持ち主と言われていた。

この映画が公開されてから間もなくのこと。彼女が来日、各地でディナーショーなどが行われていたが、我が大阪のホテルでも企画されていたが、そのチケットが10万円で驚いたことを記憶している。

3万円程度なら行っていたかもしれないが、10万円となれば限られた人にしか行けないレベル。ちょっと悔しい思いを抱いたことが懐かしい。

「ドレミの歌」「エーデルワイス」が挿入曲として知られるが、メインテーマの旋律と彼女の歌声が強烈な印象として焼き付いており、サウンドトラック盤のレコードが今でも我が家に存在している。

物語はオーストリアからスイスを経てアメリカへ逃れたとなっていたが、トラップ家はアメリカに着いてからホテルを経営していたと伝わっており、次女が亡くなられた地もアメリカだった。

今ではシンセサイザーが存在しているし多重録音は誰にも可能となっているが、私の青春時代に購入した録音機材はオープンリールのシステムで、俗に謂われる2トラックで、テープの半分ずつで左右のスピーカーから流れる音がコントロール出来た。

そんなところからまずは伴奏だけ吹き込み、それを流しながらメロディを録音してから楽しむなんて今では考えられない収録遊びをやっていた。

その後にカセットテープが登場してびっくりしたが、当時の車のオーディも8トラックのテープが主流で、「カー・ステレオ」という言葉で呼ばれていたが、デジタルの世界になってCDやDVDが誕生するとは想像も出来なかった時代であった。