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晩秋に  NO 3598

先週の水曜日、ずっと続けている「メールマガジン・まぐまぐブログ」を送信した。テーマは「便利な社会になった裏側で」という内容だが、事務局から原稿の予備をと依頼されたので4本を添付しておいた。

「幸せ列車」の中で毎日更新している「小説 女将シリーズ」も続けなければならないし、現在5000号を越している「独り言」も打ち込まなければならない。また。他に2本の長編小説を草稿中なので大変だが、目が見える内に完成させないといけないので焦っている。

多い日は400字詰め原稿用紙で40枚程度の原稿を打ち込むのだから目が余計に疲れる。その上に指先の不具合もあって押すべき文字ボタンがズレて隣のボタンを押してしまうこともある。

連続して画面を見ていると徐々に文字がぼやけて来るので時折に休憩時間を取っているが、うとうとしてしまうことがあったら時間の浪費をすることになるので気を付けている。

齢を重ねると時間が過ぎ去る速さがどんどん増すのも常識。最後を迎える病院の白い天井を見ながら心残りがあって後悔することだけはしたくない。神仏が私に与えてくれ大病に後遺症があっても、何とか文字を打ち込むことが可能なことが幸いである。

あと何年? 後何か月? 後何日間? 後何時間? 後何分?というように余命が段々と少なくなる。やるべきことを済ませてこの世を出立する考え方だけは絶対に変わらない。

前にも書いたことがあるが、関東に在住する娘から言われたことがある。「葬儀のプロを自負しているパパの葬儀は誰がするの。そんな内容で進めるの? ちゃんと決めておいてね」と指摘されたことだが、喪主、導師、式場、式次第、知らせるべき人、絶対に呼ばない人物のことも書き留めてあるが、死期が近付いたら「独り言」で公開しておこうと考えている。さぞかし読まれた方々が驚かれるだろうが、なぜそうたかの経緯も書く必要があるだろう。

参列者に誤解をされて出立するのは絶対に避けたいのが強い思い。読まれた方が納得されるように書いているが、葬儀の時の司会者に読んで貰う手紙も認めておく。

過日にプラハに在住する若い女性から手紙が届いた。ブラジルの日系人で日本語を勉強しているみたいだが、全て「平仮名」で書かれていたのが面白かった。
来年3月に来日するというので大歓迎とメールで送信したら早速返信が入っていた。

前述した娘がイギリスに留学していた当時にプラハから絵葉書を送ってくれたことがあった。素晴らしい街で一度は来るべきと書かれていたことを憶えているので、動ける内に行くことも「たい」という欲望の一つにしておこう。

北海道のニセコのスキー場に憧れる外国人が多い。2年前にオーストラリアへ行った時にあった日本語教育協会の会長の女性も「ニセコに行きたい」と言っており、来日した時は一緒に行くと約束して来ているが、動ける内、見える内にやって来て貰わなければどうにもならないので心配している。