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ギャップ  NO 3519

今日の昼過ぎ、関東地方の大きな地震が起きていた。交通機関の運休や高速道路の通行止めも出ていたようで、夕方に関東に在住する孫達が心配になって電話を入れた。

それぞれが学校にいた時間で、今年の春に入学した小学校では給食の時間だったようで、大きな揺れに机の下に潜ったと言っていた。

夜のニュースで気象庁の会見を目にしたが、発表する人物の前に多くのマイクが並んでいる。いつも感じることだが、ハウリング状態に聞こえるので聞き苦しいことに対処出来ないのかと思ってしまう。

放送中の音響で酷かったのは過日の女子プロゴルフの中継だった。ラウンドリポーターのマイクの低音が強過ぎて聞き取れない状態。放送局の音声担当がこんなに酷いのは久し振りに体験した。

さて、今日は朝から医院で採血をした。終わってから前々号で紹介した「タオ指圧」の施術を受けに京都へ向かったが、JR大阪環状線から京阪電車に乗り換える京橋駅でいつも気になっていることがある。

それは献血の移動バスを停めて献血を呼び掛けている人物の言葉だが、避難訓練みたいな音響システムは別として言葉遣いがどうにかならないかといつも気になっている。

「皆さんのね、ご協力をね、いただいてね」というように「ね」のオンパレードが続くからだが、どうして「皆さんのご協力をいただいて」とスムーズにアナウンス出来ないのかと歯がゆくなってしまう。

少し前に「献血」という文字を掲げた人物も立っているが、誰も指摘しないのだろうかと残念に思ってしまう。

この広場は不思議なところだ。そんな献血の呼び掛けアナウンスが行われている時に、路上ミュージシャンが本格的な音響システムで歌うこともあるし、JR側から旅行の宣伝案内が流れていることもある。また、定期的に流れる広場への呼び掛けアナウンスも流れるのだからややこしい。

雑踏という言葉があるが、何とかうまく整理出来ないのかと疑問を感じながら通っている。

京阪特急で京都に向かうと、枚方市に続いて樟葉に停車するが、「樟」という文字は「楠」の意味もあるそうで、「樟脳」という薬品にも用いられている。

駅の横を国道1号線が通っている。それは淀川の堤防となっているが、その河川敷にはパブリックのゴルフ場があり、昔は男子プロのトーナメントのシーズンを告げる大会だったように憶えているし、入江プロが驚異的なスコアを記録されたことも記憶している。

かつてのバブル時代にこのゴルフ場をエントリーするのは大変だった。電話予約がないところから現地先着のなっていたところから、学生アルバイトを頼んで深夜から並んでいたということを聞いたことがあるが、当時のゴルフ人気はどうなってしまったのだろうかと疑問を抱いている。

近所のある会社の社長さん達が兵庫県のゴルフに行かれ、その地のブドウ園で販売されている美味しいブドウを頂戴した。何かお返しをしなければと思ったので、京都に出掛けた際に錦市場に立ち寄って「めざし」を買って来たが、「ブドウ」と「めざし」のギャップに悩んだことを正直に書いておこう。

不思議な体験から  NO 3517

週に一回京都に通っている。目的は三条駅近くにあるタオ療法の指圧を施術して貰うためだが、これは知る人ぞ知るという世界である。

初めてお世話になったのは8年ほど前のことだが、大きな手術を受けて麻酔から醒め、集中治療室から自室に戻ると左上腕部から背中に掛けて激痛を感じ、それは退院してからもずっと苦しむことになり、あちこちの整骨院や大病院の整形外科や形成外科の診療を受けても改善することなく続いていた。

そんな中、友人から紹介されたのがタオ療法で、藁をも縋る思いで三条に足を運んで施術を受けたら、その心地良い指圧で約三分の一ぐらい楽になった。

それから1週間毎に通うことにしたら、苦しんでいた激痛が3回で完治。その不思議な効果に感嘆する体験となった。

3ヵ月程前から右肩甲骨の内側に痛みを感じ、また苦しい思いをしていたが、整骨院や病院の診察を受けても改善せず、思い出したのがこの存在。そこで予約を入れて京阪電車で通っている。

昨日で4回目だったが、随分と楽になった。私が施術を受けているのは2階だが、1階では多くの人達が参集して研修会が行われていた。リハビリの療法士の方や整骨院の先生方の参加が多いことを知ったが、痛みに苦しむ患者を救うことになる施術が世に広まることは大歓迎である。

このタオ指圧を創始されたのは「遠藤喨及さん」というお寺さんだが、師の考えられた「気の経絡指圧」は体感された患者さん達の口コミから世界中へ広まっている。

私は「タオ療法」の宣伝マンではなく、ただ実際に体験したことを綴っているが、友人や知人の中に施術を受けて劇的に改善した人達も少なくないないので本物である。

日々に綴っている「独り言」のコラムをご笑覧くださった方が興味を抱かれ、受けてみたいと言われるケースが増えているが、体感からすると、「なんでこんなに心地良いところばかりを押さえられるのだ!」という思いになる。

私の場合には歩くこともリハビリになるので、施術を受ける日は早目に出て京都の街を散策することにしているが、疲れた後に受ける指圧がまた特別に至福のひとときとなるので嬉しいところだ。

タオ療法については体感に勝ることなしということになろうが、いただいて来たパンフレットに次のような解説があったので紹介しておこう。

『耐え難い痛みで辛い思いをされている方は、ぜひご相談ください。心と身体に様々な痛みや辛い症状が現れるのはなぜでしょうか? それは、肉体的な原因によるものではありません。心身に歪みをもたらす「邪気」が原因です。経絡(生命)の流れが悪くなったことによるのです。肩こりや慢性的な痛み、これらは慢性的な疾患とも深い関連があります。だから、根本的な原因から取り除いていくことが必要です。タオ療法の施術は、その根本原因である邪気を排出します。それによって正気が倍増します。そして心身の健康が、根本から回復するのです。世界各地で多くの患者さんを癒しているのがタオ療法です』

葬儀は「処理」ではない  NO 3516

新聞に投稿された川柳の欄を読んでいたら、「柩には携帯電話入れ内で」という作品があった。これで思い出したのが、昔、ヨーロッパのある国で実際にあった埋葬に関する話題。柩の中に電話を入れておいて欲しいという故人の遺言の遂行だった。

当時に携帯電話の存在はなく、有線となっていたが、本人がもしも「生き返ったら」との恐怖感を払拭させる思いを理解した遺族は、そんな突飛な要望に対応することにした訳である。

多くのマスメディアにも採り上げられた話題となったが、数か月後に取材をした記者が「未だに電話は掛かって来ません」と遺族が言っていたことを紹介し、その後はその話題に触れられることはなかったようだ。

人は寂しくこの世を出立することになる。病室や自宅で家族に看取られながら静かに終焉を迎える人もあれば、自然災害や交通事故に巻き込まれて被害者になるケースもあるし、時には事件の被害者になってしまうことがあるのが人間社会の悲しい現実だが、「自然死」という言葉が徐々に少なくなって来ている事実には憂いを感じるべきだろう。

人間社会が医学の発展によって長寿となり、高齢社会の到来を迎えて老々介護の晩節という悲壮な環境を強いられることも増え、周囲に次々にオープンする整骨院や老人ホームや介護施設の広告を見ながら、全てが「善」で構築されていることを願ってしまう。

個人商店の立場や法人などの組織では「社団法人」「財団法人」「医療法人」などを除いて単なる会社組織なら収益目的の事業であることは否めず、入所してから後悔されているケースを紹介している記事を目にすることもあるが、どんな世界にも本物と偽物があることを理解し、選択眼を磨いておく知恵が大切なのかもしれない。

我が業界にも信じられないビジネス発想が登場している。私は葬儀を「ビジネス」と捉える考え方には強い抵抗感を抱いているが、それは葬儀という仕事が悲しみを理解しようとする努力の上に成り立つプロの仕事であり、それを遣り甲斐や誇りと考えたいからで、人の最期を「処理」するような発想は絶対にして欲しくないからである。

テレビで最近の葬儀事情を特集する番組があった。その中に大手スーパーが事業を立ち上げた葬儀ビジネスの一環が紹介されていたが、さすがにスーパーマーケットらしく、「3万円で葬儀が」と謳っていた。

柩、火葬場までの霊柩車、火葬料金だけを考えても絶対に無理なことは常識である。枕元に設営する燭台を線香も必要ないのだろうか。また納棺に先立って着せられる旅立ちの衣装はどうするのだろうか。柩の内装はどんなものなのだろうか。最低限度の副葬品はどうなるのだろうか。最低限度二日間安置される場所はどうするのだろうか。これらに伴うスタッフの人件費はどうなるのだろうか。法的な役所の手続きや火葬場申し込み手続きはどうなるのだろうか。

そんなことを考えるとそれらが決して「善」の発想ではないことが明確である。マスメディアの取材のレベルもあまりにも低い現実もあるが、ある記事の中に「葬儀一式の中に『お布施』や『通夜振る舞い』『精進落としの御斎(おとき)などはふくまれていないようです』と書かれていたが、参列される親戚の人数が異なるので概算を見積もる際にもアバウトになるのは当然である。

我が葬祭業界は、今、ネット社会の到来を利用して紹介ビジネスが潮流である。「葬儀社を紹介します」と記載して紹介料を目的としている訳だが、大手物流組織やコンビニが参入しているのだから混沌としている。葬儀業者を下請け化する「ハイエナビジネス」と指摘する声もあるが、近い将来に自社のモールが敷地内に葬儀の式場を設置し、利用する業者に使用料を課すことになると予想している。

危険だらけ  NO 3515

台風の大雨の影響からだろうか、国道163号線の道路が突然陥没、走行していた車が思いも掛けない事故に遭遇したニュースがあった。

日本中の橋梁であちこちに危険な状態があると問題になっているが、インフラ整備に関する現実はますます深刻になって来ているようである。

高速道路の高架下や新幹線の高架下でもコンクリートの落下事件が発生しており、何時何処で誰が被害に遭うか分からないので危険がいっぱいということになるが、それらは日常生活の中で歩いている時でも同じで、建設物の壁が崩れて落下して来る危険性もあるし、老朽化した看板が落ちて来ることもあるかもしれない。

そんなことを考えていたら家を一歩も出ることが出来なくなるが、少なくとも今日あることの幸運に手を合わせるべきだろう。

私は臆病な性格である。だからいつも最悪のことを想定するので若い時代から白髪が多かったのだろう。名阪国道の最も危険な地域と言われる「五カ谷」付近を走行しても、次のカーブの所で横転している車があったら、中央分離帯を乗り越えて来る車があったらなんて考えながら走っていたのだから病的である。

そんなところから誰にも飲酒運転をするなと説いて来た歴史があるが、それは被害者の悲しいお通夜や葬儀を体験していることからでもある。

もう30年以上も前のことだが、あるお寺さんの檀家さん達の主催でゴルフコンペが行われることになり、そのお手伝いをしたことがあった。私が依頼されたのは案内状の製作だったが、末文に「プレー後の表彰式での会食では、車を運転される方は乾杯もアルコールはご遠慮ください」と書いたら、実に君らしいと言われ、当日の参加者の中に非番だった交通課の警察官の方もおられ、結構なことだと言われて幹事の人が喜ばれていたことを憶えている。

飲酒運転をする性格は他人に厳しく自身に甘い人が多いと分析され、使いたくない言葉だが「世間をなめている」と言えるだろう。「このぐらいなら」「ちょっとだけだし」「そこまでだから」の甘い考え方が悪魔の囁きになることを理解するべきで、何度も書く「加害者になるな」「被害者になるな」で過ごし、人生とは「反省の範囲内で」「後悔することはするな」を貫きたいものである。

和歌山県が「ハーブ」に関して厳しい条例で対策を打ち出した。販売することも出来ないことになったものだが、国家が法整備を急ぐべきで、被害者をこれ以上出さないようにして欲しいと願っている。

覚醒剤やハーブ問題に関することが書かれた本を読んだことがあるが、常用すると「目付き」に変化が表れるようで、周囲にいる人達が異変を感じるそうだが、そうなった状態では間違いなく依存症に陥っており、専門的な治療を受けなければ対処不可能だと書かれていた。

進化の背景に  NO 3514

何事も進化することによって社会が便利になると、それに伴ってリスクが生じることも世の常であり、IT社会の到来はその裏面で深刻な問題を秘めていると考えなければならないようだ。

パソコンの遠隔操作が事件として発覚していたし、ネットバンクの不正アクセスによる盗難被害が出ているし、ネットの閲覧ページにウイルスが仕掛けられている危険性も常識みたいになって来ている。

ネットでクレジットカードを使用するなという指摘も少なくないし、個人情報の漏洩問題が日常茶飯事のように起きている現代社会だが、そんなことになったら最悪となる危険性が指摘されている事実があるので考えてみたい。

来月から国内線の機内で、微弱な電波を発信する程度のスマホの利用制限撤廃が浮上している。また、機内でネットに接続可能なランシステムも導入されるケースが増え、空の旅もこれまでとは違った楽しみ方で過ごせるので歓迎されているが、一方に、「Wi-Fi」などで航空機の操縦席のプログラムへ侵入する可能性も皆無ではなく、そこに想像もしない危険性が秘められていると指摘する意見も出ているのである。

テレビのCMを観ていると自動車メーカーが危険を察知して自動に停止する機能や、交差点の信号機に情報発信機を設置、その情報を受診した自動車が自動運転される研究も始まっているし、車線を感知しながら食み出さないように走行してくれる優れものも実際に現実化しているが、これらにも前述した危険性があることは否めず、よほどしっかりしたセキュリティシステムを導入しなくてはいつ事故に遭遇するか不明なので恐ろしいことである。

スマホから家電を機能させる技術も進化している。湯沸かし器を作動させて風呂の湯を貯めておくことも可能だし、エアコンのスイッチやストーブのスイッチなどが外で可能となればそれを他人が意図的に侵入して遠隔したらどうなるのだろう。火災の発生などは簡単に出来るかもしれないので恐怖感を覚えるし、使用する人間の教育の進化が出来ていなかったら社会が混乱を来すのは当たり前である。

どんな世界にも「いたちごっこ」という言葉があるが、この問題は特に危険性があるところから二重、三重のガードが求められるであろう。

忘れてはならないことは、何かが誕生して便利になったら、それを研究発明した人が存在するという事実。どこかで人間性に変化生じれば想定外のことが起きることも考えられることになる。

便利な社会は危険がいっぱいということを理解しておきたいものである。

過去・現在・未来  NO 3513

この世から去る瞬間は人様々、大勢の家族に看取られながら闘病生活を過ごした病室で静かに息を引き取る人もあれば、想像もしなかった災難に遭遇して悲しくも命を終える人もいる。

世の中にはおかしな人達が多数いることも事実。飲酒運転、危険ドラッグ吸引、無免許運転、検査切れ車両の運転、盗難車など考えてみれば危険がいっぱいあるが、社会の時の流れに危険なことは増える一方で、認知症による高速道路の逆走もあるし、高齢者に多いアクセルとブレーキの踏み違いという問題も増加の一途である。

7月の下旬、JR大阪駅のタクシー乗り場で、1台のタクシーが暴走して構内の柱に激突した事故が報じられていたが、その原因がアクセルとブレーキの踏み間違いで、プロである筈のタクシードライバーでもこんなミスを犯すのだと衝撃を受けた。 

過去に書いたことだが、「伊丹十三さん」が監督されて話題となった映画「お葬式」で、対談して欲しいと依頼があり「北御堂」で映画評論家の「浜村淳氏」、ボヤキ漫才で知られた「人生幸朗師匠」の奥様と話し合い、その内容が「御堂さん」という月刊誌に掲載されたことがあった。

この時に印象に残っているのが「浜村淳氏」が発言されたことで、過去に「有吉佐和子さん」原作の「恍惚の人」が映画化された際、テレビ局が何度も放映させて欲しいと切望しても、有吉さんは頑なに拒否され、その理由として「恍惚の問題は誰にも起こり得ることで重要な社会問題のひとつです。だから家庭で寝転んで観たり食事をしながら観るのではなく、映画館に足を運んで貰って観て欲しいのです」ということで、「浜村氏」は映画「お葬式がその第二弾となるかもしれませんよ」と指摘評価されたのだが、残念ながらそれから半年も経たない内にテレビで流れていたのでショックだった。

振り返れば「有吉佐和子さん」が題材に採り上げられた問題は先見性からすると突出しており、環境問題や南西諸島の問題などを随分昔から指摘されていたことに驚嘆している。

女性の著名人で目立った発言をされているのは「曽野綾子さん」と「櫻井よしこさん」だが、最近の中国問題について的を射ている問題提起をされていたので興味を覚えた。

さて、キリスト教を信仰する国では臨終が近いと牧師さんや神父さんから病室で安堵に繋がる教えを求めることも普通に行われているが、我が国で病院の廊下を僧衣の姿で歩くと「縁起でもない」と顰蹙を買うのが現実で、この差は何だろうとずっと昔から疑問に思っていた問題だった。

社会に「ホスピス」という施設が求められて実現した歴史があるが、そこでは末期症状で緩和処置だけで過ごす患者さん達が存在し、専門と言われる医師や看護師さんだけでは限度があり、宗教も不可欠ではと考えられ、積極的に研鑽することが進められ、そこに「臨床宗教師」という存在がクローズアップされて来た。

仏教には様々な宗派があるし、それぞれの教義の異なりからすると簡単ではない問題もあるが、グローバルに超越する考え方で超宗派的な観点から医療スタッフの一員として活動する重要性を見出し、今後の存在が大いに期待されるようになっていることは歓迎するべきであろう。

死と目の前で向き合う患者さん。そして看取る立場の家族、近い将来に「遺族」と呼ばれる立場になってしまう。その両者に「安堵感」を与えるのは宗教者の務めとしては存在意義が高いだろうし、人を「幸せにする仕事」にあって「少しでも不幸でないようにする」行為は立派な仕事の責務だと思っている。

月日は流れたが  NO 3512

このブログの他に「独り言」や「各駅停車」というコラムを毎日更新しているが、写真の添付するようになってからびっくりするようにアクセス数が増えて驚いている。

毎週「水曜日」に発信している「まぐまぐブログ」も重い責務を感じているが、「生かされた証し」として生あることに手を合わせて打ち込むようにしている。

そんなことからメールを頂戴することも増え、信じられない事実を知って驚愕することもあった。最も驚いたのは30数年前に発刊した小説「葬儀屋 七万歩才のあの世の旅」がオークションに登場し、一時は7000円を超す金額まで出ていたそうで衝撃。

一方で今でも「アマゾン」などへの問い合わせがあるそうなのでびっくりする。

小説「お葬式はハプニングにのって」というものもあったが、発刊したら新聞で採り上げられて初版がすぐになくなり、増刷を勧められたが「書く」ことは恥を「掻く」ことという思いがずっとあり、増刷することはしなかったのだが、手元に1冊だけ残してあったものも事務所に置いていたらいつの間にか行方不明になってしまった。

エッセイ集として「悦生」を発刊したのが最後だったが、それでも30年近い年月が経過しているだろう。終章部分に短編小説を掲載。内容は最近に問題になっている死因の不明問題で、我々葬儀という仕事に携わる立場が知らない内に犯罪に巻き込まれてしまう危険性をドラマ調に書いたものだった。

医師の診断書のある死亡届が役所に提出されると「火葬許可証」が発行されるが、それが偽物だったらどうなるのだろうか。火葬されてしまってお骨になったらもうどうしようもないから大変ではないか。

そんな内容に興味を抱かれたあるジャーナリストから「紹介させて欲しい」と懇願されたが、悪戯に世間を騒がせるべきではないと固辞した出来事もあった。

そんな問題が、最近になってクローズアップされて来ている。葬儀の目的意義の一つであった「社会的告知」から離れた「家族葬」の潮流や、「直葬」の増加はそんな裏面もあることも考えさせられる。

そうそう、「お葬式はハプニングにのって」だが、冒頭部分は鉄道の時刻表に関する物語があり、東京の大学に通って下宿している主人公が、実家のある九州から父の訃報によって帰郷する際に、時刻表マニアの下宿仲間が最も早く着く方法を調べてくれるというもので、次の日の東京駅発新幹線始発列車よりも早く着くにはと、意外なことを教えてくれるところが面白かったという感想もあったし、父の休止から友人だったお寺の住職の世話で大阪の葬儀社勤務までのストーリーも、ミステリー好きの住職の描いたシナリオが面白かったというご意見も頂戴していた。

葬儀のプロばかりが加盟している組織団体で「飲酒運転撲滅」の啓蒙も活動も行っているが、それらは前にも書いたように被害者のお通夜や葬儀を何度も体験しているからで、事故や事件が少なくなって欲しいと強い共有感があり、ユニークかもしれないが「あの世の教育」についても真剣に取り組んでいる。

「あの世の教育」は来世の存在を信じることから始め、せっかく人としてこの世に生を享けたのだから来世に夢を託して旅立たれるような人生をというもので、「悪いことをするな」という極めて当たり前のテーマであり、上述の小説「あの世の旅」はそんな思いを託して書いたものだったが、大きく新聞に採り上げられて広まったこともあり、いただいたお手紙の感想文に「良書です。学校教育に重要だと思います」というご意見もあったので嬉しくなった思い出も懐かしい。

式場での言葉  NO 3511

地方で行われたご仏縁のあった人の葬儀に参列した時のこと。司会者が開式を告げる前の言葉の中で、「またお忙しい中」というのを耳にしたのでびっくり。「また」は結婚、葬儀の両方で禁句となっている基本的常識である。

やがて遺族と親族の焼香が始まったが、親族の中で済んでいない人を確認するのに女性スタッフが参列者に向かって大きな声で次のように言ったのでびっくり。

「ご焼香のお済みでないご親族の方はおられませんか?皆様はご一般様でしょうか?」

私は、この「一般」という言葉が大嫌いである。受付の場所に「一般受付」と表記されていても気分が悪くなるし、サービス業では使用するべき言葉ではないと考えている。

会社関係、地域関係、官公署関係、得意先関係、仕入先関係などに区分けするのは問題ないが、その他大勢みたいに「一般」でまとめられることには抵抗感を抱いてしまう。単に「ご弔問」や「ご会葬」受付としておく方が無難だろう。

葬儀の司会者の中で考えられない言葉を発する人もいる。「本日はご多数のご会葬ですのでご焼香は1回でお願いします」なんて懇願型トークだが、宗派を重視するプロならそんな愚かな発言をすることは絶対にないことを伝えたい。

「ご当家は神式で執り行われておりますので、お手持ちの数珠はポケットかッバッグにお収めください」

そんなアナウンスを聞いたこともあったが、参列者の宗教は自由で、強制を要望するコメントはおかしいと考えたい。

葬儀にあって仏教なら「焼香」、神式なら「玉串奉奠」、クリスチャンなら「献花」が行われるが、手を合わす際にはご自身の信仰される宗教作法に則ることもあり、それを強制するのもおかしなことである。

暑い中、寒い中を大勢の参列者が列を成している。中には高齢の方々もありなるべく早くして差し上げたいのも心情だが、早くして欲しいと伝わるようなニュアンスが感じられるコメントを一流は絶対にすることはなく、あらかじめ想定しておいて焼香用具のセッティングを増やす備えも大切である。

物理的に焼香台を増やせないケースもあるが、そんな場合はどうするかを開式前にスタッフと打ち合わせしておくことがプロスタッフの対応である。

価格ではなく質  NO 3510

今日は深いご仏縁に結ばれるお寺様と檀家さん達の会食に参加させていただいた。大阪の中之島にあるホテルだが、総料理長が有名な人物で、コースのフレンチの内容が素晴らしくて皆さんが感嘆されていた。

人を喜ばせたり幸せにする仕事は素晴らしいことだし、そこにプロの存在意義があると言うことになろう。弊社の社名についても誤解をされていた人達がご理解くださることも増え、ややこしい業者が増えて来た中で安心と信頼を求められる方々にご認識いただける存在として予想外なこととして注目されている。

高級とは価格の問題ではなく、その質の意義を求められる方へのサービスの意味。大切な方のご不幸に大切な儀式でお送りされたいお客様のために存在する葬儀社として成り立って来た歴史がある。

そんな弊社と交流のある同業者が全国に点在している。それぞれがプロとしての誇りを抱き、その地のオンリーワン、ベストワン企業として認知されている。そんな彼らと話し合うと、素朴な疑問こそが葬儀の意義ということに気付く。悲しみを慰めたり癒すことは出来なくとも、悲しみとはどういうことだと真剣に考えることを互いで研鑽を重ねている。

我が業界に「感動させます」なんて愚かな言葉をキャッチコピーに謳うような低次元な業者もいるが、交流のある同業者が蔑視している言葉である。葬儀とはまずもって礼節を基本とし、それには謙虚な姿勢が伴わなければならない筈だが、「感動させます」のどこに謙虚さがあるのだろうかは誰もが分かること。本当に恥ずかしい言葉である。

悲しみの仕事に携わり、自分がプロとして自覚するなら絶対にそんな言葉は使わない。プロでないから謳っていると伝えたい。

長い歴史の中に様々な葬儀の思い出があるが、最も嬉しかった言葉が次のような言葉だった。

それは、ある葬儀で導師が退出されて喪主さんの謝辞の中に出て来たこと。参列へのお礼や生前のご厚誼に深謝される内容が続き、最後に想像もしなかったお言葉を耳にしたからだ。

「最後になりますが、私は皆さんがご存じのように大変親不孝者でしたが、親の葬儀にあってこの葬儀社さんと巡り合ったことで親孝行が出来たと思っています。葬儀社さん、有り難う」

そんなお言葉を頂戴したことが何度かあるし、びっくりするようなお礼のお手紙が届いて恐縮したこともあるが、それらはこの仕事に従事してよかったと思う喜びの糧ともなっている。

想定不可能な災難  NO 3509

池袋駅前の舗道で暴走した車によって死傷者が出たニュースがあった。運転していた人物は脱法ハーブを吸引していたそうだが、飲酒や薬物でどれだけの被害者が出ているかを考えるべきで、愚かな行為に至る人達が減らない現実に背筋がゾッとしてしまう。

臆病な性格なので駅のホームでは壁側に立つようにしているし、交差点の横断歩道で青信号を待っている時にでも後方で待つようにしているが、被害者として巻き込まれないように意識している行動でもある。

毎日、全国で悲しいお通夜や葬儀が行われている。事故や事件の被害者の葬送の儀式がどんな雰囲気の中で行われるかはご想像いただけるだろうが、それは言葉で表現出来ない重くて苦痛を感じる空間となっており、そんな中に身を置いた経験の多い我々葬儀社に従事する立場は、常々から事故が起きないように、飲酒運転が撲滅するように、そして持論である人生とは「被害者にならないように」「加害者にならないように」という思いに至っている。

携帯電話がどんどん進化し、インターネットやメールが便利に利用出来るとそれが原因になって被害者になる危険性が高くなる。そんなものがなかった昔なら被害者になることはなかったと考えるとやるせない思いを抱くことになる。

これまでに何度も諄いぐらいに書いて来たことだが、飲酒運転する人達が事故を起こして加害者となり、人身事事故として被害者に与えた大変な思いを与えてしまったことの重大性に気付き、後悔しているだろうが、新聞やテレビのニュースで報道されて教訓となっている筈なのに、一向に減らない現実は人間社会の「性(さが)という本質が原因しているように思える。

昨夜の銭湯での談義だが、そんな話題になって同年代の人が次のように言われた。

「我々の青春時代は彼女にアタックの電話をするのに相手の家に電話を掛けるのが怖かったが、今は誰もが携帯電話やメールで連絡出来る。便利とは危険と隣り合わせであることを認識しておかなければならず、家庭教育も学校教育も抜本的に考え直さなければならない」

さて、W杯だが、残念な結果だが日本の予選敗退が決まってしまった。朝の喫茶店ではその話題が多く、誰もが解説者や評論家みたいになって熱く語り合っていたが、それは鬱憤を吐き出すような思いがあるように感じられた。

後期高齢者で周囲から「ご隠居さん」と呼ばれている人物は、過去に楽天の野村監督が発言された「神の乱れは心の乱れ」を引用され、茶髪、金髪、韓国時代劇ドラマに出て来るような顎鬚をしているようでは駄目。腕にタトウを入れている外国人は多いが、日本人とはまずは己を磨くことが第一で、ファッションで自己主張するような人間は大成しないと言われ、周囲の人達が頷かれていたのが印象的だった。

プロ野球の巨人軍は厳しい管理体制が存在するようで、茶髪、金髪、髭、ピアスなども厳禁であり、あの清原選手も大変だったようである。

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