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便利な裏側で  NO 3569

過日のことだが、新聞の訃報記事に忘れられない方が掲載されていた。随分と昔の話だが、ホテルで行われた盛大な「偲ぶ会」を担当させていただいた際の施主の方。その時に献花をされていたお姿を思い浮かべて手を合わせた。

また衝撃的なニュースもあった。我が大阪の大手葬儀社が運営している遺体保管所で異なる遺体を火葬してしまい、その発覚を隠匿するために別の遺骨を遺族へ渡したという信じられない出来事だった。

マンネリの中で発生するヒューマンエラーの恐ろしさはこれまでに何度か触れたが、起こしてしまったミスを隠匿しようとする行動に取り返しのつかない問題が秘められている。葬儀に従事している立場にある者は「人」を接している仕事であり、「物」を販売している立場でないことを意識しておかなければならないし、こんなことが起きていることは業界の恥ずかしい問題と指摘されるだろう。

弊社が加盟している協会には葬儀のプロ達が集まっているが、彼らに共通することはこの仕事が職人的な世界で、それは一生に一回だけの儀式からであると認識しているからで、ビジネスという言葉さえ禁句となっている。

研修会で学んだことは「大切な方の大切な終焉の儀式に大切な宗教者を迎える環境のお手伝い」というのがあったが、この仕事をビジネスと割り切って「感動させます」というおかしな発想をしている大手業者のトップが、テレビ番組の中で「遺族」のことを「消費者」と称していたことに衝撃を受けたことも忘れられない。

担当者がミスを犯してしまったという報告を受けた上司が自身に責任が及ぶことを恐れ、事件が表面化しないように隠匿することもあるようだが、会社組織挙げてその行動をしていることは最悪である。

前述した2社の葬儀社は上場会社だが、株主のことが気になったら遺族へして差し上げたいサービスを割愛することも考えられる。ある著名な投資家の書いた指摘に「内容の良い会社は株主の存在を意識していない」とあったが、そんな会社がどれほど存在するのだろうかと興味を覚える。

全日空のシステムトラブルで欠航となった便が多くあったが、便利なIT社会でひとつ問題が発生すれば大変なことになると考えさせられる出来事だった。

同じシステムを導入している他の航空会社にも影響が出ていたが、仕事、旅行の予定が大きく変更になって困った人達が多いと想像するが、ベルギーの空港のようにテロ事件で爆発するようなことだけは願いたい。

5月に伊勢志摩でサミットが行われるが、周辺の警備は随分と厳しいと予想するが、東京や大阪などの大都市圏を狙ったテロ事件も恐ろしいもので、これまでに何度も書いた「宗教と戦争は人を変える」という指摘は国際社会の困った問題であり、それらがなくなることは難しいと言われている。

全日空の欠航で大変な体験をしたことを思い出す。北海道で講演の予定があって関西空港発の便を予約していたのだが、出発時間になっても機内への搭乗案内がされないのでおかしいと思っていたら、機材の不具合で欠航となり、3時間後の便に搭乗をというアナウンスが流れた。

しばらくすると「搭乗予定のお客様にはランチ券を発行します」という放送も流れたが、千歳空港に迎えに来てくれる人達のことを考えたら大変なので電話で連絡をしている時、「プレミアムクラス御搭乗予定だったお客様はラウンジへお越し下さい」と食事でも出すのかなと思って行ったら、外国の航空会社の便が遅延したところから出発が遅れていた日本航空のコードしシェア便に搭乗出来ることになり、預けたバッグを受け取って日本航空のカウンターへ移動したが、1時間遅れで千歳に到着することが出来て安堵した。

世界卓球から  NO 3568

テレビのニュースで「日食」のことを採り上げていた。それを観ながら小学生時代に体験したことを思い出した。「日食」の様子を確認するためには直視すると目を痛める危険性があり、先生の指導でそのための用具を手作りすることになったのである。

それは教科の中で理科の一環となっていたと思われるが、先生から長さ6センチ程度、幅2センチぐらいの「すりガラス」が配られ、それをローソクで燻して黒く色付けをするというものだった。

やがて完成して太陽を見たが、あまり黒くし過ぎると全く見えず、薄過ぎると強烈な閃光から目がおかしくなるので、偶然にうまく適合した生徒の作品を交代で借りて確認したことを記憶している。

そんな時代から約60年が流れ、もうすぐ満69歳を迎える。所謂「古稀」を迎えることになるのだが、4クラスの同窓会を兼ねて古希の集いを開催するという案内状が届いたが、様々な事情から出席することが叶わず、欠席となるので幹事の人物にメールを送信しておいたら、返信があってそのメールを当日の会場で披露されるということになった。

書いた文章の中に昭和の大横綱「双葉山」が「安藝の海」に敗れて69連勝で止まった出来事に触れ、その時にラジオの実況放送を担当されていたNHKの伝説的なアナウンサーであった「和田信賢氏」が「古稀は稀なり」という言葉を発言された逸話のことを紹介しておいた。

前にも紹介したことがあるが、この取り組みの波乱は大騒ぎになったのは言うまでもないが、勝った「安藝ノ海」に「勝って騒がれる力士より。負けて騒がれる力士になれ」と指導されことも有名で、私の好きな話である。

世界卓球で日本チームが活躍している。男女とも決勝戦まで進んだのだから凄いことだが、中国とは想像以上に強いレベルである。女子チームはストレートで敗れた。

昔の卓球からすると技術のレベルがかなりアップしたように思える。私と同年代に愛知工大に長谷川信彦選手がいて素晴らしい成績を記録されていたが、関東に在住されていた時にトレーニング中に倒れた木の下敷きになって亡くなられるという悲報があって手を合わせた。

かつて世界卓球が名古屋で開催されたことがあった。その時に「ピンポン外交」という出来事につながる出来事があったのだが、その当事者であった「荘則棟選手」の存在はまさに神的レベルだった。中国卓球の黎明期に輝く存在だったのに、文化大革命で大変な目に遭遇されている。

来日されていた時にその実戦を観戦したことがあるが、当時の映像がネットで動画として見ることが出来るので懐かしく観た。

人生黄昏に想う  NO 3567

熊野古道がブームになって久しいが、昨年に那智の滝から巡ったジェット船での景色を思い出しながら月日の流れを実感している。

サッカーの日本代表チームのシンボルマークが「八咫烏(やたがらす)」になっているが、これは熊野の神の使いの鳥と伝えられ、神武天皇が九州日向の国から熊野の地に上陸され、この三本足の鳥に案内されて南良まで行き、大和の国を建設された伝説があるので興味深い。

「独り言」で西国三十三ヵ所について触れたが、この一番札所が那智山青岸渡寺で、那智の滝から坂を上がったところにあって参拝した。

杖を手にする身なのでタクシーを利用したが、妻や孫達が知られる杉木立の道になると私だけは無理ですと言われ、そのまま乗車した状態で上の方まで行って待つことになったので残念だった。

観光案内パンフで見られる平安時代の衣装のレンタルもあり、それを着用して記念写真を撮影する人達もいるそうだが、1時間2000円、2時間3000円というレンタル料金は安くないような気がした。

古道巡りで持ち帰った案内状に次のような解説があった。

「昔の人々が熊野三山をお参りするために通った道を熊野古道といいます。全行程歩くには時間と健脚が必要です。京都を出発して淀川を下り、大阪の窪津王子から紀伊路に入り田辺に出て山道を歩く中辺地と海沿いの山道を歩く大辺路があります。中辺路は本宮大社にお参りし那智へ出ます。どちらも大門坂を通って那智大社へお参りしてもと来た道を戻るコースと、大雲取小雲取を越え本宮を経て戻るコースとがあります」

ニュースで意外なことを知った。それは和歌山県を訪れる外国人がびっくりするほど多いということで、熊野古道や勝浦、白浜にと思っていたらそうではなく、関西空港から近い和歌山市内のホテルを利用する人達がいるからで、大阪市内のホテルが高額で予約し難いという情報からそうなっているそうだ。

東京ではビジネスホテルが高額料金になって話題になっているが、外国人観光客だけではなく国内の出張ビジネスマンの批判的な声も大きい。

過日のニュースで名古屋市内のホテルが満室だったので豊橋のビジネスホテルに宿泊したというケースや、外国のネット情報で日本に旅行するならファッションホテルの利用も勧められている事実もあるし、我が大阪の西成区内の低価格の宿泊施設を利用する外国人も増えているそうだ。

今号の結びは過去に「独り言」で紹介したことのあるマザー・テレサの名言を書いておこう。

「思考に気をつけなさい それは いつか言葉になるから」
「言葉に気をつけなさい それは いつか行動になるから」
「行動に気をつけなさい それは いつか習慣になるから」
「習慣に気をつけなさい それは いつか正確になるから」
「正確に気をつけなさい それは いつか運命になるから」

前号に続いて  NO 3566

前号で「宗教の情報冊子」に触れたが、一昨日にある駅の構内で手渡されたのがまた小冊子。毎週日曜日発行の月間80万部発行して1億枚突破と枠外に表記されていた。

「陽気ぐらし新聞」というタイトルから天理教だと分かるが、「2045年に人工知能が人間を越えて予測不能の時代に急激に突入する。今、最も必要なことは『人間の再認識』である」という「アルヴィン・ㇳフラー」の言葉も紹介されていた。

二つ折りのページを開くと「ハートの時代」とタイトルされた次の文章があった。

「四百年続いた産業社会は今、終ろうとしています。そして情報社会が始まりました。『背中に汗して働く』とは言わなくなり『額に汗して働く』と言うようになりました」

「物不足の時代が長く続きましたが、最近は、物があふれて困る時代となりました。一つ物を買うためには、一つ物を捨てなければなりません。最近は、形よりも心を大切に、重きを置くようになりました」

「お客様に喜んでいただきたいと、満足をしていただきたい、感動をしていただきたいと、
ビジネスは変わり始めました。人類はハートに汗して働く時代に替わり始めているのかもしれません」

2回も続けて天理教の発行している広報文を採り上げたら、私が天理教の信者のように誤解されるかもしれませんが、私は仏教を信仰する立場であることを断言しておきます。

職業上、様々な宗教に関して接することになり、本山や本部と呼ばれる地へ参拝したことも多くあるが、読んでみて紹介に値するものはこれまでにも何度か紹介しており、様々な宗教だった筈である。

「司馬遼太郎氏」が日本人の信仰について世界では稀と分析されていた書物を読んだことがあるが、お寺にも神社にも参拝する日本人とは氏の言われるように不思議なのかもしれない。

毎年、1月2日に法相宗の本山として知られる奈良の「興福寺」が、春日社参式という行事で近くの春日大社へ住職達が参拝され、宮司さんや住職達が一緒になって神社内で行われる恒例行事も有名で、それらもその表れと考えられる。

家伝統の宗教が仏教でも神社への宮参りや新年の初詣も抵抗なく行われ、伊勢神宮が式年遷宮の年に参拝された人数を考えると、そこに日本人らしさがあると言えるのかもしれないし、最近はクリスチャン形式の結婚式が増えたが、昔は神前結婚式が主流だったが、何度か仏前結婚式の司会を担当したこともあり、これもお勧めだと思っている。

宗教の情報冊子から  NO 3565

我が家のポストは様々なポスティングが入る、冠婚葬祭互助会のもあったし、葬儀社が保存しておいてくださいと書かれたパンフレットもあったが、近所の方々が気分が悪いと話題になっていた。

前にも紹介したことがあるが、ある大手冠婚葬祭がポスティングされたチラシで次の日の朝の喫茶店で物議になったことがあった。チラシの枠外に「この企画は年内有効」とあったからで、「今年中に死ななければいけない訳だ」「早く死んでくれということだな」とみなさんが驚かれた訳である。

営業戦略として様々な業種でポスティングを行っているが、葬儀社がするべきではないというのが私の哲学である。

深いご佛縁に結ばれる愛媛県松山市にある葬儀社が創業者の残した信念から一切チラシを制作しないということをずっと続けているので賛辞したいが、創業者は葬儀社スーパーみたいな「物」を売る軽い仕事ではなく「人」に関する重い仕事であり、チラシを制作するなんて考えられないことだということ。その会社は現在で3代目となっているが、その企業理念は頑なに遵守されている。

最近のポスティングに多いのが宗教に関する情報誌で、今年になってからも「エホバの証人」「崇教真光」「幸福の科学」「天理教」が入っていた。

宗教は世の中が平和であると「心を大切に」と活動が活発になるし、社会が不安に襲われると「今こそ宗教が」と行動されることもある。どちらにしても活動されるのが宗教の存在意義と言えるかもしれないが、何処かの原理主義みたいに自分達だけの利益のために多くの被害者を巻き込む蛮行だけは許し難いことである。

今日、帰宅すると天理教の小冊子が投函されていた。私は仕事柄様々な宗教との交流があって少しは学んだつもりだが、この小冊子の内容は悪くないので紹介しよう。

「天理時報」は楽しい信仰生活へのご招待状です。と枠外に書かれ、「低い所に運命は開ける」というタイトルで次のように掲載されていた。

「山の上は高いが狭い。山の裾は低くて広い。低い所には水も肥料も流れて来るから、木は根を張り枝を茂らせて大木になるが、山の上の木は大木になりにくい。気位が高くて鼻先で人に応対する人の側へは誰も寄りつかないが、心が低くて誰にでも明るい態度で頭を下げる親切な人の周囲にはだんだん人が集まってくる」

「人が集まるくらいであれば運命が開けてくる。自分の生活ばかりではなく、子や孫の先まで栄えてゆく道は、一時の手段だけでは成り立たない。明るくて親切で、低くて広い、そんな心づくりから出発してゆけば運命の肥料がどんどん集まって年々に栄えて行くのは自然でしょう」(碇 正宜「八月の言葉」)

裏面には「まいたる種は生える」というタイトルで次の文章があった。

「悪いことをして、しかられていいわけする人もいる。悪いことして、しかられて、すみませんと謝る人もある。良いことをして、しかられていいわけする人もある。良いことをして、しかられ、悪く言われて、すみませんとニッコリ笑ってお詫びする人もある。皆それぞれ、種の生え方が違うのです」

社葬の形式変化から  NO 3564

大阪の地下鉄御堂筋線は堺市方面の「中百舌鳥(なかもず)」から天王寺、難波、梅田、新大阪駅を経て北急行線として千里中央駅まで結んでいる。

各駅に着く前に「次は」とアナウンスが流れるが、数社の案内CMが流れて「次の駅で降りてください」と案内される。

御堂筋の心斎橋と淀屋橋の間に「本町駅」があるが、この駅の案内には「浄土真宗 南御堂・北御堂」という言葉も入る。南御堂は真宗大谷派の大阪別院で果たして「浄土真宗」という言葉に続いて問題ないのだろうかと考えてしまった。

30年前の時代に大阪で大規模な社葬の式場の代表格が南御堂と北御堂だった。それが一流企業、大企業を象徴するような選択で、暑い時でも寒い時でも2時間という葬儀告別式が執り行われていた。

今なら密葬義を終えてから本葬儀を行う式場はホテルが潮流。そこに宗教者を招くことも少なく、「偲ぶ会」や「お別れの会」という形式となっている。

20世紀の終盤の頃、そんな時代の到来を予測して発想したのが「告別献花式」で、宗教者に務めていただくケースと無宗教形式の選択が可能となっていたが、しっかりとした「儀式」ということだけは忘れないようにしていた。

単なる「会」として「司会者」が担当するのは故人に対して失礼で、人生最後の重要な「式」だから「司式者」が担当するべきというのが持論で、それらの実践は施主、宗教者、参列者から大きな賛同を頂戴した歴史もある。

正直に言って司式者的な司会を担当出来る葬儀社は皆無だろう。ゼロから流れを発想してオリジナル形式で式次第を構築し、そこで進行するアナウンスコメントも今まで誰も発想もしなかったものを実験的に行ってみたら、その反響を想像もしなかったほど歓迎され、参列された方々のご体感から遠方からご依頼をいただいたことも少なくなかった。

「会場空間」を「儀式空間」として神変させることも式次第に組み入れ、それらも宗教者から歓迎と賛同を頂戴することになったが、最近のホテルが提供している「偲ぶ会」や「お別れの会」はホテルが得意としていた「おもてなし」と「飲食」を重視し、最も重要な儀式とという部分が不得意だったところから「第一部」が薄らぎ「第二部」だけが流れとなってしまっており、参列者から「こんなことなら無駄」という言葉さえ出るようになり、やがては減少して行く傾向にあると断言するところである。

受付がある。そこで芳名帳に記入したり名刺を差し出して会場へ行くと、ホテルスタッフが立っていて「ご献花を」と一輪の花を手渡される。大きいご遺影の飾られた立派な祭壇があるが、その前の献花台に奉呈すると次の会場に移るように促される。そこに入るとすぐにウェルカムドリンクが出て来て故人の思い出話となれば幸いだが、故人と直接交流のあった人は少ないよう。ビジネスの関係から義理的に参列したが、施主側も義理的に施行しているケースもあるので寂しい限りだ。

ある地方の葬儀式場が車の中からお別れ可能という「ドライブスルー型」の形式を提案して話題を呼んでいるが、それこそ「お笑い的」な発想だと指摘したい。故人に失礼なことをしないのが終焉の儀式で最も大切にしたいことだからで、葬儀とは誰のためのものかを真剣に考えたい。

放送用語  NO 3563

弊社の葬儀の司会を担当している女性は著名なアナウンサーとして脚光を浴びていた歴史もあるし、「読み聞かせ」に関する著書も発刊している。

インタビューを担当した有名人も数々あり、「尾形拳さん」「岩下志摩さん」「倉本聰さん」などがいる。

彼女の司会の中でナレーションは秀逸であり、特に「鍵カッコ」の部分は彼女ならではの世界である。

彼女のアナウンスやコメントを耳にしている中で気付くのがアナウンサーという仕事から「二重敬語」を絶対に使わないということだ。葬儀の世界には非日常的なことからそんな敬語も混乱している事実もある。弔電の文章で出て来る「御母堂様」や「御尊父様」は二重どころではないと気付かれるだろうが、この言葉に変わる言葉を考えると簡単ではないだろう。

昔、私自身もアナウンスの勉強をしたことがある。当時のNHKでは公共放送なので細かい配慮も重要で、夏の風物詩である「海辺の西瓜割」や秋の風物詩である「運動会の二人三脚」などを流すことも禁じられていた。

前者は目の不自由な方に失礼で、後者は足の不自由な方に失礼ということからだが、ドラマの中で商品のメーカー名が映し出されることも法度で、ビール瓶な登場する時はラベルが入らないように配慮されていた。

そんな例についてネットの記事の中で特集されていたページが目に留まったので紹介を。

エレクトーン    ヤマハの商品名なので電子オルガンに
宅急便       ヤマト運輸の言葉なので宅配便に
ジェットスキー   メーカーのネーミングなので水上バイクに
セロテープ     製造企業のオリジナルなので粘着テープに
シーチキン     はごろも独自の物なので油漬け缶詰
シャープペンシル  シャープのオリジナルなのでメカニカルペンシルに
ポリバケツ     製造企業のオリジナルなのでプラスチックバケツに
ボンドやセメダイン 製造企業の商品名なので接着剤に
マジックペン    製造企業のオリジナルなのでフエルトペンに

いやはや放送用語とは神経を遣うものである。

命って!  NO 3562

軽井沢近くの国道18号線で起きた大型バスの悲惨な事故は衝撃だった。若い14人の命が終焉してしまうことになった。雪のゲレンデを楽しみに参加申し込みをした人達がそんな事故に遭遇するとは夢にも思わなかった筈である。

そんな悲しい出来事が起きてもテレビでは相変わらずお笑いの番組を放送しているし、歌番組も流れている。世界のあちこちでテロ事件も起きているし、明日の生活に不安しかない難民の存在もある。

我が国内でも東日本大震災と原発事故で避難を余儀なくされた人達存在もあるし、拉致された家族のことをずっと待ち続けている人達もいる。

そんな中でミサイルや水爆を実験する独裁者もいるのだから社会とは複雑なもので憤りを感じる人が少なくないだろう。

かつて大阪大学の法医の場所が中之島近くにあった。検視をいう不幸があってご家族から依頼があると寝台自動車スタッフと共にお迎えに参上したこともあったが、その場所からロイヤルホテルが目の前に見える。最上階のレストランで楽しい食事のひとときを過ごしている人もいるだろうが、自分が担当するお客様は想像もしなかった不幸に遭遇されて衝撃を受けておられる。

そこでいつもそんな両者の立場のことを思い浮かべていたが、世の中や社会は何もなかったように時間が流れている。

毎日3000軒以上の葬儀が国内で行われている。その日の夜にまた3000軒のお通夜が行われている。そんな事実を知る我々葬儀社は命のことや悲しみに対する理解が普通以上に強いのだろう。 

大切な家族を亡くして「遺族」と呼ばれることは体験した人にしか理解不可能なストレスに襲われる。それが突然となると想像を絶するレベルとなる。「怒り・判断力低下・絶望感・自責感・孤独感」などに苛まれる状態になり、酷くなれば幻覚や幻聴まで出て来るというのだから大変なことだ。

昔、葬祭心理学を学んだ時、自分や自分の伴侶が医師から「ガン」の宣告を受けた場合、それから同年代の人を見ると「どうしてこの連中は健康なのだ」というような怒りを覚えるようになる心理環境を知ったが、それだけに事故の加害者にならないようにと考えて来た。

さて、昨年の7月7日からスタートした「幸せ列車」の短編小説「女将シリーズ」だが、近所の人達からも声を掛けられることもあってしばらく継続しなければならないので大変だ。

もうすぐ200人の女将が登場したことになる。前に書いたがストーリーより女将の名前を考える苦労で疲れてしまう。「どこからストーリーを?」と質問されることも多いが、日々の散歩の途中で思い浮かべたことが最も多い。

身体の調子が悪いし、目もいよいよ大変になって来たが、生かされている内はこのコラムや「独り言」「女将シリーズ」「まぐまぐブログ」の更新を続けるつもり。誤字脱字に変換ミスが多いと思うが、目と指先の不自由な障害者が発信しているとご海容くださるよ手を合わせます。

新しい年を迎えて  NO 3561

このページには昨年に大切なご家族を亡くされて喪中にあり、年賀をご遠慮されている方もあり、それらの表記はいたしませんのでご海容くださいませ。

朝を迎えない夜はない。春を迎えない冬はない。そんな言葉を思い浮かべながら北国の厳しい冬の季節に耐え偲ばれている方々が、いつか迎えられる春の訪れを願っています。

昨秋に友人が高速道路で居眠り運転から左路肩のガードレールに接触、その反動で追い越し車線に飛び出し、避け切れなかった乗用車が激突するという大事故となり、3時間も通行止めになっていたことを知った。

事故を起こした車の写真を見せてくれたが、左側面が何もない状態。これで右の上腕部に少し痛みを覚えただけというのだから信じられない話だが、「命を拾った。これからの人生は謙虚に過ごす」と語っていたが、まさに奇跡的なレベルなので驚かされた。

居眠り運転とは恐ろしいことだ。ハンドルを持ったまま眠ってしまうのだから大変である。「眠くなったらガムを」なんて言葉もあるが、様々な体験話を総合すると簡単な解決方法はなく、サーボスエリアに立ち寄って仮眠するのが最善のようである。

問題はサービスエリアに入って停車した時である。眼が冴えて眠れないことになり、もう大丈夫だと走り出すと5分も経たない内に同じ眠気に襲われるのだから始末が悪いのである。

専門家の意見によると冷たい水で顔を洗うことが早急の対策みたいだが、暖房環境の車内で10分も過ごせば睡魔が襲って来ることを理解し、経験社にしか分からないことだが、本当に気持ちよく眠ってしまうから恐ろしいのである。

高速道路のサービスエリア内にスーパー銭湯みたいな施設が登場しているところもあるし、東名の足柄や名神の多賀には宿泊施設もあるので利用することも考えるべきだろう。

高速道路と並行する国道や県道のどちらからでも立ち寄られる「道の駅」みたいな施設も登場しているし、実験的に行われていたサービスエリアからETCでそのまま高速道路から降りられるところも次々に増えているので行く前に情報を調べておきたいものだが、冬の山間部の走行は冬用タイヤやチェーンの携行は当たり前で、水や食料を積み込んでおくことも大切である。

1台の車がノーマルタイヤで動けなくなり、後方の車が数珠つなぎで渋滞してしまい、大雪から車内2日間を過ごされた人の体験話しがあったが、水と軽食を積んでいたので助かったと語られていたことが印象に残っている。

ここで雪国に人から教えて貰った知恵を紹介しておこう。それは積雪している時にコンビニやファミレスに立ち寄った時の対処だが、さて出発しようとノーマルタイヤが空転したらどうにもならず、発車する時はサイドブレーキを半分程度掛けておくというテクニックである。つまり「滑らないように転がす」という発想だが、ここに体験者の知恵があることを学びたい。

思い出したこと  NO 3560

新聞のページを開いていると大きな広告紙面が目に留まった。それはある仏教宗派の構想が著された書物の内容で、是非拝読したいと思った。

著者のプロフィールの中に「天皇陛下の従弟」と紹介されていたが、随分昔に東京で大規模な式典でプロデュースと司会を担当した際、導師を務められた構想も「天皇陛下の従弟」の方だったので緊張したことを憶えている。

過日に天王寺駅の近くで声を掛けられた女性との会話の中に、皇居内の清掃に参加して来られた体験談があったが、日本人の文化の中で皇居内に入られたことは特別な思いを感じて幸せでしたとしみじみ話されていたのが印象に残っている。

我が夫婦が毎年恒例になっているあるお寺の団参だが、私がどうしても行けなかった年のこと、団参の総代さんの親戚の方が皇宮警察の要職におられ、芝の増上寺の特別な世界を拝観した後、皇居の一部に入ることが出来て皆さんが感動され、それ聞いて残念な思いを抱いたことが数年前にあった。

その総代さんも昨年末にご逝去され、今年を迎えられてからホテルで「偲ぶ会」が行われたが、今春に山口県に団参で宿泊したホテルでの夕食前に献杯を捧げたことを思い出す。

このお寺の団参は国内に限らず、ヨーロッパ、カナダ、インド、スリランカ、ハワイ、アメリカ、ブラジルなども行われており、現地のお寺の檀家さん達と交流もあって楽しみにされている人も多いが、私は海外までは無理なので代行として妻が参加している。

私が近年の団参で行ったのは「甲斐善光寺」「岡山県誕生寺」「岡山県室津の浄雲寺」「香川県法然寺」「山口県青海島西園寺・向岸寺」などだが、この先どれほど行けるかは体調に大きく左右される問題なので不明である。

この団参の歴史の中で忘れられない出来事があった。インドへの団参で出掛けていた妻が、ガンジス川の地点のホテルで実家の母の訃報を知り、添乗員の世話で成田から九州までの航空券を手配して貰い、喪服は車で私が持参することになって大変だった。

余計な話だが、ツアーから異なる航空便は実費となり、高額な航空運賃を支払うことになったが、人生の歴史の中にはこんなことも起きるのである。

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