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過去・現在・未来  NO 3513

この世から去る瞬間は人様々、大勢の家族に看取られながら闘病生活を過ごした病室で静かに息を引き取る人もあれば、想像もしなかった災難に遭遇して悲しくも命を終える人もいる。

世の中にはおかしな人達が多数いることも事実。飲酒運転、危険ドラッグ吸引、無免許運転、検査切れ車両の運転、盗難車など考えてみれば危険がいっぱいあるが、社会の時の流れに危険なことは増える一方で、認知症による高速道路の逆走もあるし、高齢者に多いアクセルとブレーキの踏み違いという問題も増加の一途である。

7月の下旬、JR大阪駅のタクシー乗り場で、1台のタクシーが暴走して構内の柱に激突した事故が報じられていたが、その原因がアクセルとブレーキの踏み間違いで、プロである筈のタクシードライバーでもこんなミスを犯すのだと衝撃を受けた。 

過去に書いたことだが、「伊丹十三さん」が監督されて話題となった映画「お葬式」で、対談して欲しいと依頼があり「北御堂」で映画評論家の「浜村淳氏」、ボヤキ漫才で知られた「人生幸朗師匠」の奥様と話し合い、その内容が「御堂さん」という月刊誌に掲載されたことがあった。

この時に印象に残っているのが「浜村淳氏」が発言されたことで、過去に「有吉佐和子さん」原作の「恍惚の人」が映画化された際、テレビ局が何度も放映させて欲しいと切望しても、有吉さんは頑なに拒否され、その理由として「恍惚の問題は誰にも起こり得ることで重要な社会問題のひとつです。だから家庭で寝転んで観たり食事をしながら観るのではなく、映画館に足を運んで貰って観て欲しいのです」ということで、「浜村氏」は映画「お葬式がその第二弾となるかもしれませんよ」と指摘評価されたのだが、残念ながらそれから半年も経たない内にテレビで流れていたのでショックだった。

振り返れば「有吉佐和子さん」が題材に採り上げられた問題は先見性からすると突出しており、環境問題や南西諸島の問題などを随分昔から指摘されていたことに驚嘆している。

女性の著名人で目立った発言をされているのは「曽野綾子さん」と「櫻井よしこさん」だが、最近の中国問題について的を射ている問題提起をされていたので興味を覚えた。

さて、キリスト教を信仰する国では臨終が近いと牧師さんや神父さんから病室で安堵に繋がる教えを求めることも普通に行われているが、我が国で病院の廊下を僧衣の姿で歩くと「縁起でもない」と顰蹙を買うのが現実で、この差は何だろうとずっと昔から疑問に思っていた問題だった。

社会に「ホスピス」という施設が求められて実現した歴史があるが、そこでは末期症状で緩和処置だけで過ごす患者さん達が存在し、専門と言われる医師や看護師さんだけでは限度があり、宗教も不可欠ではと考えられ、積極的に研鑽することが進められ、そこに「臨床宗教師」という存在がクローズアップされて来た。

仏教には様々な宗派があるし、それぞれの教義の異なりからすると簡単ではない問題もあるが、グローバルに超越する考え方で超宗派的な観点から医療スタッフの一員として活動する重要性を見出し、今後の存在が大いに期待されるようになっていることは歓迎するべきであろう。

死と目の前で向き合う患者さん。そして看取る立場の家族、近い将来に「遺族」と呼ばれる立場になってしまう。その両者に「安堵感」を与えるのは宗教者の務めとしては存在意義が高いだろうし、人を「幸せにする仕事」にあって「少しでも不幸でないようにする」行為は立派な仕事の責務だと思っている。