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音楽のこと  NO 3495

今日の号はちょっと長々と続くが、耐えていただきながらご笑覧を。

昔のテレビの歌番組の司会で「名文句」とされていたのが「玉置宏さん」の「歌は世につれ 世は歌につれ」だが、この言葉は紅白歌合戦の司会を担当された国民的アナウンサーとして知られていた「宮田輝さん」も時折に語られていた。

その時代にラジオやテレビが流れて来るヒット曲、その旋律が耳から入って心の扉を開け、何時しか記憶の引き出しに収められることになり、何年経っても耳にするとその当時のことが思い出されて来るものである。

大切な方の大切な最後の儀式に、故人がお好きだった曲を流すことも増えたし、ご遺族が「いつも聴いていたCDです。闘病生活を過ごしていた病室でも聴いていました」と持ち込まれるようなことも多くなった。

数日前、毎週水曜日に発信している「まぐまぐブログ」の原稿を数本分書かなければならず、一本のテーマにそんなケースでの著作権問題について書いておいた。

お客様が「流して欲しい」とご要望されても、厳密に言うと著作権問題に抵触することになり、我々葬儀社はその対応をクリアしておく必要があることになる。

「作詞」「作曲」「歌手」「音源」などの権利を法律に基づいてガードしているのが著作権協会だが、知的所有権に関して認識するのは文化国家の原則であり、それらはプロの世界では常識と言われているので中国社会の現実は文化国家とは程遠いと言えるだろう。

これまでに多くのブライダルや葬儀の司会者の指導をして来た歴史があるが、著作権フリーとなっているもの以外を演出として使用する音楽に関して著作権に対する意識が想像以上に低く、そのことを教えると「知らなかった」という言葉が飛び交うのが現実だった。

ブライダルの司会者でも新郎新婦が用意されるCDを流されるケースもあり、入場、ケーキ入刀、色直しなどそれぞれを考えられ、数曲を1枚のCDに収録されて来るケースもあるが、自分で楽しむ範囲なら可能だが、披露宴で使用するとなれば演出活用となり、コピー収録したこと、使用したことの両方が抵触することになるので気を付けたい。

昔、大規模なチャリティーコンサートのプロデュースと司会を担当した際、映画音楽が中心だったのでジャスラックの事務所に行って申請を済ませ、著作権使用料を支払って来たことがあった。

プロとして法に抵触することはしたくないし、もしも指摘されることになったら恥ずかしいからである。

大手のホテルのバンケットルームなら、ジャスラックと年間契約を行っている筈で、部屋の広さや収容人員によって契約料金が異なるシステムだが、そんな会場で演出に使用する場合の制限があり、自分でコピーしたCDやMDは一切使用出来ず、市販されている現物という条件が付加されている。

作詞者、作曲者など有権利者に許可を申請するのが大変なのでそれらを一括として窓口となっているのがジャスラックなのだが、中には使用不可という楽曲もあるそうだ。

弊社では、葬儀式場のオープンと同時にその対応を進め、お客様が持ち込まれる現物のCDなら可能となっているが、そんな対応をしている葬儀社は全国に数えるほどしかないのが現実だろう。

著作権の問題で知られているのは映画「ローマの休日」で、オープニングタイトルとエンドロールに著作権に関する表記がなかったことから、制作公開された1953年当時のアメリカの法律から「権利放棄」と判断され、俗に謂われる「パブリックドメイン」となっていた。

それから50年が経った2003年、待ってましたのように日本国内の各社がDVDで販売を始めたが、パラマウント社が侵害していると提訴。やがて最高裁の判決で国内法の50年経過ということからパブリックドメインと下された歴史がある。

また、音楽著作権に対して欧米諸国では死後70年間という法があり、各国との法律の異なりで問題になることもあるようだ。

クラシックの世界で有名なのは、ショパンが遺言で未発表作品を焼却するように弟子達に命じたが守られなかったことや、マーラーの交響曲「復活」は、第一楽章と第二楽章の間で「5分間」開けると指示されていたそうだが、「白けタイム」になると無視されたケースも語り継がれている。

特筆するべきなのは交響曲「惑星」のホルストで、本人と遺族の意思から編曲やオーケストラの編成の変更、そして抜粋演奏が禁じられていたことも有名で、人気の高い「ジュピター(木星)」だけ演奏するのが難しかった歴史がある。

私の人生の「生かされた証し」として葬儀専門音楽CD「慈曲」を監修したこともある。収録されている10曲の内1曲だけは私の作曲だが、有名だった読売テレビの「宗教の時間」で特集され、作曲者と私が出演したこともあった。

その収録曲の中に「時空を超えて」という曲があるが、これは悲しみの皆様を慰めたり癒したりする目的で作曲者が心を込めて描いた旋律で、そのテレビ番組の中でも採り上げられていた。