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健康のために  NO 3389

 高齢社会の到来を迎えて高齢者向けの施設が増えている。そこで人生のご終焉を迎えられ、偶々何かのご仏縁から弊社の式場でお葬式を担当させていただくこともあるが、参列される施設のスタッフの皆さんはあちこちの葬儀式場へ行かれるご経験もあり、葬儀に対する厳しいご意見をお持ちということも少なくない。

 そんなケースで弊社に対して高い評価をくださった方がおられ、それから遠方にも拘らず弊社にご用命をいただいて恐縮していることもある。

 また、初めて弊社の式場に来られたお寺様が、後日にそのお寺で行われる総代さんのお葬式をご依頼くださった出来事もあり、こんな有り難いご仏縁がと手を合わせている。

 遠方で行われたある葬儀で、初めてお会いしたお寺様が弊社の会葬礼状をご評価くださり、それからお檀家さんのお葬式をご紹介いただくご仏縁もあるので有り難いことである。

 スタッフに願っていることは事故を起こさない安全運転をすること。そしてミスをしないことだが、大手スーパーと契約しているような葬儀社と異なり、悲しみを理解しようと謙虚に学ぶ姿勢でプロの葬儀社を目指しなさいと託している。

葬祭業は隙間産業であると言われ、高齢社会の到来から成長産業と捉えられていたが、当時から斜陽産業であると分析、何処にもないオリジナルサービスの発想に取り組んで来た弊社は、今、全国各地でその地のベストワン、オンリーワンと称される葬儀社と深い交流を結び、協会での活動を通じて社会貢献への思いも抱いている。

「命の教育」「あの世の教育」も話題を集めているし、公的な「病院船」や「火葬船」の具現化を訴える活動も注目を浴びている。

 それらをビジネスとして発想している人達もいるが、我々の協会では純粋に国家事業として考えるべきと提唱しており、それらは予想される大災害への備えなのである。

 最近は事前相談が多いが、町を歩いていると止められて喫茶店に入ることもあるし、銭湯の中で上せるのを心配しながら話すケースもある。

 杖を手に散歩するのは身体を鍛えるためだが、昔なら衝動的に立ち寄ってしまった甘党の店も通過するようになったし、アルコールを一切飲まなくなったので行く店舗が少なくなったことも事実である。

 身体への負荷を与えた歩き方をと過去に教えて貰ったことがあった。着地して地面から離れる際に足の親指で蹴るようにして歩くと3倍ぐらいの疲れが生じるそうで、実際にやってみると想像以上に大変で、出来るだけその歩き方をしているが、お蔭で脹脛の辺りが痛いので参ってしまう。

自然の影響  NO 3388

 西日本から次々に来客があったが、あちこちの大雨で新幹線が運休したり遅延が続発して大変だったよう。

 迎えに行った寺田町駅の情報版で知ったことだが、関西線や山陽線でも運転見合わせが起きており、大和路線が入る大阪環状線でも遅れが表記されていた。

 局地的に降った大雨、名古屋市内では地下街に雨水が流れ込んで排水に大変だったそうだが、1時間に100ミリ以上も降るとは衝撃の雨量である。

 竜巻に突風に大雨とは異常気象そのもの。こんな事情からお通夜や葬儀に間に合わない方が出たらお気の毒である。

ある葬儀が始まろうとしている時、高速道路の通行止めで遅れているご親戚の方からの電話をやりとりされる喪主さんのお姿を目にしたことがあった。相手さんは故人の弟さんで、仕事の関係からお通夜に来られなくて葬儀当日に参列となったのだが、予想外の積雪で一般道を走行することを余儀なくされ、間違いなくご出棺の時間にも間に合わない事実が判明してしまった。

 ご到着されたのは火葬場近くの料亭で「御斎」を始められた頃。ご遺影に向かわれて「兄貴、申し訳ない」と号泣されたお姿が印象に残っている。

 我が国には四季の存在があるが、気象の自然に影響されることも極めて当然のこと。雨、雪、台風などに遭遇することもあるし、時には何処かで発生した事故の影響に巻き込まれることもあるだろう。

 この仕事の長い体験の中では、飛行機の欠航で来られなくなった方も少なくないし、利用されていた大型フェリーが故障から走行不能となってしまったケースもあった。式が始まっている時間に喪主さんや親戚の方に電話を入れるのは拙いと考えられ、弊社に連絡を依頼されることもあるが、こんな事実をお知らせする我々の立場も辛いものである。

 故人の故郷から来られるお寺様がお通夜に到着されずに困った出来事もあった。これも予想外の大雪から通行止めとなった事情からだが、導師を務められる方だったのだから大変だった。

 事情を説明して参列者には焼香をしていただき、喪主さんの挨拶も行われたが、7時から開式だった予定でお寺様が到着されたのは8時40分のことだった。

 ご読経の時にはご親戚以外の参列者は数えるほどしかおられなかったが、担当していた私は内心「葬儀当日でなかってよかった」と安堵していた。

自然の猛威  NO 3387

 大気が不安定みたいだが、昨日に越谷や千葉で発生した竜巻だけは起きて欲しくないもの。北の空が真黒だと思っていたら強い雨が断続的に降る一日となった。

 竜巻は時速60キロのスピードで移動して行ったらしいが、竜巻のスケールを表す藤田博士ゆかりの数値では「F2」だったそうが、自動車を横転させたりコンクリート製の電信柱を倒すパワーの恐ろしさには衝撃を受けた。

 防災の日の特集で、関東大震災のことが採り上げられていたが、その中に火災が原因で多くの犠牲者が出た事実があり、火災による竜巻とも言える「旋風」があちこちで発生し、目撃者によると馬が巻き上げられて飛んでいたという驚く体験が語られていた。

 この9月6日前後に大きな地震があるような予言をしている学者もいるようだが、建物の崩壊や津波の発生がない程度であって欲しいと手を合わす。

 あの東日本大震災が発生した時、多くの人達から賛辞の声が上がったのが東京ディズニーランドの対応で、そこには想定外の言葉を超越する想定内という事実があった。

 交通機関の不通で帰宅困難となったサラリーマン難民への対応で賛辞されたのが帝国ホテルで、約2000人の人達をロビーやバンケットルームに受け入れ、毛布、バスタオル、軽食などを振舞った行動に感謝する手紙や電話が相次いだそうだ。

 近くにある外資系ホテルは玄関に警備員を置き、宿泊客以外は阻止する対応をしていたそうだが、ホテルの語源がラテン語の「ホスピターレ」で、病院の「ホスピタル」やホスピタリティの語源になったことを知れば帝国ホテルの対応行動はもっと表面化されるべきと思っている。

 そんな難民の中に携帯電話のバッテリーが上がってしまって家族と連絡が取れない人がいたが、充電器の貸し出しで解決に至って感謝をされていた人のことも秘められた美談である。

 大地震で恐ろしいのは火災の発生だが、関東大震災の時に起きた「火災旋風」の一部に避難した人達が運んで来た家財道具に延焼したという分析もあった。

 大都市では最寄りの学校や公園が避難場所として指定されているが、校区内に在住される方々の人数や、校内にある樹木の存在を考えると決して安全ではないことも知っておきたい。

 これは私の短絡的な発想だが、近くの駅のホームから線路を歩いて郊外に向かうのが良いみたいで、我が家からすれば百済貨物駅か東部市場駅から奈良方面となるだろう。

 今日の天候は気まぐれだった。午前中は本館と西館のお葬式が重なっていたが、参列者の方々が濡れなかったのだろうかと心配した。

 夕方、雨が上がっていたので近くの蕎麦屋さんに行ったら、帰る時になって強い雨に降られ、女将さんから立派な傘を拝借してきた。

 夜のニュースで知ったが、高知県室戸で1時間に122ミリの豪雨が降ったそうだし、この夏の熱中症で搬送された人が5万6千人以上もあったそうで、大雨や暑さは、もっと強くなる危険性があると伝えていた。

思い出したこと  NO 3386

 防災の日であった昨日の「独り言」では「病院船」のことを書き、「幸せ列車」のコラムでは「大好きな話」と題して友人が体験したベンチャーズとの逸話について書いた。

 怒りを表すことを抑え「貸し」を作ることで自身がどれほど救われるかを学んだ出来事でもあったが、それはCTスキャン受けた際に造影剤が全て漏れていた医療ミスでも怒りを表さず、「どうしたら早く治るかを考えてください」と言って医師、看護師、事務長さんに驚かれた出来事もあった。

 そうそう、そんなCTスキャンを今日受けて来たが、診察された女医さんの言葉に問題があったので、「独り言」のコラムで愚痴を書いておいた。

 昨日のテレビ番組で北海道「登別温泉」の旅館「望楼野口」を特集する放送があった。ちょっと高額だが全てスイートという発想が人気を呼び、高い評価を受けているとのことだった。

 過去にこの旅館の宿泊を友人に勧められたことがあったが、妻が行けなくなってキャンセルした出来事もあったので一度は利用したいと考えている。

 昨秋に北海道を旅行したが、その際にオープンしたばかりのホテルに泊まろうと考えていたら、来阪した北海道の友人が関係グループの支配人と交流があるので任せてくださいと目の前で電話予約を入れてくれた。

その際に連絡した相手の人物が前述の登別の支配人だったらしいが、オープンしたばかりのホテルで想定外の出来事が起き、こんなことがと思う話の種になってしまった。

 北海道で数日を過ごし、その後東京に立ち寄って帰阪したのだが、数日後に宿泊したホテルから宅配便が届き、中にお菓子と謝罪の手紙を添えた宿泊招待券が入っていたからだった。

 内容を読んで何が起きたか理解するに至ったが、予約手配をしてくれた友人が支払いを済ませていたにも拘らず、内部連絡のミスから私から料金を受け取ってしまったという顛末である。

 ベンチャーズの逸話から他人に対して怒りを表さない人生を過ごそうと考えたところから、このハプニングにも自身が体験した様々な出来事を紹介する返信を書き、担当してくれた女性スタッフが素晴らしかった思い出にも触れ、彼女が青森県出身で登別温泉の「望楼野口」で研修を受けていたことについても記述。次回に行った際に担当してくれたらと希望で結んでおいた。

 私より友人の方へ丁重にとも書いておいたが、この謝罪対応でひとつ残念なことがあった。それは宿泊招待券の有効期限が2年間となっており、こんなケースではもっと大きな懐を見せなければと伝えたくなった。

 私なら、「当ホテルが存続している限り有効です」とちょっと遊び心を加えたかもしれないし、申込受付を2人のスタッフに限定するのではなく、宿泊窓口全スタッフとされたら内部連絡にプラス活用が生まれるような気がした。

備えあれば  NO 3385

 出張の帰路に疲れて予定外に温泉地に立ち寄ったことも何度かあった。車での移動が多かったのでそれも楽しみの一つだったが、その地の近くで時刻表の終章部分にある温泉名や旅館名を確認しながらイメージを膨らませるのは言葉で表現出来ないような「ワクワク感」を覚えるものだ。

 居眠り運転の危険性や濃い霧に包まれて危険と判断したケースもあったが、群馬県の「舌切り雀」伝説で知られる「磯部温泉」、長野県「別所温泉」「昼神温泉」などが印象に残っているが、九州からの帰路に立ち寄った山口県「湯田温泉」はお気に入りで、何度か訪れたことがある。

 福島県で旅館の火災のニュースがあったが、利用する場合には非常口や避難ルートを確認しておくことは重要で、煙が充満していても脱出出来る備えを考えておきたいものである。

 昔、自宅やお寺での葬儀が主流だった時代、いつも最悪のことを想定する性格から、消火器を持参していたことが懐かしい思い出となっている。知人の消火器専門会社に電話を入れ、お勧めを十数本購入したことを憶えているが、冬場の暖房設備を使用することや、祭壇設備で電気を多く消費することにも備え、外に2本、中に1本準備していたのでお客様の目に留まり、それだけでも防火につながる効果が生まれたような気がしていた。

 いざという時に消火器が機能しなかったら大変と、有効期限よりも随分前に交換して貰っていたが、幸いにもそれらを一回も使用することはなかったので手を合わせている。

 ある大きなお寺で葬儀が行われている時、親族の方々の焼香が終わって代表者の焼香時間となり式場の外へ出たら、空が真っ暗な状態になり今にも夕立が降りそうで覚悟した。

 式場の玄関に並ばれた喪主さんやご親戚の方々も心配の様子で空を見上げられている。どうか降らないでと祈った思いも空しく、すぐに大粒の雨が落ちて来てしまった。

 テント設備に入れない参列者が100人ぐらいおられる。その人達に10名の接待担当スタッフが傘を持って手渡す行動を始めた。

 夕立は五分ほどで止んでくれたが、300本用意してあった傘が見事に役立ってくれて安堵した。

 火葬場へ向かう車の中、「空を見上げた時はやばいと思ったが、よくぞ傘を準備してくれていたものだ。あの瞬間によい葬儀社を選択したと思えたよ」と仰ってくださった喪主さん。サービスとはいざという時に備える発想も大切なのである。

こんなご仏縁も  NO 3384

 葬儀社を下請け化して葬儀の申し込みを受け付け、そこで手数料をと考えた大手流通グループの存在があり、ネットの広告を派手に打ち出しているようだが、発想が提案する側の利益追求にあるため、お客様のメリットは少なく、気付いた葬儀社が手数料を支払う発想はおかしいと加盟から脱退しているケースも出ているようだ。

 そんなグループの子会社が、今度は「供養」と「納骨」のビジネス展開を打ち出した。とにかく「売上」が第一の企画のよう。社会性や歴史の責務がどうであろうと、親会社からの命に逆らうことは縦社会では無理なこと。

 部下の手柄は上司のもの。上司のミスは部下の責任なんて言葉が流行しているが、そんな言葉を思い出しながら「気の毒に」と「何でもあり」の現実に憂いを感じている。

「コンビニは24時間営業だから、葬儀を受付したら行けるのではないか?」と、そんな短絡的な発想で展開したコンビニグループもあったが、大切な人の大切な最後の儀式をスーパーやコンビニに託する発想に将来はないと断言する。

 最近に話題になっている不適切写真のネット投稿だが、あまりにも軽過ぎる人達が無責任に葬儀を受け付けると考えるだけでも寂しくなり、日本の社会がいよいよおかしくなって来ているように思えるこの頃である。

 この問題は昨日の号で書いた「命の大切さ」「命の教育」「あの世の教育」にも関係する問題で、人の死が「処理」として捉えられることがどれほど冒涜しているかを真剣に考えて欲しいものである。

 葬儀は「プロ」の領域が求められる仕事である。なのにビジネス窓口での受付やアルバイト店員が対応するとはおかしなこと。この間違いこそが悲劇であり、そのことに気付かない人達が喜劇の中に踊っているような気がする。

 数年前、友人の息子さんの結婚披露宴に出席したら、隣席に座られた人物がタクシー会社の経営者で、名刺交換をしたら私の仕事を知られて驚かれていた。

 やがて飲食が始まって様々な話を交わしたが、私が申し上げた二つの話に想像もしなかったぐらい興味を抱かれ、「今日は偶然に隣同士になってこんな話が聞けるとは」と感謝されることになった。

 一つはタクシー強盗から運転手の皆さんがどのように命を守るかということで、3万円から4万円程度で命を落とすなんて最悪と指摘。犯人は心理的に捕まりたくないから危害を与えようとするのだから、同情することを見せるだけで随分と負傷する割合が減るというものだった。

 これは「命の教育」にもつながる問題で、「こんな犯罪をするなんて、よほど事情があるのだろう。私も昔に苦労したことがあるからアドバイスするが、これを最後にしておきなさいよ。早く逃げなさい」

 この同情と逃亡を促すだけで犯罪者の切迫感は大きく異なることになり、刃物で殺傷する行為が間違いなく低くなるものである。

 そして、もう一つのことだが、過去に体験した悲しい葬儀のことだった。タクシー会社から葬儀の依頼があり、「幼い子供を巻き込んだ事故が起き、遺族側から最高の葬儀社を手配しろと言われて電話をしたのです」と言われたのだが、被害者の方に「葬儀社に断られました。加害者側からの立場で葬儀を担当しても内容ある葬儀は不可能です。被害者側の思いを十分に伺って担当するのが理想で、被害者側からの依頼が重要なのです」

 そんなやりとりをそのまま被害者側に伝えたタクシー会社だが、被害者側はすぐに弊社に葬儀依頼の行動をされ、心残りのないよう、そして思いを「かたち」にする葬儀が執り行われる結果となった。

 これを加害者側の依頼で担当していたらどうなっていただろう。タクシー会社の社長さんは、この二つの話を真剣に聞かれ、「勉強になりました」と握手を交わしてお帰りになった。

思い出したこと  NO 3383

 三重県で中学生が殺害されたニュースがあった。こんな凶悪事件が次々に起きている現実に驚愕。絶対に「あの世」の教育を訴えなければならないという思いを強くした。

 事故や事件の被害者のお通夜や葬儀の光景は誰もが体験したくない世界があり、そこから逃げ出したいという人達も多い。葬儀社という仕事に従事していると、そんな担当したくないお気の毒なケースに遭遇することもあるので大変だ。

 今日のニュースで「事故や事件の被害者の家族の会」という組織が、文科省に問題提起している映像が目に留まったが、「いじめ」の問題でも「教育委員会」や「学校」側の保身的行動に強い疑問を訴えられていた。

「命を大切に」「命の教育」と文字で書いたら簡単だが、子供達にどのように伝えるかは簡単ではなく、葬儀業界のプロ達が「協会」を組織して真剣にその問題に取り組んでいる。

「あなたがもしも亡くなってしまったら、誰がどのように悲しむのだろうか?」
「いじめられて被害者になっても、加害者が生きていることはおかしくない?」

 そんな言葉を考えることも必要だし、昔、学校が荒れた時代に「問題児」を集めて話す機会があったが、その際に語り掛けた次の言葉が思わぬ影響を与えた事実があった。

「君達は、何歳でこの世を出立すると思うか?」
「君達が亡くなる時、それは畳の上だろうか?それとも病院のベッドの上だろうか?」
「君達が亡くなる時、看取ってくれているのは誰だろうか?君達の子供、それとも奥さん?」
「君達のお父さんやお母さんは何歳で亡くなると思う?」
「死んだら『この世』と『あの世』があると言われているが、君達は『あの世』を信じているか?」

 校長や生活指導の先生の話を一切無視していた彼らだが、上述の質問をした私の話には不思議と真剣な表情で接してくれ、先生達が驚かれていたが、そんなテーマで考えたことがこれまでになかったからとも言えるだろう。

「あの世」の教育とは「来世」の存在を信じることで、「この世」で悪いことをしてはいけないことを理解する訳だが、昔の爺ちゃん、婆ちゃんが言って聞かせてくれた話を今の時代に実践することが社会を大きく変化させることになると考えたい。

「道の中央を堂々と歩ける人生でありたい」
「来世に夢を託して出立出来る人生でありたい」

「夢半ば」「惜しまれてならない」なんて送る言葉を拝聴したこともあるが、人としてこの世に誕生したら上述の二つが全う出来たら立派ではないか。変なことばかり書いていると思われる方もおられるだろうが、「あの世」の教育は真剣に考えているテーマである。

逸話から  NO 3382

「幸せ列車」のコラムでは迷信について書き、「独り言」では最近に目立って多い不適切写真の投稿について触れた。

 葬儀という仕事に影響を及ぼす迷信と言えば「友引」であるが、東京では友引の日は火葬場が休日となっているところから葬儀は行われず、友引の次の日に多くの葬儀が重なることになる。

 我が大阪市内では休日ということはなく、今から30年ほど前は通常の日の半分程度に減少していたが、最近ではあまり変わらなくなりつつある状況である。

 迷信や占いに左右されることなくと説かれた親鸞聖人の教えもあり、浄土真宗系では抵抗が少ないようだが、ご近所やご親戚の意見もあって気にされる方が少なくないようで、遅らせるケースもあることも事実である。

 一日延ばすとご親戚の方々への飲食接待費が増えるところから決行されるケースもあるが、元々は「共に引き合って勝負なし」という意味だったのにどうして?という思いを抱いている。

 前にも書いたことがあるが、巨人軍の名誉監督である長嶋氏について語り継がれている出来事があるので紹介しておこう。

 長嶋氏が現役の監督時代、ペナントレースも終盤を迎え、後楽園球場で優勝を左右する重要な試合に向けて大型バスで移動している時、擦れ違ったのが霊柩車。監督は選手に向かって「縁起がよい。今日の試合は勝てる」と言われ、その日の結果は幸運に恵まれることもあって勝利することになった。

 そして次の日、連戦で球場へ向かうバスの中で、「運転手さん、霊柩車に遭遇するまで走りましょうよ」と願ったそうだが、残念にもその姿を目にされることはなかった。なぜなら、その日は「友引」の日で、都内の火葬場は休日。霊柩車が走行することはなかったという事情があった。

 長嶋氏は「勘ピューター」という言葉も知られているが、常人では思いつかない感性も有しておられたようで、験を担がれることも多かったそうである。

 長嶋氏の逸話として知られていることに、息子さんを後楽園球場に連れて行ったのに忘れて帰られたことや、上野駅のロータリーにエンジンを掛けたままの車が駐車しており。不審に思った警察官がナンバープレートを調べてみたら長嶋氏の車だったそうで、氏は電車で移動されていたそうだった。

供養塔のこと  NO 3381

 昔、墓相学の大家と称される人物の講演を受講したことがあった。その中で印象に残っているのが「八墓」形式で、一仏一基を基本とし、面積は間口4メートル、奥行き3メートルの12平方メートルで、奥の列に4基の墓が可能で、手前の列にも4基建てられ、両方合わせて8基というものだった。

 本家と分家の墓地は別になるのは常識的に知られているが、敷地が隣接していても境界を表す縁石などで区分けされるのが普通で、昔の旧家では、長男以外の子供が結婚して初代の分家になる際、親が家の伝統の3つを分け与えたとも言われている。

「仏壇」「神棚」「墓地」だが、前述の「八墓」が可能な敷地を理想とし、右奥に本人、その隣に伴侶、その隣に長男、その隣に長男の伴侶となり、前列の右端には本人からすると孫ということになり、三代続くと結構年数が経っていることになり、右奥に合葬形式の象徴である供養塔として「五輪塔」を建立するというものであった。

 墓には「**家の墓」や「**家先祖代々」という合葬形式も多いが、遠い昔に夫婦墓が存在していた歴史もあり、最近のお墓に関する意識変化を見ていると、我が国の伝統や文化が大きく変貌しつつあることを感じている。

 テレビ局のアンケート調査で、夫の実家の墓に入りたくない女性が想像以上に多く、自分の実家の墓に入りたいと考える人も少なくなかったのでびっくりした。

 五輪塔が出て来たところで少し説教的なことに触れておくが、高僧が遷化されると通知状などに「四大不調のみぎり」なんて言葉が冒頭に書かれていることがあり、この「四大」にもう一つ加えると「五大」になり、「空・風・火・水・地」を表し、生あるものが地に宿って地に還ることを説く文字で、それらの梵字が五輪塔に刻まれている。

 生まれて来る時、「水」とは「水子」というように母の胎内を表し、「火」は熱を意味し、「風」は呼吸となり、「空」という意識を有するようになって人となり、亡くなる時はその逆に、意識がなくなり、呼吸が止まり、冷たくなって水になって地に還るということになるようだ。

 風・水・火・地の文字それぞれに「葬」を付ければ「風葬」「水葬」「火葬」「埋葬」という四大葬法となるので興味深いが、仏教には「六大」という言葉があるので書物でお調べいただけたら幸いである。

信じられないこと  NO 3380

 東京のテレビ局から電話があり、葬儀に関することで質問を受けたそうで、その問題については「幸せ列車」のコラムに書いておいた。

 昔、「隠れ家」と称する私の専用ルームが存在していた。室内にはテレビ、ビデオデッキ、コンポ、マイク設備、モニター、ミキサーなどが置かれてあり、そこでビデオ映像にBGMとナレーションを吹き込んだりすることが可能だった。

 全国各地から研修を求めて来社される司会者の皆さんを指導する部屋でもあり、数え切れない人達を迎えたが、葬儀の司会者の世界では「憧れの部屋」として知られる存在であった。

 テレビ局の取材も多かったが、実際にビデオへナレーションを吹き込む光景を見られて、「こんなに簡単に収録が出来て、音質も差し障りがないので驚きです」と驚嘆されたこともあった。

「取材なのですが」と電話があれば、必ず「隠れ家」までやって来なさいというのが私の姿勢。電話だけでは誤解が生じたり真意が伝わらない危険性があるので出来るだけ避けたかった訳だが、東京から取材にやって来た二人組の女性が、「こんな葬儀の世界があったなんて全く想像もしませんでした」と涙を流され、企画そのものを大きく変更されたケースもあった。

 東京から高い交通費と時間を費やして大阪まで来られることは大変だろうが、来られただけの価値観があると確信しているからこそそう言う訳で、全ては体験から伝えていたものであった。

 様々な番組に招かれて出演した歴史があるが、葬儀屋の立場が絶対に出演することが考えられない番組、それが「宗教の時間」で、正力松太郎氏が「この番組だけは民放の良心として放送するべき。CMも入れないように」と命じられていた読売放送の伝説的番組だが、葬儀専用音楽「慈曲」のCDが世に出た際に作曲者と共に出演したことは私の歴史の誇りでもある。

 誇りと言えば新聞記事にも思い出がある。一面のカラー記事に弊社が掲載されたことがあるし、世知辛い世の中にこんな温かい話題がと社会面のトップ記事に写真入りで大きく採り上げられたこともあった。

 我々葬儀社が一面に採り上げられるなんて「悪い問題の表面化」しかないだろうが、上場している大手葬儀社や大手互助会が悪いことで掲載されたが、弊社は歓迎される方で掲載されたのだから珍しいことだと自負している。

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