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占いと売らない?  NO 3339

 今年の夏は異常なほど暑い。今日も大気が不安定らしく、30分ほど雷鳴が続いていた。

 男性でも日傘を手にされる方が多くなったそうだが、雨天と両方使える物なら便利だろう。

 これだけ気温が上がると食中毒にも気を付けたい。特に体力が落ちている時は危険で、幼い子供や高齢者への配慮も考えたい。

 あちこちで起きた事件のニュースには「命」の重さが忘れられているみたいで、「幸せ列車」のコラムや「独り言」で触れた「命の教育」と「あの世の教育」が急務のよう。

 昔、あの世に夢を託してこの世を出立することになれば幸せと書いたことがある。殺人事件を起こして逃げ回って時効になった犯人も存在するだろうが、この世を旅立つ瞬間に恐怖に怯える筈である。

 あの世の存在を否定する人でも、その瞬間が到来すればふと考えてしまうのが人間の宿命であり性である。これだけこの世で苦労したのだから、来世はきっと幸せだろうと夢を託するというのが人の世の救いとも考えられる。

 世界に多くの宗教の存在がある。信仰する姿や手を合わす姿は美しいが、その対象を見間違ったら最悪の不幸で悲劇である。

 人間とは弱いもの。断ちたいことを自分だけでは乗り越えられないので絵馬などに書いて誓いをするケースもあるし、アメリカ大統領が就任する際に聖書に手を触れて誓うこともそうだろう。

 神社仏閣にお願い目的で参拝される方も多いが、神仏がそれぞれの願いを叶えるのはさぞかし大変なことだろう。

 女性週刊誌には占いや幸運を呼ぶアイテムの販売宣伝がいっぱいあるが、男性雑誌にはあまりないのはどうしてだろう。女性はそれだけターゲットの対象になり易いのだろうか。

 携帯電話で占いビジネスを展開するケースもある。その奥に入ると脅迫商法という世界が待ち受けている。一度入ると気になって抜け出せない仕掛けがあるみたいで、悩みを相談したら悩みが何十倍になったというケースも少なくないよう。

 新聞にも「今日の運勢」なんてことが存在する。浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、占いや迷信に左右されることなくと説いておられたが、その信仰者でも運勢が気になってしまうみたい。運勢のページを見られたら、好ましいことだけを信じ、悪いことは「こんなの当たらないから」と思えば解決である。

 他人を占うことが出来るなら、自身を占う方が簡単な筈。そんな当たり前のことに気付けば、ややこしい祈祷師の被害に遭わなくなるだろう。

思い出した温泉  NO 3338

 夕方から天候が急変。空が暗くなって気温が一気に低下。遠くで雷鳴が聞こえ、北の空真っ暗。大気が不安定という昨日の気象ニュースを思い出したが、あちこちで竜巻注意報が出ていたようだ。

 腰痛対処に早目に銭湯へ行った。温めの湯から電気風呂に移ったのだが、温覚と痛覚が麻痺している左半身なのに、電気のビリビリするのを感じるのだから不思議である。

 昨日、「独り言」のコラムで鹿児島県の問題について触れたが、何気なくタオルの文字を確認したら指宿温泉の旅館のものだった。いつも二枚のタオルを持参するのだが、もう1本を確認すると嬉野温泉「萬象閣 敷島」とあり、それは妻がお寺の団参の際に利用した旅館だった。

 NHKのBSを観ていたら、俳優の「火野正平さん」が自転車であちこちを訪れる番組があるが、偶々河原の中に座られて手紙を読んでおられる映像の背景に移っている建物に見覚えがあるのでびっくり。しばらくして彼が「昼神温泉」であること言われたのですぐに宿泊したことのある旅館だと気付いた。

「湯多利の里 伊那華」という旅館だが、廊下に中日ドラゴンズの選手の浴衣姿の集合写真や監督だった落合氏の写真がいっぱいあったので案内文字を読んで確認したら、そこは落合氏が現役時代の自主トレで利用され、ドラゴンズがシーズンを終えた納会の会場となっていたことを知った。

 群馬県の高崎から更埴ジャンクションを経て、中央道の駒ケ根サービスエリアで休憩した際、疲れがどっと出て地図を見ていて目に留まったのが昼神温泉だったが、最寄りのインターチェンジから近いというのも選択した理由の一つだった。

 携帯電話で予約を入れてから出発したが、大浴場から部屋に戻る際に整体エステというところで1時間ほど至福のひとときを過ごせたことが印象に残っている。

 時期は晩春だったと記憶しているが、中央道に戻らず山間部を通って岐阜県の山奥へ抜ける途中にゲレンデがあってスキーをしていた人達がいたのも憶えている。

 ふとした思い付きで立ち寄った温泉も多かったが、ネット社会になって情報入手が楽になったのは事実でも、想像と現実が異なることが少なくないのも事実。参院選の選挙でもネットの活用が認められて様相が急変したが、活用の得手不得手で見間違わないように気を付けたいものである。

別の視点から  NO 3337

 全国で「いじめ」問題の表面化が話題になっている。「幸せ列車」の昨日のコラムで書いた「命の教育」を真剣に取り組まなければならないような気がしてならない昨今である。

 被害者と加害者を出し、その責任から保身目的で逃避している姿勢の教育者は失格なのは当然だが、こんな人達に教えられた生徒達の将来に危機感を覚える人達が多いと想像する。

 何処かの中学校の理科室で、硫化水素発生の実験をしていたら、気分が悪くなった生徒が15人も出て、その中の4人が入院したニュースもあった。指導者は気分が悪くなったら部屋から出るように前置きしていたみたいだが、そもそも危険な硫化水素を発生させる実験が必要だったのか疑問を抱いてしまう出来事。最近の先生には理解出来ない発想が多いよう。

 最近の犯罪の凶悪性が酷くなっているようだが、それは教育の歪に生まれた結果のようにも思えるし、何度も書いた「あの世」と「この世」教育の必要性を考えてしまう。

 当たり前のように思っている中にも様々な問題がある。一人のブロガーが問題提起していた内容に考えさせられることになった。それは猛暑の中で行われる夏の全国高校野球選手権大会である。全国各地の予選や応援、そして甲子園球場で繰り広げられる本戦の選手と応援の人達。何の抵抗もなく参加しているが、もしも熱中症で重篤なことになったらと考えると恐ろしくなる。

 昔、夏の大会で甲子園球場に応援に行ったことがあるが、コンクリートの席が熱くて座れない状態だったことを憶えている。あの頃から比べるとはるかに気温が高くなっている。暑さに耐えられない選手は無理との考え方もあるだろうが、そのブロガーは、それを「いじめ」や「体罰」という考え方もしなければと指摘されていた。

 こんなことをここで書けば笑われるだろうが、如何にも一理ある考え方だと同感の部分を禁じ得ない。ただ願うは選手や応援される方々が水分を十分に摂られ、熱中症にならないことである。

 ナイターやドーム球場での開催も提案されていたが、甲子園という特別な歴史が外せないことも理解する。もう全国各地の予選が始まっているが、指導者や教育関係者は「命」の問題に真摯に取り組み、熱中症対策を配慮して欲しいものである。

 これまでの人生で7回も入院体験のある私。その中で4回も救急車のお世話になったのだから申し訳ない話。最後に体験したのは約4年半前のことだが、要請の電話が終わってから3分後にはサイレンの音が聞こえた。

 その救急車をタクシー代わりに呼ぶ人が多いと知った。そんな行為で時間との問題という緊急性の高い発病者に悪影響が及ぶ。また、救急車のもう一つの問題が受け入れ先の病院が見つからないケースである。私の体験でも何箇所も断られ、約30分も車内で苦しんでいた。

 症状が悪化する危険性も高くなるし、その遅れが次の出動を遅らせることにもつながる。こんな悪循環が社会に蔓延るようでは文化国家とは呼べないだろう。

 誰にも急な体調不良の危険性がある。出来たらそうならないように日常の健康管理を願っている。

暑い話  NO 3336

 猛暑の続く中、腹立たしい事件が多い。北九州で発生した車をぶつけてひったくりをする犯罪行為にびっくり。撥ねられた女性が骨折されたそうだが、こんな犯罪行動をする人物がいるとは信じられない話である。

 愛知県や橿原市で起きている「いじめ」を原因として考えられる生徒の自殺事件にも腹立たしさを覚える。教員、校長、教育委員会、自治体のトップに共通するのは「保身」の姿勢。そこには教育者としての誇りは確実に消え去っているように思える。

 謝罪をすることは大変なエネルギーを要するもの。故にミスを犯したくないと考えるのが知恵の常識だが、それを教育の立場のある専門家が忘れているとは信じられない話である。

 いつも「もしも」という最悪の状況を想定すれば事故を防げることも多い筈。熱中症について毎日話題になっているのに、生徒達に「耐久」と命じて走らせる愚かな教育者にも腹立たしい思いが。こんな教員に指導されたら、それこそ大きく人生が変わってしまう危険性もあると指摘したい。

 毎年このシーズンになると「熱中症」や「水の事故」が話題になるが、他人事と思っている心の隙間に危険が忍び寄るもの。教育者や親は「命」の教育に関して真剣に取り組んで欲しいものである。

 昔から比較すると都市部の気温が上昇しているのだろうか。ヒートアイランド現象という言葉を見聞きするようになったが、青春時代に夏の甲子園球場で応援した思い出が信じられなくなる最近である。

 初めて車を持ったのは青春時代だが、当時の車の大半にはエアコンなんて代物がない時代。ダッシュボードに装備した小さな扇風機を回して走っていたが、駐車していると扇風機そのものが熱くなって触れない状態なので風も生温いのは当然のこと。当時の車に存在していた三角窓で風を受けるようにして走行していた思い出が懐かしい。

 当時のタクシーの一部にクーラー車があった。エアコンとは呼ばない時代なので今では信じられないことだが、二十代の前半にタクシー業界でびっくりする体制が始まった。料金の値上げが認可されなかったからかもしれないが、乗車すると「クーラーを入れますか?入れませんか?」と確認されるのだ。もしも「入れません」と答えれば運転手さんの愛想が悪くなるのは当然だが、目的地に着いて料金を支払う時、入れた場合と入れない時の二種類の料金表が存在していたことを記憶している。

 そうそう、信じられない話だが、当時の友人にびっくりした人物がいた。彼は暑いのに車の窓を閉め切って走行し、クーラーがセッティングしているように見せていたからであった。

言の葉  NO 3335

 かの有名なシェークスピアが「神は我々を人間にするために、何らかの欠点を与える」という言葉を残している。血圧の高い人に、睡眠導入剤を服用して就寝する習慣があるケースがあるそうだが、彼はそれらに対しても見事な言葉を残している。

「快い眠りこそは、自然が人間に与えてくれた優しくて懐かしい看護婦(師)である」

 劇作家というのはやはり普通の人ではない発想をするものだと感心するが、詩人や先人が残した名言は心の扉を開けてくれるものである。

 ブルーストの言葉に「幸福は身体にとってはためになる。しかし、精神の力を発達させるものは悲しみだ」というのがあり、葬儀の司会のフレーズの「人は辛い思いをしただけ人に優しくなれる」につながった歴史がある。

 ロマン・ロランは「幸福とは魂の香りであり、歌う心の調和である。そして、魂の音楽の内で一番美しいのは慈愛である」と書いているが、私は「慈」という文字が好きで、過去に監修した葬儀音楽オリジナルCD「に「慈曲」というタイトルを命名してくれた人物に心から感謝をしている。

 前にも書いた中国の有名なことわざがある。「三つの不幸がある。若くして父を喪うこと。中年にして妻を喪うこと。老いて子なきこと」だが、担当させていただいた多くのお葬式の中には、もっと強い悲しみが伴うご不幸も少なくなかった。

 昔、石川啄木の作品を読んだことがあるが、そこに印象深い一文があった。

「我々が書斎の窓から覗いたり、頬杖を突いて考えたりするよりも、人生というものは、もっと広い、もっと深い、もっと複雑で、そしてもっと融通のきくものである」

 この文を読んでいた時、最後の融通が「きかない」という否定になっていなかったことにびっくりしたことを憶えているが、それは今でも同じで変わっていない。

 過去に卓球の元世界ナンバーワンだった中国の「荘則棟」氏の言葉を書いたことがあった。それは、「まだ練習を続けるのですか?」と呆れた選手達に掛けた言葉で「生きている内にそんなに寝ていたら、死んでからどうするのか?」というものだったが、心から卓球を愛された人物らしいお言葉であり、氏が大阪府立体育館で親善試合をされていた光景が鮮やかに蘇えって来る。

 歴史に残る「ピンポン外交」の当事者となられた人物だったが、文化大革命で予想もしなかった辛苦の時代を過ごされたことも知られ、卓球の試合中継を観る度に思い出してしまう。

忘れられない方々  NO 3334

 随分と昔の話だが、一ヶ月に1回の割合で電話をくださった人物がおられた。弊社から結構離れた地域にお住まいなのだが、そのご近所で担当させていただいた葬儀の世話人をされ、それを機に「私が亡くなったら頼むぞ」と言われたのである。

 ご高齢になってから軽い認知症を患われたことをご家族から伺い、私のことをいつも「兄ちゃん」と呼んでくださった方だが、晩節の電話に面白いお言葉があったので印象に残っている。

「兄ちゃん、相場は変わっていないか?」「仕入れで値上げしているなら遠慮せずに教えてや」

 葬儀料金を「相場」と仰るのだからびっくりしたが、それから数日後にもっと驚くことが起きた。

「兄ちゃん、顔を見に来たで」と突然来社されたからで、30分ほどお相手をすると「これ、頼んどくわ」と小さい手提げ袋を出された。手土産でもと思っていたら中身にびっくり。そこには現金で300万円が入っていた。

「兄ちゃん、仮に相場が上がってもこれで出来るやろうか?足らんかったら持って来るよって遠慮せんと言うてや」

 真剣そのもののご表情。お返しすればご納得されないご性格であることを理解していたところから、「お預かりします」と申し上げてお見送り。すぐに車でご自宅に先回り。事情を説明してお返し申し上げた。

「お葬式のことばかり言うのですから閉口しています。お金を届けることできっと安心したと思います。出来たら預かっていることにしておいてくださいませんか。預かりましたからとお電話があったと本人に伝えますから」

 そんなやりとりでご本人を騙すシナリオを描いたが、ご家族から、ご本人は「もうこれで安心だ」と落ち着かれたとのお電話があった。

 その人物がご逝去されたのはそれから10ヶ月後のことだったが、葬儀に関する細かい要望を書いたメモもあったそうで、ご意志に則る盛大なお葬式が執り行われた。

 世の中には様々なお考えの方が存在する。ご自分で葬儀の設計をされて来社された方もおられた。他府県の方だったが、200坪の和風庭園のあるご自宅の図面を肌理細やかに描かれ、出入りの大工さんに池の上に会葬者用の踊り場を作るお話までされており、四季の季節によってテントを設営する場所まで指定されていたので驚かされた。

 つい最近、杖を手に歩いていると、「わしを送るまで先に逝ったら承知せんぞ」と言われたこともあったが、そんなお言葉を耳にすると、もう少しこの世に生かされなければと考えてしまう。

何でこうなるの?  NO 3333

 アシアナ航空の事故だが、状況が把握されつつある中で衝撃だったのは「副操縦士」が操縦していた事実。目視で着陸しようとしていたことに原因があったようだ。

 ニュースの中で元日本航空のパイロットだった人物が解説されていたが、サンフランシスコの今回の滑走路は簡単ではないそうで、副操縦士の習練だったという事実に驚かれていた。

 客室乗務員12名の内で7名が失神していたニュースにもびっくりしたが、荷物を手に脱出された乗客の光景にも問題があったようだし、飛行機から近い場所に集まっていた事実にも危険意識が欠如していたみたいで、もしも大爆発していたら大変なことになっていたと想像する。

 訓練とは「いざ」の場合に備えて繰り返されるものだが、マンネリ化したマニュアル形式では本番となった場合には対処出来ないことも予想され、今回のケースではそんな問題が多くあったように思える。

 いつも最悪の事態を想定して取り組まなければプロの世界ではないと指摘したいし、パニック症候群という心理状態も考えられるのでプロスタッフの意識改革も重要である。

 公共交通機関は安全が第一。時間の短縮よりも間違いなく目的地に到着することこそが優先される筈。次代を教育して育てることは重要だが、そこでこんな事故が発生すれば乗客が災難である。

 北海道の特急列車の火災事故も影響が大きく、今日も多くの特急列車が運休を余儀なくされていた。予定していた旅行を変更しなければならない人達もおられるだろうし、間もなく夏休みを迎えるのに人気の北海道がこれでは大変ではないか。

 北海道には友人が多い。函館、室蘭、苫小牧、札幌に立ち寄るには「特急北斗」と「特急スーパー北斗」は不可欠だ。これまでに何度も利用しているし、今後も利用しなければならない。二度とこんな考えられない事故を起こさないように原因究明を願っている。

 気動車というのはエンジンの存在があり燃料の積載という事情がある。電化された路線と比べて危険性が高いのは当たり前だが、札幌から室蘭までは「特急すずらん」という電車特急が走っている。千歳から南千歳に行き、苫小牧や室蘭に向かうには「すずらん」の方が安全かもしれない。

 札幌から函館の間には大好きな温泉の存在がある。「登別温泉」と「洞爺湖温泉」だが、そこに行くには気動車の特急でないと行けない問題がある。次回に行くまでにくれぐれも
安全チェックを願っている。

その瞬間まで  NO 3332

 朝のニュース映像にびっくり。サンフランシスコ空港で起きたアシアナ航空の事故は衝撃だったが、多くの乗客の脱出が間に合ったみたいで大惨事だけは避けられたようだった。

 何度も利用したことのある「特急北斗」の火災事故のニュースもあった。今年の春にも同じような火災事故が2回発生していた事実があり、このタイプの列車には欠陥があるのではと思ってしまう。

 札幌と函館間318キロを3時間半ぐらいで結ぶ気動車特急だが、最速の「スーパー北斗」なら3時間と少しでも「スーパー北斗」が振り子タイプの独特の揺れがあり、なるべく「北斗」を選択していた事情もあった。

 JR北海道は火災事故が多発している。「特急カムイ」もあったし、2年ほど前には「特急おおぞら」が脱線してトンネル内で全焼する事故が発生、トンネルから脱出した乗客達が真黒な顔をされていたのがお気の毒だった。

「独り言」のコラムでは、過去に北陸トンネル内で発生した「特急日本海」と「急行きたぐに」の火災事故にも触れたが、多くの犠牲者が出た「きたぐに」の事故当日に国内線でハイジャック事件が起き、そこから準備された国際線用の飛行機に乗り換えたところで逮捕されて解決に至ったが、その「DC-8型機」が20日後にモスクワで墜落事故になるという数奇な出来事が話題になっていた。

「幸せ列車」のコラムに「今日あること」と題して「今この世にいることは幸運の連続だから」なんてことを書いた。

「幸せ列車」の管理人さんが何度か触れられていた「スティーブ・ジョブス」氏の言葉に印象に残るものがあったので紹介を。

「もし今日が自分の最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたかっただろうか?」

 歴史に功績を刻まれる著名な方々は、それぞれに考えさせられる言葉を残されているものだが、我々葬儀の仕事に従事する立場にある者が心したいのは「マザー・テレサ」の言葉「誰にも世話をされずに一人で死んでいくことなどあってはならない」だが、身寄りのない生活保護の方の葬儀の担当が増える弊社では、そんな言葉を大切に心しておかなければならないとか考えている。

 死に関する言葉で「山田風太郎」氏の言葉も忘れられないものである。

「死をはじめて想う。それを青春という」

 また、「E・シュナイドマン」の言葉には見事にご遺族の心情が滲み出ている。

「死は終わりを意味するが、残された者には始まりを意味する」

匠達の世界  NO 3331

 全国に点在する葬儀のプロ達が集まった。それぞれの現状や仕事に対する熱い思いを聞かせて貰ったが、彼らがそれぞれにオリジナルなサービス発想を実践しており、予想以上に進化してくれていた事実に嬉しくなった。

 北海道から九州までメンバーが存在するが、ややこしい業者がいっぱい出現している中で、彼らが葬儀を担当したお客様が幸運だったと確信している。

 ある同業者の新聞広告が話題になった。社長が笑顔で登場され、弊社は東証2部に上場しましたと見出しがあり、日本で一番ありがとうと言われる葬儀社を目指してという言葉もあった。

 この経営者は過去のテレビ番組で遺族のことを「消費者」と発言して物議を醸した人物として有名だが、「日本一有り難うを」と「上場」が矛盾してしまう問題もある。消費者いや「ご遺族」より株主を優先させる責務が生まれるからだが、葬儀がビジネスだとはっきり断言される人物なので、それらは満面の笑みを浮かべられる広告の写真が顕著に物語っているように感じた。

 冒頭のプロ達は、その正反対の人達ばかりである。「悲しみ」という問題を真剣に学び、中にはグリーフケアに積極的に取り組んでいるメンバーもいるし、研修会の際には一睡もせずに朝方まで「葬儀」をテーマに語り明かすのだから私のような高齢には応えてしまう。

 振り返ればパソコンを持参しての研修会もあった。も10年以上も前のことだが、画像処理について講義を受けた貴重な体験だったし、ホテルの会場を借りて実際に祭壇を設営して無宗教形式について研修会を行ったこともあったが、その模様の記録を依頼した映像会社の人が、「こんな世界が!」と感嘆されていたことも懐かしいところである。

 若いメンバー達が企画した研修会では、私が亡くなったシナリオで映像を創作していたこともあったが、敢えて音楽と文字だけの世界となっていたことが妙に新鮮だったので印象に残っている。

「家族葬が流行する」「お通夜と葬儀の参列者数が逆転する」「葬儀に迎えられるお寺様の人数が激減し、やがて一人になる可能性が高い」「ホテルでの偲ぶ会やお別れの会が増える」

 そんな論議を重ねていたのは15年以上も前の話だが、全てが現実となったことからメンバー達の予見が当たったことになる。

 ホテルの「偲ぶ会」「お別れの会」については、もうひとつ奥深い分析もしていた。ホテルが得意とする「おもてなし」と「飲食」だけを売り物にすると、やがてする意味がないことに気付き、近い将来に確実に減少するという予想だったが、それらも見事に当て嵌まったようで、体験された方々のお声に多くなっている事実も理解したいものである。

 弊社がこの世界で注目を浴び、参列の方々から「これが社葬だ!」と評価されたのは「第一部」「と「第二部」の分離で、無宗教形式であっても「告別式」と「献花式」を採り入れていたからであった。

 また、たとえ「無宗教形式」であっても、単なる「会」で進めてしまうのは故人に対して失礼という考えを基本に、「式」の重要性を踏まえて「司会」から「司式」の発想転換に気付き、そこで創作したオリジナルなトークやコメントは全国的に広まるようになった。

「会場空間を儀式空間として神変させる」「引導に代わる雰囲気で故人に語り掛ける」「悲嘆に暮れられるご遺族に慰めの言葉を掛ける」「命に関するテーマで語り掛ける」「参列者に説教的に言葉を掛ける」なんて発想で言葉を編集したもので、相当のアナウンス技術がなければ不可能なものだった。

プロ達との出逢い  NO 3330

 ワープロが社会に登場してしばらくするとコンピューターが出現した。現在のノートパソコンではないテレビみたいなデスクトップ型だが、事務所に導入した頃に重宝した女性スタッフの存在があった。

 ナレーションの言葉を思い付きながら喋っていると、「それ、打ち込んでプリントアウトが可能ですよ」と言って、私が喋ることを手元も見ずに打ち込む姿にびっくりだった。

それからは、いつも彼女の技術に甘えることになったのだが、ある日、彼女が休日に原稿を打ち込んで欲しいという出来事が発生し、別の女性スタッフに依頼するとゆっくりとしたリズムで思い浮かぶことを伝える側のリズムまで影響が及ぶので困った体験となった。

 それから自分でキーボードを叩くことに挑戦することになったが、操作を誤って折角打ち込んだ文章を消してしまったり、文字変換で大変な苦労も体験して来た。

「独り言」の発信を始めたのは2002年3月1日だったが、当時も我流の打ち方で毎日1時間ぐらいを要して挑戦していた。

 慣れるということは時間の短縮につながるもので、やがて30分で打ち込めるようになって更新を続けて来たが、50代後半とと60代初めに体験することになった大病から休載を余儀なくされたこともあった。

 退院してから復活するためにリハビリに励み、不自由な目の調子と指先の定まらない障害に悩まされながらも挑戦を続け、最近では「幸せ列車」「独り言」に併せてこのブログを開設、日に3本の駄文の列記というコラムを続けている。

 お蔭で悪い頭でも記憶だけは残っているようでホッとしているが、この世を出立する瞬間まで続けたいと考えている。

 明日は我々の仕事である「葬儀」のプロ達と久し振りに会う。それぞれが日本を代表するプロであり、有意義なひとときが過ごせるだろう。

このブログか「独り言」の中で彼らのことを一人ずつ紹介したいと思っているが、北海道から九州まで存在しているのでその地域におられる方々のご不幸があれば絶対に間違いのないプロ達なのでご記憶していただければ幸いである。

 これまでの人生にあって彼らとの出会いはまさに財産であり、それぞれとの交流から学んだ信念や哲学は至宝そのものであり、そこから生まれたオリジナルなサービス発想は全国で流行するに至っている。

 全国に点在する同業者との交流で学ぶことは、その地独特の慣習や風習があること。そんなことも紹介出来たらと考えているが、中には信じられない世界があるのでお楽しみに。

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