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悲しい光景  NO 3299

 お葬式は悲しいのは当たり前だが、交通事故や事件に巻き込まれた理不尽なご急逝は本当に大変。参列される方々の雰囲気も沈んでおり、誰もがその場から逃げ出したい空気に包まれている。

 だから「被害者になるな」「加害者になるな」という私の口癖が生まれ、飲酒運転などとんでもないことだと安全運転を願ってしまう。

 昔、地域の役員さんからお葬式の依頼電話を頂戴した時のこと。幼稚園に通う幼い女の子が交通事故に巻き込まれて亡くなったというご不幸だった。

 その瞬間からずっと心が重くなってしまうし、この仕事に従事するべきでなかったと後悔することになってしまう。「人は辛い思いをしただけ人にやさしくなれる」という言葉を知ったのは20年ほど前だが、ずっと昔から交通事故を恨んでいた歴史があった。

 自身も青春時代の事故体験があるからで、幸いにも被害者の存在がなくて安堵したが、それからは絶対に事故を起こさないようにハンドルを握ってきた。

 その幼稚園の女の子のお家に着いた。電話を掛けてくださった人物が玄関前におられる。「悲し過ぎる。中にはおれないよ」と仰っているが目が赤くなっているのが分かる。それから悲しくて辛い修羅場にと覚悟を決めて入らせていただいたが、お仏壇のある部屋に近付くと女性の嗚咽が耳に入った。

 中央にかわいい子供用の布団が敷かれてあったが、そこに女の子は寝かされておらず、嗚咽の主であったお母さんに抱かれたままだった。

 頭が包帯に包まれている姿が痛々しい。しかし、冷静になって周囲を確認するとそれは今ではないでしょう」というやりとりと光景を確認することになった。近所の方と枕経に来られていたお寺さんが日程について打ち合わせ中。「地域の会館を押さえますから」という発言にお寺さんが手帳を広げてスケジュールを確認されている。

 悲嘆に暮れるお母さんやご遺族のすぐ近くでこれはないだろうと思ったところから、当時は若かったこともあり、廊下におられた数人のご親戚らしき方々にある提案を持ち掛けた。

「今は日程を決めるべきではありません。お母さんやご家族の方々をそっとして差し上げるのが最善だと思います。お母さんが『この子のお葬式を』と仰るまで待ちましょう。それからでも準備は可能なのですから」

 ご親戚の方々は、すぐに私の提案にご賛同くださり、部屋の中に入られて地域の方とお寺さんを別室にご案内。そこで皆さんの相談結果として上述の提案が決行されることになった。

 お母さんはそれから17時間一睡もされずに女の子を抱かれていたそうだし、ご主人もずっと側を離れなかったと知った。

 涙が枯れるという言葉があるが、暁方、ご主人から「私とお前の大切な子供だ。しっかりと送ってやらなければ」とのお言葉が掛けられ、それから3時間ほど経ってから私に連絡があって参上し、ご家族と一緒にお葬式の打合せを始めたが、電話で日程の確認をさせていただいた際のお寺さん、「いやあ、あれは反省しているよ。よい勉強になった」と感謝の言葉を頂戴することになった。

 今日、悲しいお葬式が行われていた。まだ10代という若い女性が闘病生活の中でご逝去された。メモリアル・ボードのコーナーに成人式を迎えられる際にお召しになる予定だった着物が掛けられてあり、多くの人達の涙を誘っていた。

 随分前、遠方のある女性司会者からメールが届いた。彼女は先輩司会者から指導された時、「泣くような司会者はプロでない」と教えられたそうだが、前述したような交通事故で亡くなられた子供のお通夜を担当するところからアドバイスを求めて来たものだった。

「司会者も人間です。機械ではありません。涙を流さない司会者はプロではありません。そんな人物の司会で送られる人が気の毒です。あなたはいっぱい泣いて司会を担当して来なさい。但し、司会を始める前にお断りを申し上げるように。私は司会者ですが、一人前ではありませんので取り乱してしまうかもしれません。私も一人の人間として悲しみを共有させていただくことを何卒お許しくださいませ」と。

 そんな彼女からお通夜が終わった後、再度メールが届いた。アドバイス通りに行っていっぱい涙を流したそうだが、ご両親から「あなたみたいな人に司会を担当して貰ったことが救いになりました」と感謝のお言葉を頂戴したそうだ。

こんなことも  NO 3298

 夕方、コンビニの帰路、生野本通商店街を西から東に向かって歩いていると、前方に黒い服姿の若い女性が5人歩いている。西館か本館で行われているお通夜のご弔問だと想像していたら、疎開道路信号で左折。<西館だ>と思っていたらそのまま通過、しばらくすると立ち止まられて声を掛けられた。

「この辺にファミレスみたいなものあります?」と聞かれたので、すぐ近くにある喫茶カローラの存在を伝えておいた。どうやら食事をされてから参列されるようだった。

 カローラは喫茶店だが様々な定食もあるので人気が高い。朝6時過ぎから午後10時頃まで開店しているので便利。結構遠方からの常連客もいるようだし、夜遅くはタクシー仲間が集まっている姿を目にすることがある。

 今日は地域の毎年恒例のバスツアーがあった。もう36年も続いているそうで世話人の皆さんのご苦労を拝察申し上げる。参加された人の話によると、帰路の高速道路の渋滞が18キロもあったそう。予定より2時間以上も遅くなって帰着したようだが、さぞかしお疲れになったことだろう。

 日曜や祭日の夕方の市内に向かう高速道路の渋滞が酷くなってきている。通行止めにして工事を行う情報もあって混乱しているみたい。過日に名古屋へ向かった友人が「名神高速道路が通行止めで大変な目に遭った」と話していたが、それを避けて名阪国道を走行した知人も東名阪で大渋滞になって参ったと嘆いていた。

 車に乗らなくなった最近だが、列車の移動は駅の階段が大変でも乗ってしまえば渋滞がないので有り難い。決めたスケジュール通りの行動が可能となるので歓迎だが、日本のJRや私鉄の運転は世界的に誇れる緻密なダイヤで運転されている。

 昔、JRが国鉄時代に役員さんのお葬式を担当させていただいたことがあったが、葬儀委員の大半が国鉄関係の方々。葬儀の始まる前、受付の皆さんに「始めさせていただきます」とご挨拶に行くと、副委員長を務められていた方から「遅れないように」と釘を刺された。

 開式の辞が終わってご読経が始まると同時に式場内のスピーカー音量を絞り、外側だけに流れるようにセッティング、そこで「ただ今のところ各種団体代表者の皆様のご焼香は午後1時24分を予定しています」とアナウンス。親族の方々のご焼香を終え、その時間ぴったりに代表者焼香を始め、ご出棺も時報に合わせて行ったらびっくりされ、「国鉄みたいだ」とにっこりされたのも思い出として残っている。

この世に遺ること  NO 3297

 本社で行われたイベントだが、ご来場くださった方がいっぱいでアンケート用紙が不足したそうで、それこそ「不測」の事態として企画の想定に不備があったと反省しなければならないだろう。

 30周年を迎えた東京ディズニーランドには想定外はないという逸話があり、園内に航空機が墜落した際のことまでマニュアルがあるとも噂されている。一昨年前の東北大震災の際のスタッフの行動が賛辞されたが、それは決してマニュアルから生じたのものではなく、お客様を大切に守ろうと考えた結果だと思っている。

 随分昔のことだが、ある大規模な社葬を担当させていただいた3日後、参列されておられた名古屋の方からお手紙を頂戴したことがある。内容は弊社のことを褒めてくださるものだったが、その中に「TDⅬサービスを感じました」と書かれてあり、それは弊社の誇りとなっている歴史があるが、いつまでも大切にしたい理念となろう。

 我々葬儀社が新聞の一面に掲載されるには何か大事件を起こさなければ無理だろうが、弊社は新しい時代の葬儀を提案発表したことが話題を呼び、一面にカラー記事として採り上げられたことも誇りだし、こんな殺伐とした社会にこんな温かい話がと、私の行った行動が社会面のトップ記事として大きく掲載されたこともあった。

 それらは目立とうとして考えたものではなく、悲しまれる方々のことを真剣に考えたらそうなっただけのこと。利益追求でなかったことから注目されたようだが、21世紀は「社会賛同」「と「社会歓迎」されるものでなかったら生き残れないのは確か。弊社発案の新しいサービスも我が業界に広まっている。来る人拒まずの姿勢で多くの司会者や同業者に公開して来たが、真似をするならプロセスまでを学び、偽物ではなく本物を提供して欲しいと願っている。

 BSの番組で「陽はまた昇る」という映画を放映していた。主演は「西田敏行さん」で物語の内容はビデオの「ベーター」と「ⅤHS」に於けるビクターの実話だが、お客様のことを真剣に考える「夢」が見事に商品化された過程がシナリオとなっていた。過日にご逝去された「夏八木勲さん」も出演されていたが、味のある俳優さん達がこの世を去られるのは寂しいこと。「三國連太郎さん」の偲ぶ会が7月に行われるそうだが、ご出演された作品がご逝去の瞬間から「遺作」と呼ばれることも現実。

 作曲家なら「曲」が残って歌い継がれたりするし、上述のように俳優さんなら「遺作」が残り再放送されることもあるが、我々一般人にはそんなものがないのも事実。

 そんなことを考えながら、過去に書いた愚書の存在や、子供、孫への命の伝達が出来た上に、こんな「独り言」を「生かされた証し」としてしたためていることに有り難いことだと手を合わそう。

続く言葉  NO 3296

 25日は弊社の顧問である「キダ・タロー氏」の講演が本社で行われる。私はどうしても行かなくてはならない所用があって遠方に行くが、多くの参加者が来られるようにと手を合わす。

 前にも書いたが「キダ・タロー氏」は「浪速のモーツアルト」という有名な別称があるが、それに続く言葉があるのでびっくりした。

 それは、モーツアルトより先に生まれていたら、モーツアルトが「ウィーンのキダ・タロー」と呼ばれていただろうというもの。

 こんな逸話に思い出すのが「中村草田男」の詠んだ有名な「句」だが、「降る雪や明治は遠くなりにけり」の俳句も、「明治は遠くなりにけり」だけが一人歩きしてしまい、「降る雪や」がなければその意味を理解出来ないのに不思議という現象があるようだ。

 明治生まれの作者が、昭和の時代を迎えて訪れた母校である小学校で、雪が降るのを見て季節の流れを感じ、それを詠んだ俳句と言われているが、五・七・五との俳句の世界は我々凡人には想像もつかない奥深さがあるようで、俳人と称される方々に畏敬を覚える私である。

昨日の号で中学校時代の先生について書いたが、二年生の時の自習授業で「松尾芭蕉」の「奥の細道」を読んでいたら、その時間を担当されていた英語の先生が「英語を勉強するにはしっかりと日本語を勉強しなければならない」と言われた言葉が印象に残っている。

 五七調という言葉のリズムは我々日本人の心の扉を開ける効果があるようで、ナレーションの創作に関して意識したことも多く、それらは演歌の詩の中にも重視されているようだ。

 さて、雪に関する句で忘れられないのが江戸時代の女流俳人として名高い「田捨女(でんすてじょ・でんすてめ)」が詠まれた「雪の朝 二の字二の字の下駄の跡」だが、俳句とは感じた感性を瞬時に詠んだものが理想だそうで、どのように詠んだら人にどう捉えられるかなんて考えた句は歓迎されないと教えられたことがあった。

 中国故事が好きだったところから、愚書「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」には閻魔大王と主人公が会話する場面でいっぱい出て来るが、それも懐かしいこの頃である。

 そうそう、日付が変わって今日の「キダ・タロー氏」の講演だが、午後1時半から本社で始まります。是非ご来場くださいますようご案内申し上げます。

三丁目の夕日  NO 3295

 過日に書いた「串カツ」屋さんに立ち寄ったら、私の「独り言」を開いたそうでびっくり。友人から教えて貰って興味を抱いたそうだが、悪く書かなくてよかったと思って帰って来た。

 我が町の「疎開道路」には様々な飲食店が存在するが、お気に入りの店が増えたと書いておこう。

 そんな店の所在地で昔のことを思い出した。かつて市バスが通っており「南生野三丁目」というバス停があった。小学校の5年生から中学校卒業までの5年間の通学で利用したので懐かしいが、記憶では「阿部野橋」と「大成通り」「今里」「深江橋」などを結ぶ13番路線である。

 朝の通学時間には次の停留所のある国道25号線まで歩いたが、「林寺新家町」には「八尾」「杭全町」から来る路線や、舎利寺の生野小学校を通る12番路線もやって来るところから便利だった。

「南生野三丁目」から「林寺新家町」までは距離にして200メートル弱。だから本数の少ない13番路線を利用することは少なかった。

 当時は国道25号線を市電が走っていた。「百済」から「寺田町」「天王寺西門」「恵美須町」を経由して「桜川二丁目」行きと「福島西通り」行きが運転されていたが、通学には「恵美須町」から「阪堺線」に乗り換える行程もあったので、時折に気分転換で乗ることもあった。

 通学定期を購入していたのは阿部野橋までの市バスと、そこから乗り換える「上町線」なので、市電と阪堺線は現金を要したが、当時の市電は10円だったし、寺田町駅から国鉄なら5円という時代で、まさに映画の「三丁目の夕日」の光景の世界だった。

 バスの定期を購入する場所は不便で、現在の大阪府立病院近くにある住吉車庫だった。

 中学校時代に忘れられない先生が5人おられる。一人目は前に書いたことのある社会のM先生で、「君達の将来で憲法改正があるかもしれないので次の授業までに96条を暗記してきなさい」と言われ、怖い先生なので必死に憶えたので今でもスラスラと出て来る。
 二人目の先生は1年生の時の音楽のT先生で、私の高音の歌声を褒めてくださり、2年生にって若い女性の先生になったら、初めての授業で名前を呼ばれ、歌って見なさいと命じられたので伝達されていたものと想像するが、春休みの間に衝撃的に「声変り」をしてしまっており、とても歌える状態ではなかったので悲しい記憶として残っている。

 3人目の先生は2年生の担任であったS先生で、この仕事に従事するようになってから間もなく、源ヶ橋近くのお葬式に参上したら、その先生がご親戚の中におられて懐かしがられ、その後に四条畷や野江のご親戚のお葬式を担当させていただくご仏縁に結ばれ、やがてはその先生のお葬式を担当する寂しい思い出となってしまった。

 4人目は1年生の時の美術の先生。見るからに芸術家風の雰囲気があったが、この先生は天王寺にある大阪市立美術館で開催されるイベントの宣伝ばかりをされ、行かなかったら成績に影響するような発言までされたので生徒達から敬遠されていた。

 5人目も美術の先生で、3年生の教科を担当されていた。その先生は八尾方面からの市バス9号路線を利用され、ある時「林寺新家町」から乗った私の制服を目にされ、「君はこんなところから越境通学しているのか」と驚かれ、その後も何度かお会いすることになったが、何か恥ずかしくて目を合わさないようにしていたことを憶えている。

 私の年齢から考えると、その先生方はもうこの世に存在されていないことになるが、ここで出逢ったご仏縁に手を合わせよう。

言葉のこと  NO 3294

「幸せ列車」のコラムにニュース映像で目にしたオクラホマでの竜巻の惨事について書き、高級葬儀の「独り言」のコラムでは血液検査の結果について触れたが、深夜のNHK「時事公論」での解説者のおかしな日本語についても書いてしまった。

 最近のアナウンサーの言葉の酷さはお寒い限りだが、昔から交流のあったアナウンサーの人達がどれほど言葉を大切にしていたかを知って欲しいものである。

 NHKの名アナウンサーとして知られ、紅白歌合戦の司会を担当された方から指導を受けたことがあるが、その時に仰られた言葉が橋下大阪市長の暴言問題につながるので思い出してしまった。

「言葉を大切にしなさい。プロなら素人から指摘されることを恥と考えなさい。世界は広い。言葉のプロとして覚えておきたいのが日本語の中の曖昧な言葉。それらが英語に訳せないこともあり、時には想像もしなかった誤解を招くこともある」

 そんなことだったが、例を挙げると日本の政治家がよく使っている「前向きに検討する」もそうだろうし、「お宅様ぐらいになれば」と相手を持ち上げる不思議な言葉もそうである。

 橋下市長の「風俗」という言葉が英訳ではとんでもない表現になったように報じられていたが、国際的な感覚が欠如していたでは済まない問題であると伝えたい。何より政治に素人である我々のような立場から指摘されているのだから恥ずかしいのである。

 公人や政治家は言葉に責任を抱いて発言しなければならない。ツイッターで書くようなレベルを公的な場所で発言したら笑われてしまう。20000%ありませんと発言しながら知事に立候補した人物。「島田紳助氏」が引退された際のインタビューで「僕が今日あるのは紳助さんのお蔭です」と軽い発言で嘲笑をされた人が、市長に鞍替えして「壊し屋」の異名でも呼ばれている。

 それだけに言葉に神経を遣わなければならないのに、ましてや政党の共同代表として活動しているのに自分の最も大切にしなければならない党を混乱させてどうするのと伝えたい。

 市民団体が原告として訴訟になっている問題も少なくない。都構想も結構だが、市政の混乱だけは避けて欲しい。

市長と言えば市を動かす「コンダクター」である。いくらお笑いの大阪でも、市長が世界中から笑われることだけはないように行動して欲しいもの。改革に彼のような人物は逸材かもしれないが、芸人さん的行動だけは謹んで欲しい。まだ期待している人達もいるのだからと伝えたい。

人生の背景に  NO 3293

 友人の義父がゴルフに傾倒され、週に一度は「行こう」と誘いの電話があるそうだ。

 78歳から始められたのでもう10年、現在88歳なのである。始められる前、ゴルフのテレビ中継で「女性にあんな重たい物を担がせて何を考えておる」とか「狭い日本で広い芝生の土地を占有するとは納得出来ん」とぼやかれていた御仁だが、今ではそんなことをお忘れのように一転、石川選手や松山選手の話題が会話の中に出て来るのだから驚きだ。

 伺ってみると、膝を痛めておられるそうだが、それに耐えてプレーをされるとは凄いこと。それだけゴルフに魅入られていることにもなるだろうが、共にご苦労をされたご伴侶に先立たれた空虚な部分を少しでも埋められることになれば結構なこと。お浄土から奥様も温かく見守っておられることだろうと拝察申し上げる。

 過去にゴルフが生き甲斐という人生を過ごされていた方の葬儀を担当し、満中陰が済んでから追悼コンペのご案内をご家族から頂戴して恐縮したことがあった。私がナレーションの創作のために伺った会話の中にもゴルフに関する話題が多く、故人と何度かラウンドしたこともあったので参加させていただいたが、会食時の司会まで担当することになり、そこで追悼ナレーションを入れて献杯に進めたら、皆さんがお偲び申し上げながら喜んでくださった。

 かつて、交流のあった人物が「100までゴルフをやろうかい」という組織を立ち上げられて活動していたことがあった。特別メンバーとして有名な「杉原輝夫プロ」も発起人として存在されていたが、氏がご逝去され、しばらくした頃にご本人も亡くなられ、今ではどうなっているのだろうかと心配している。

 その人物は、いつも運転手付きの専用車でゴルフ場に来られており、それを見られた人達から「どういう方?」と話題が広がったが、その方の肩書を知る私が説明すると皆さんが納得されていた。

 メモリアルコーナーにゴルフに関する物がセッティングされることも多く、クラブ、帽子、スコアカードなどから、収集されていたゴルフ場のマークを見事なほどケースに並べられていた方もおられてびっくりしたことがあった。

 その方の人生の一部を紹介させていただく場には趣味という世界は外せないが、最近の傾向に増えて来たのがカラオケで録音されたご本人の歌声。出来たらお通夜や葬儀の場にマッチするような選曲をと願ってしまうこの頃である。

「たい」ばかり  NO 3292

「独り言」のコラムで体重測定から反省の数値を書いたが、トトロ体型からの脱出を真剣に取り組まなければならないようだ。

「幸せ列車」のコラムでは国際線飛行機の子供料金について書いたが、国内線とは異なる規定があり、満2歳から大人の料金の75%が必要だし、2歳までも膝の上にあっても大人料金の10%が課せられるので大変であり、それは早割料金ではなく正規料金に対するパーセンテージなのでびっくりである。

 かつて娘ファミリーがアメリカに在住していた。現地で二人目の孫として誕生したのが過日に地球儀を贈った小学生だが、アメリカでの在住を終えて帰国したのは私が大手術を受けて入院中の時だった。

 確かその時に満二歳に達していなかった筈で、私が無料と思い込んでいた帰国便の料金で、きっちりと支払ったと耳にして驚いたことを憶えている。

 その大手術の際に体験した不思議なことを再度書いておこう。朝から手術室に入り、医師やスタッフの皆さんに「よろしくお願いします」と挨拶をしてから自分で手術台に上がったので皆さんが驚かれていたが、すぐに麻酔を受けて知らない世界に突入。次に目が醒めたのは集中治療室へ向かう廊下だった。

 この集中治療室での24時間が大変だった。その日に手術を受けた患者は16人。その人達が同室で過ごすのだが、何処かで点滴が終わったりすると警告音が鳴り響き、それを少ない人数の看護師さんが対応するのだから間に合わずに鳴りっ放し。麻酔から覚めた現象かもしれないが、異常な咽喉の渇きは二度と体験したくないものだった。

 後で学んだことだが「集中治療室症候群」という精神的に病むケースも少なくないようで、<さもありなん>と実感していたが、私の世話を担当した二人の看護師さんが不思議だった。

「どうして君が?」なんて幻覚なのだろうか、一人は元社員であり、もう一人は元社員の女性司会者だったからだ。容姿だけではなく言葉遣いに喋り方までそのまま。二人が看護師さんになったなんて絶対に信じられないことだったが、それは今でもはっきりと思い出す不思議な出来事だった。

 幻覚はそれだけではなかった。集中治療室での24時間を過ごし、自分の部屋に戻ってから二日間、真っ白な筈の天井や壁に鳳凰の柄が現れ、そんな話をしたら付き添っていた家族から訝られた。

 大手術を受けたのは腹部だが、何度も書いた「たい」という欲望の思いは重要で、孫に会いたいから耐えようと思えたし、成長を見届けたい思いから手術を受ける気になったことも事実。「食べたい」「行きたい」「見たい」「会いたい」の「たい」は誰にも許される大切な欲望である。

女性司会者のこと  NO 3291

 午後から雨が降り始めた。ご本山で行われていたお葬式にタクシーで出掛けたが、多くの方々が式場の中に入られ、入られなかった参列者も境内にセッティングされたテント内に収まったので問題はなかった。

 会葬者のご焼香時にはスタッフそれぞれが大型の傘を差し掛け、参列者の経路をフォロー、こんな時には直径の大きな特別注文の傘が役立つものである。

 女性司会者が担当したナレーションに耳を傾けていた。大正生まれの女性で、茶華道、絵画、陶芸、詩吟などに造形深いお方だったが、ご伴侶が軍務に奉職され、パプアニューギニアに出征された現地で戦死というご訃報を受けられるという衝撃のご体験があり、その後ご住職としてご長男が後継されるまで大変なご苦労をされた時代があられた。

 人に歴史ありという言葉があるが、ナレーションの取材時にご家族の方々から拝聴する故人の「為人(ひととなり)」は人生ドラマそのもので、それは短い時間で語り尽せないものだが、どの部分をどのように組み込むかというシナリオ創作力も重要で、それを耳にされる方々の存在を考慮して構築するのだから重い責任を感じる仕事でもある。

 多くの司会者を指導して来た歴史があるが、文章創作にあって、美辞麗句に走ってしまう姿勢も少なくなく、人生の重みを解くことから教育を始めなければならなかったので苦労した思い出もある。

 他府県にいた友人からの紹介で来社された女性司会者のナレーションをテストしてびっくりしたことがあった。ご本人はトップレベルにあると自信満々でマイクを持たれたが、私が与えた採点は「0点」で、彼女の表情が一瞬にして固まった。

 指摘したことは彼女のナレーションは完全な「観光案内型」で、いつの間にかそんなイントネーションになってしまったことを知ったが、それから5回ほど来阪され、苦労をされて正常なアナウンスレベルになって私自身もホッとした思い出となっている。

 もう一つ困ったタイプの女性ナレーションの形式がある。デパートや空港内に流れるアナウンスみたいな雰囲気で喋るタイプで、葬儀という式場には場違いということを教えている。

 これは、参列者から「百貨店みたい」と指摘されて来社した女性司会者を指導したから知ったことだが、本人はそんなイメージを想像しながら喋っていたのだから大変だった。

 それが正しいと勝手な思い込みを信じてしまうケースは治療?が難しく、大手術が必要
になる訳だが、時には手の付けられない「お手上げ」という方もあった。

 病気の治療は早期発見、早期治療という言葉があるが、学ばれる方々は手遅れになる前に来て欲しいと願っている。

 これまでにも何度か書いたが、弊社の女性司会者は高レベルである。それは輝く歴史があるからでもあるが、葬儀の原点である「悲しみを理解しようと努力する姿勢」に至ったからこそ「やさしさ」の味が生まれたものであり、葬儀の司会が技術だけでは到達出来ないプロの世界であることの証しのように感じるこの頃である。

理解出来ないこと  NO 3290

 日々に3本の駄文の列記を続けているが、昨日は「高級葬儀」の「独り言」だけしか更新出来なかった。

 今日は「幸せ列車」のコラムに「おもてなしの文化」というタイトルで、我が業界の女性スタッフによる接待サービスの思い出話に触れ、そこから芸術的と称されて褒章を授与された京都名門旅館の仲居さんに関することも書いておいた。

 また、冒頭の「独り言」では函館から掛かって来た電話での懐かしいやりとりや、そこに至った不思議なご仏縁を振り返っていたが、人生の宝物とは「人との出会い」が何より大きいと考えている。

 孫に送った地球儀だが、自宅近くに知られる店があり、無理を頼んで対応願ったが、デパートの半額ぐらいだったのでびっくり。世界地図に興味を抱き始めた小学生だが、アメリカで生まれたことから一入みたいで、喜びの電話が掛かって来たので楽しいやりとりとなった。

 その地球儀のお世話になったところだが、制作に関係されているようでも店構えはされておらず、表側の扉に「お孫さんへのプレゼントに地球儀は?」というような張り紙が表示されているだけ。

 もしもこのコラムの縁で「地球儀を」と思われたら、弊社へお電話を頂戴したら場所を公開申し上げますのでご遠慮なく。

 さて、ご本山で行われていたお通夜に出掛けた。99歳の前坊守さんのご逝去だが、多くのお寺様達がご参列され、私の身体をご心配くださるお声を頂戴することが多かったので恐縮した。

 夜、葬儀式について女性司会者と打ち合わせの電話を交わした。ご本山独特の式次第も考えられるところからご導師との打ち合わせが重要。その際の気になる問題についてアドバイスをしておいた。

 西日本から雨が近付いているようだが、何とか遭遇しないようにと手を合わせている。午後に東北で大きな地震が発生していたが、最近の日本列島は本当に異常な感じ。あちこちで火山情報や地震の危険性について伝えられているが、自然の猛威とは本当に恐ろしいとの謙虚な考え方が重要だろう。

謙虚という言葉から思い浮かぶのは最近の「首長」に多い失言の「主張」で、橋下市長も結びの言葉が欠如していたから「俎上」の対象になり、「訴状」の専門家が情けないことだと伝えたい。

 一連の発言の結びに必要だったのは、「だから戦争はいけないこと」ということ。そこに至らず歴史について発言してしまったのだから最悪。ツイッターでの主張は立場を悪くするだけだから止めるべきとも伝えたい。

 それに関連して「西村慎吾議員」の発言は酷過ぎる。維新の会が除名なんて発表をしていたが、「火に油」というのはこのことだろう。あんな発言が世界に広まったらそれこそ我が国の恥となる。政治家とは何か? 票を投じる人達が真剣に考えなければならないことを学んだ教訓になれば幸いなのだが。

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