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女性司会者のこと  NO 3291

 午後から雨が降り始めた。ご本山で行われていたお葬式にタクシーで出掛けたが、多くの方々が式場の中に入られ、入られなかった参列者も境内にセッティングされたテント内に収まったので問題はなかった。

 会葬者のご焼香時にはスタッフそれぞれが大型の傘を差し掛け、参列者の経路をフォロー、こんな時には直径の大きな特別注文の傘が役立つものである。

 女性司会者が担当したナレーションに耳を傾けていた。大正生まれの女性で、茶華道、絵画、陶芸、詩吟などに造形深いお方だったが、ご伴侶が軍務に奉職され、パプアニューギニアに出征された現地で戦死というご訃報を受けられるという衝撃のご体験があり、その後ご住職としてご長男が後継されるまで大変なご苦労をされた時代があられた。

 人に歴史ありという言葉があるが、ナレーションの取材時にご家族の方々から拝聴する故人の「為人(ひととなり)」は人生ドラマそのもので、それは短い時間で語り尽せないものだが、どの部分をどのように組み込むかというシナリオ創作力も重要で、それを耳にされる方々の存在を考慮して構築するのだから重い責任を感じる仕事でもある。

 多くの司会者を指導して来た歴史があるが、文章創作にあって、美辞麗句に走ってしまう姿勢も少なくなく、人生の重みを解くことから教育を始めなければならなかったので苦労した思い出もある。

 他府県にいた友人からの紹介で来社された女性司会者のナレーションをテストしてびっくりしたことがあった。ご本人はトップレベルにあると自信満々でマイクを持たれたが、私が与えた採点は「0点」で、彼女の表情が一瞬にして固まった。

 指摘したことは彼女のナレーションは完全な「観光案内型」で、いつの間にかそんなイントネーションになってしまったことを知ったが、それから5回ほど来阪され、苦労をされて正常なアナウンスレベルになって私自身もホッとした思い出となっている。

 もう一つ困ったタイプの女性ナレーションの形式がある。デパートや空港内に流れるアナウンスみたいな雰囲気で喋るタイプで、葬儀という式場には場違いということを教えている。

 これは、参列者から「百貨店みたい」と指摘されて来社した女性司会者を指導したから知ったことだが、本人はそんなイメージを想像しながら喋っていたのだから大変だった。

 それが正しいと勝手な思い込みを信じてしまうケースは治療?が難しく、大手術が必要
になる訳だが、時には手の付けられない「お手上げ」という方もあった。

 病気の治療は早期発見、早期治療という言葉があるが、学ばれる方々は手遅れになる前に来て欲しいと願っている。

 これまでにも何度か書いたが、弊社の女性司会者は高レベルである。それは輝く歴史があるからでもあるが、葬儀の原点である「悲しみを理解しようと努力する姿勢」に至ったからこそ「やさしさ」の味が生まれたものであり、葬儀の司会が技術だけでは到達出来ないプロの世界であることの証しのように感じるこの頃である。