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物事の奥  NO 3278

 物事を企画するには基本がある。「何時」「何処で」「誰が」「何を」「どうして」「どうなる」ということだが、時として重要なことを欠落してしまうので、常に冒頭の基本を忘れないようしたい。

 差出人の記載されていない年賀状が届くことも少なくないし、会合の案内で会場や時間が欠落している葉書が届いたこともあるが、マンネリの中に思わぬ落とし穴があることをチェックしたいものである。

 前にも紹介したが、交流のあった書家から頂戴した封書を開けて驚いた出来事があった。届いたのは新年を迎えてから1週間後ぐらいだった。中には私宛の年賀状が同封されており、住所の誤りから戻されたものだった。

 封書の中に書家らしい達筆な字で次のように和紙に書かれていた。「初春や賀状返るの寂しさよ」というものだったが、如何にも粋な人物を物語るご配慮だったと感心した。

 数日前、新聞に墓地不足という記事が掲載されていた。内容は高齢社会の到来で現実として起こり得る問題で、それが全国的に問題となっているというものだった。

 そんな中に気になることもあった。潮流となっている「海洋葬」や「空中葬」などの散骨だが、実行されてから後悔されているケースも少なくないという事実で、心の「よりどころ」となる対象物がないとう寂しさで、海を見れば故人思い出すというロマンチックなことで解決不可能な問題が秘められているようだ。

 全国的に火葬場施設の負担オーバーも深刻な問題になっている。火葬場建設は地元から反対される問題もあり、随分と昔から災害の備えにも「火葬船」や「病院船」の発想も重要と提起してきたが、現実的に考えなればならない時期が到来しているように思えてならん昨今である。

「海洋葬」やヘリコプターから海へ散骨するというようなケースだが、実際に散骨するにはお骨を粉砕しなくてはならず、そこで抵抗感を抱かれて中止されたこともあり、何でも簡単に考えてはいけないということで、流行は業者が作るという言葉を思い出しながら、何でも短絡的にビジネス展開される社会風潮に警鐘を鳴らしたい思いもある。

「海洋葬」に関しては、各自治体の条例によっても規制条件が異なっていることも知るべきで、俳優の石原裕次郎さんの遺骨を海へ散骨されたいと考えられた石原慎太郎氏が、条例によって出来なかったという話題もあった。

記念の日  NO 3277

 長嶋氏、松井氏への国民栄誉賞が授与された。試合の前にセッティングされたセレモニーだったが、松井氏の挨拶と謝辞が秀逸だった。これだけでも栄誉賞の意味があったような感を覚えたが、ご両親がスタンドにおられ、大なる親孝行になったと拍手したくなった。

 アンチ巨人派の人でも長嶋氏だけは別だという人が多いそうだが、そんな長嶋氏がプロ野球の世界に入られたのは私が小学生だった頃。クラスで野球ブームが生まれ、親父にグローブを買ってくれと言ったら、「野球は不良のするものだ」と却下されて驚いたが、親父とはそんなとんでもない考え方をしていた。

 長嶋氏の現役時代の活躍は誰もが認めるものだが、プロ野球の全盛時代から今般に至っているのは氏のお蔭だと説く専門家もあり、そんな華々しい存在感が野村氏の「月見草」という名言を生んだように思っている。

 前にも書いたが、長嶋氏は面白いエピソードがいっぱいある人物。後楽園球場に連れて行った息子さんを忘れて帰られたり、上野駅のロータリーにエンジンを掛けたままの車を忘れて電車に乗ってしまったのも有名だが、監督時代のある年の終盤戦、優勝を左右する連戦に向かう途中のバスで霊柩車に遭遇し、「これは縁起がよい」と験を担ぎ、運よく勝利を迎えたところから、次の日のバスの車内でも「霊柩車に逢うように」と運転手さんに命じられたのだが、ぎりぎりの時間まで走行しても遭遇せず、その日は「友引」の日であり、都内で葬儀は行われておらず、霊柩車が走るということはなかった裏話があった。

 友引きの日に葬儀を行わない地域は結構あるが、我が大阪では私がこの仕事に従事した当時から迷信として考えられ、半分ぐらいの件数の葬儀が行われていたが、最近では気にされない方が多くなったようである。

 六曜の中の「友引」は元々「共に引き合う」という勝負なしの日で、友連れなんて発想はなかったのだが、お上が禁止していた暦の制作緩和がされると同時に特徴ある暦をという訳で、六曜を掲載した暦の登場から一気に定着してしまったようである。

 浄土真宗系では、お開きになった親鸞聖人の教えから「占い」や「迷信」に惑わされないという考えもあり、友引に対する抵抗感も低いようだが、その考え方は残念だが全ての門信徒さんには伝達されていないようで、友引の日を避けられる方もあるし、お寺様にも「世間が悪いと言うことは避けられた方が」と説かれた方もおられた。

 長嶋氏と私は同じ大病を患い、「同病」という言葉を思い浮かべながらセレモニーを観ていたが、氏は発病されてから発見されるまでの時間経過が長く、強い後遺症に至ってしまったのでお気の毒である。

「4番、サード長嶋」とは、ミスターの名が永遠に語り継がれる存在だと改めて認識させていただいた今日の日だった。

世の中様々  NO 3276

 格安航空会社が潮流で、昔では想像もしなかった料金設定で全国各地へ行けるそうだが、世論調査では意外な現実も出ていた。

 最も旅行に出掛けると言われているシニア層には強い抵抗感があるそうで、「利用したことはないし今後も考えていない」という結果が46、2%もあったと報じられていたし、その分析の中に65歳以上の方々の65、7パーセントが利用したくないという考え方があるそうだ。

 客室乗務員は空の接待スタッフではないと表明して物議を醸した航空会社もあったし、ローコストから遅延しないように急かされ、慌ただしく搭乗したり、また一便の不具合から次々に欠航となってしまった出来事もあり、旅行計画がキャンセルされたり大きく変更されたりしたケースもあり、旅の中で単なる移動手段と考えていない団塊世代の人達にとっては避ける事情につながっているような気がする。

 ホテルや旅館業界にあっても、格安と高級タイプの二極化が顕著で、リニューアルに取り組む旅館が多く、こんな高額な料金設定で利用する人がいるの?と思われるようなところが結構活気があることも不思議だが事実である。

 今晩のテレビドラマで温泉の若女将の事件簿みたいな番組があった。舞台として登場したホテルは指宿の「白水館」で、過去に九州の友人夫妻と共に宿泊したことがあるので懐かしい思いを抱いた。

 一方で、次々に新しい発想でホテルや旅館を立ち上げている北海道の「野口観光グループ」のテレビCMが始まっていたのでびっくりした。昨秋に利用した際の出来事から「招待券」を頂戴し、2年間有効というのでいつか行ってみようとは思っているが、「貧乏暇なし」の格言のように中々難しく、当分行けそうにない状況となっている。

 指宿が登場したところで前に触れた医療情報を再度紹介しておこう。指宿にはかつて国が無駄な施設を建設して崩壊整理された出来事があった。そこに新しい会社がHOTERU&SPAとしてリニューアルオープン。そのすぐ近くには医療施設が立ち上げられ、最先端の「がん治療」の研究が進められている。

 メディアポリス医学研究財団が取り組む「がん粒子線研究センター」だが、「陽子線治療」などの技術なども研究されており、費用は保険適用ではないので高額だが、癌で苦しんでいる人達には一縷の望みという光となっているようだ。

ある会話から  NO 3275

 昨日は、好き勝手を書いている駄文の列記型コラムをこのブログ意外に3本発信することになった。高級葬儀の「独り言」ではバスの車内で感じた人の世の温かさに触れ、帰路に大阪環状線車内で体験した女子高校生の驚きの行動を。そして「幸せ列車」のページでは秋から運転されるJR九州のクルーズトレイン「ななつ星」と昔のフェリーの航路について書いていた。

 商店街を歩いていると知人に会って呼び止められた。弊社の本館で行われていた葬儀の会葬に行かれたそうだが、女性司会者の司会に感心され、特にナレーションについて賛辞お言葉を頂戴した。

 それは、私自身が何より嬉しいことだが、「なぜ他の葬儀社と違うの?」と聞かれて瞬時に「プロだからです」と答えてしまい、恐縮しながらお別れしてからおかしな返答をしてしまったと反省をした。

 彼女は誰もが認める輝かしい歴史を持った一流のプロである。私が司会者に求めて止まない「品」についても深い理解を示してくれているし、「気品」から「貴品」への話をした時も真剣な表情をしていたので期待と信頼を寄せていたが、不思議なご仏縁から現在に至っている中に、私が大病を患って大変な重責を担ってくれていることに手を合わせている。

 様々な分野それぞれに「匠」と称される人物がいるが、ある和食の料理人とお客さんとの話が面白くてじっと聴き入っていたことがあった。

「この出汁の味、最高ですね。かつをと昆布も厳選されているだろうし、そこに何か隠し味を加味されているのでしょうね?」

「具材はもちろん厳選していますが、最終的には私の感覚と体験が全てです。美味しくないと思われるお客さんには来て欲しくないのです」

「と言うことは、私は歓迎される客ということになる訳だ」

「私の味をご理解いただけるお客さんは心から歓迎します」

「でも、一方通行で自己満足ということにはならないのですか?」
 お酒の影響も出て来たみたいで、ちょっと過激な言葉から第三者としては心配になりつつある時、料理人は次のように返した。

「定休日はあちこちの料理を食べに行き、自分なりの勉強をしていますが、これまで私以上の出汁を味わったことがありませんので、めぐり逢うまでは私の味が最高だと自負することにしています」

 そう言われて次の言葉が出なかった相手だが、猪口を差し出して「気に入った!」に続いて大きな声で「乾杯」と言われ、私も一緒に乾杯した。

思います?  NO 3274

 関西の落語家の重鎮として知られる桂文枝さんが、最近のテレビ番組の低下を嘆いておられた。

 特に強調されたことはお笑い番組やバラエティー番組で、芸人達の下品な言葉使いと内輪で盛り上がる「ごっこ」みたいな現実だった。昔の関西の漫才師には計算された芸があり、笑われるより笑わせるプロの芸術的な誇りもあったようだし、落語で重視される「間」についての彼らしい持論に共感を覚えるに至った。

 言葉は芸人達だけでなく、アナウンサーの中にも問題が多く、特に気になるのが何度も触れた「思います」について決まっていることをどうして「思っています」と発言するのと強い抵抗感を抱いている。

 歌番組で「ここで**さんに歌っていただきたいと思います」と紹介をした司会のアナウンサーに「あなたが思ってどうするの?」と伝えたいし、クイズ番組を進行する司会者が「では、次のクイズに行ってみたいと思います」とは羞恥のレベルと指摘したい。

 入院していた病院での体験を再度書いておこう。毎朝病室に若い女性スタッフが来られ、元気な声で「おはようございます」と挨拶されるのだが、続いて言われる次の言葉に抵抗を感じ、3回目に来られた際についアドバイスをしてしまった。

「今からこのお部屋をお掃除させていただきたいと思います」と言うのだが、日課で決まっていることなら「お掃除に参りました」からスタートすればよいのではと伝えた。

「採血の方、よろしいでしょうか?」と言って来室された新人看護婦さんもおられた、彼女に「方って何? ここはマクドナルドみたい」と返すと、「そうですね」と笑われた。

 その彼女が採血するのに3回も失敗され、「申し訳ございません。上司に報告し先輩に頼んできますと出て行ってしまった。しばらくするとベテラン看護師さんが来室、「私が担当します」と採血が行われたが、針を刺した瞬間し「力を抜いてください」と言われたので、「針が刺さった状態で患者は力を抜けないよ。もう終わりますからと言われたら自然に力が抜けるよ」と反論したら、「初めてご指摘を受けましたが、確かにそうですね。勉強になりました」と感謝された。

 言葉一つで百八十度異なることもあるものだが、これは、否定語と肯定語の違いというテーマで指摘される問題で、閉店時間の前に来店したお客さんに「コーヒーは売り切れました」と言うのと「紅茶ならご用意出来ますが」と対応するのでは雲泥の差が生じる例でも考えたい。

こんなことも  NO 3273

 30年以上前の話だが、知人が喪主を務められる葬儀で想像もしなかった難題を持ち出された。それは、葬儀を終えてから行われる「御斎(おとき)」の食事に関すること。

当時は「供養」という観点からご当家の近くに存在する「仕出し屋」さんに依頼するのが慣例だったが、「難しい親戚が来るので何処か推薦するところはないか」と言われ、何とかしなければと考えたのが友人の実家が経営する料亭で、無理を頼んで式場となったお寺で配膳や接待まで担当して貰った。

 それは大いにご満足のお声を頂戴し、「難しい」と言われていたご親戚の方も驚かれたそうで、そんな結果を友人に伝えて心から感謝し、すぐに料亭へお礼に参上した。

「初めで最後だろうね」と料亭の女将さん。息子である友人とは長い付き合いがあり、ご両親とも何度も会ったことから私の病的な偏食のことをご存じで、好物ばかりを準備くださってご馳走になったので恐縮した。

 それから半年後、また大変な問題が発生した。冒頭のお葬式で受付を担当されていた方のお身内でご不幸があり、あの時の料理を何とかして欲しいと懇願されたからだ。

「お供養にいただいて来た料理だけど、中身や味も別格だったけど、折箱とお箸の木の香りに感心し、是非親戚の人達にも体感して欲しいのです」

 そんなご要望から再度無理を頼むことになってしまったが、幸運だったのは同じお寺が式場だったこと。持ち帰りの分と、その場で召し上がれる方の料理を別に考慮され、温かいものは温かい内にと、境内にテントを一張だけ専用にすることを頼まれて準備、そこで様々な厨房器具を準備されて対応くださったのである。

 それは、ご近所の方々に話題になったが、仕出し屋さんの3倍程度の予算を要したが、何方からもご納得のお声を頂戴し、その後、1周忌、3回忌などでもご利用されることになった。

 その料亭のご主人が「匠」と称される料理人だったが、それから5年後ぐらいにお身体のご不調から廃業されたので寂しいが、今でも時折に語り草として話題に出て来る。

 お箸のことが出て来たので、ある超一流ホテルの天麩羅コーナーで行われている面白い話題に触れておこう。カウンターに座って注文を済ませると、和服姿の女性スタッフが「どちらをお選びされますか?」とお盆の上の二種類のお箸を出してくれる。

 それは、長いものと短いものだが、大半のお客さんが不思議そうな表情をされる。そこでスタッフの女性が次のようにアドバイスをする。

「掌の小さいお方様は短い方。掌の大きなお方様は長い方が使い易いと存じます。

 それだったらお茶を飲んでいる時にでも確認して配慮してくれたらよいではないか、と考えるのはサービスの世界では甘いのであり、お客様に「そんなことまでしているの!」と感じさせるパフォーマンス型のサービステクニックである。

機器と危機

 昨夜、スタッフから電話が。弊社の誇りと自負している音響システムに異変があるらしい。今日のお葬式では参列者が少ないと聞いたので心配しなかったが、今晩のお通夜に問題が発生すると大変。そこで深い交流のある音響会社の社長に依頼することを命じておいたが、夕方、担当スタッフが来社してチェックしてくれ、問題解決という連絡があったので安堵した。

 機械というものは恐ろしいもの。ある瞬間に故障することもあるのだから気を付けたいし、プロならハプニングをハプニングでないように対処する能力も求められる。

 昔、西名阪道の柏原付近にあるトンネルを大阪に向けて走行中、抜けて3車線になったところで追い越し車線を走っていたら、突然エンジンがストップ。パワーハンドルが機能しないしパワーブレーキまで問題が及んだ。

 幸いに電気系統は作動していたので方向指示器で徐々に左車線に移り、やっとの思いで路肩へ停車することが出来た。すぐに自動車電話で世話になっていたモータースに連絡、緊急事態に陥った経緯を説明したら、考えられることはガソリンが供給される過程に問題がありそうで、人間の脳で例えるなら血管が詰まったというようなことだと教えられた。

「一度試してみたら?」とアドバイスされたのが信じられない話。ガソリンの給油口に掌を合わせ、圧力を与えるような雰囲気で空気を送るということ。そこで車を降りてアドバイス通りにしてからエンジンを掛けてみたら、一発でエンジンがスタートしたのだから驚いた。

 会社に戻ってから車を預けてチェックを依頼したが、そんなプロらしいアドバイスの出来事に改めて大きな信頼を寄せることになった。

 どんな世界にもプロと称される「匠」の存在がある。新入社員に教育する言葉がある。お客様の立場からすれば新人ではなくプロという思いを抱かれるのは常識のこと。ある業界で「研修中」という腕章を付けさせたり、名札に「研修生」という表記をしているケースがあった。それは何か責任逃れみたいに感じてしまう。そんな新人に対応させるなよと思われるのがお客様側の心情だと考えたい。

 弊社に今春に入社した社員がいる。彼は大学在学中に何度も来社して体験研修をしていたので期待している。

悲嘆のこと  NO 3271

 過去に何度か書いたことだが、人生に於ける衝撃との出遭いを心理学的に分析した結果によると、第1位は「夫婦間に於ける子供の死」、第2位は「伴侶の死」、第3位は「一親等に於ける刑の確定」、第4位に「身近な人の死」となり、我々葬儀という仕事に携わる立場には、その内の三つが「死」に関することなので大変な重責を担っているとことになる。

 第4位の「身近な人の死」は「両親」「兄弟」「朋友」「大切な知人」などになるが、ある専門機関が研究したデーターにびっくりする分析があった。

 夫婦にあっての伴侶との死別という問題だが、夫を送るのが「85%」。妻を送るのが「15%」であり、そこからの存命率は男性「5年」、女性「20年」というのだから如何に男性という立場が弱いかを物語る数値でもあろう。

 奥さんを亡くされたご主人が生き甲斐を失われたケースは多いが、一方でご主人を亡くされた奥さんが若返って変身されたケースもあるが、どちらも悲嘆に暮れられる人生を過ごされている方もおられ、それはご生前の絆やご逝去の迎え方に大きく左右され、簡単にご夫婦愛の絆という言葉で考えてはならないものである。

 悲嘆というものは体験された人にしか理解出来ないものであり、「家族」がある日突然に「遺族」と呼ばれることになると、「怒り」「絶望感」「自責感」「孤独感」「著しい判断力の低下」「無気力」「虚脱感」「猜疑心」が強くなり、酷いケースになると「幻聴」や「幻覚」につながることもあり、瞬時に「鬱」状態に陥られることもある。

 そんな悲しみの事実をお通夜やお葬式の場で知ることになった我々は、その目撃者として自然に「共有」の仲間関係が結ばれることになり、ここに「癒し」の重要な「思慕感」の背景を学んでアフターフォローに努めなければならないのである。

 ご主人を亡くされた妻の友人がいた。お葬式を終えてから1年半ぐらい経過した頃に妻と一緒に食事をする機会があったが、そこでご生前の思い出話をすると涙を流され、蕎麦屋さんの店内で何か複雑な空気が流れた出来事もあった。

 透明の涙の成分は真っ赤な血液だそうで、それが流れ出ることによって心身をガードする作用があると教えて貰ったこともあるが、それが「涙は悲しい時にだけ流れ出るものではありません。涙は感情が極まった時に生まれ表れるもの。人が生かされている。生きなければならない証し、輝きなのです」なんて司会のフレーズに至った歴史もある。

 社会は、今、ゴールデン・ウイークを迎えている。ペットを飼っていると1泊旅行も難しいが、最近は、ペットと共に宿泊可能なホテルや旅館が増えた。そんな業界も多様化の波が押し寄せたようだが、物流業界の大手グループがペットの葬儀まで参入し、もはや何でもありという姿勢を見せている。申し込窓口を全国的に設置、既存の専門業者に下請けさせて紹介料を取るシステムは「人間様」だけでなく「ペット」にまで手を広げた。「人」も「ペット」も処理というような考え方で送られたくない筈。そこにスーパーではない専門業者の存在価値があるとも言えるだろう。

簡単ではないこと  NO 3270

 墓石に文字を刻むことは簡単ではなく、石そのものの性質の分析や技術の進化には随分と時間を要し、庶民の墓石に文字が刻まれるようになったのは江戸時代だというのが一般的な説である。

 海洋葬、樹木葬などの言葉が目立つようになったが、「葬」という文字が引っ付いているので誤解され易いが、それらは「葬儀」の形式ではなく「散骨」などによる「納骨」のことである。

 少子化や独身を貫かれる方が多くなり、墓地や墓石を不要と考える人も増えたが、寺院の永代供養という世界を経て、そんな発想も生まれた社会背景があるように思える昨今である。

 桜の樹の下に筒を埋め込み、そこに遺骨を納めるというケースが登場して見学に訪れる人も多いが、一方に無人島そのものを陵墓みたいにして納骨場所とする企画も登場して話題を呼んでいた。

 葬儀という仕事に従事して長いが、ずっと疑問に思って来たことに大阪と東京に於けるお骨箱の問題だった。テレビドラマでご覧になったことや著名人の葬儀のニュースなどで目にされたことがあろうが、東京のお骨箱は胸に抱かれるほど大きく、大阪では一般的に言われる「お骨袋」だけというケースもあるからだ。

 火葬された遺骨を全て収骨されたら東京のように大きな遺骨箱が必要だが、大阪ではお骨袋の他に分骨をされるケースでも小さなものを選ばれることが大半で、それらの背景に納骨所として知られる「四天王寺」や「一心寺」の存在も考えられるような気がする。

 過日に俳優の「三國連太郎さん」の密葬のニュース映像を観たが、ご出棺前のご長男の胸に抱かれていたのは大きな遺骨箱。我が生野区には在日の方々が多いが、ご不幸があると全てのお骨を収骨可能な大きな物が準備されるのも常識となっている。

 大阪市内の火葬場で販売されているお骨箱は、直径が「3寸(約9センチ)」から「7寸(約21センチ)」ぐらい。その上の「8寸(約24センチ)」となれば、葬儀社側で準備する対応となる。

 大きさ問題から離れて、お骨をどうするべきなのかを考えてみると中々難しく簡単ではないことが分かる。最も説得力があるのは墓地で目にすることのある「五輪塔」に刻まれた文字である。梵字なので読めないが、「空・風・火・水・地」の意味だそう。「空」は意識で「心」なのでさておいて、残りの「4文字それぞれに「葬」の文字を続けたら、「四大葬法」になるのだからびっくりする。

「生あるものは大地に宿り、やがて大地に還って行く」という意味を表しているとも言われ、「地」に宿り、水子という言葉もあるように「母の胎内」を経てこの世に生を享け、体温を持ち、呼吸を始めて意識という心を持つようになる。これが誕生までの「道」で、その逆となるのが「意識」がなくなり「呼吸」が止まり、「体温」が「冷たく」なり、そして「水」になって「土」に戻ると言う思想である。

 高僧が遷化された場合に「四大不調の砌」という言葉が用いられることがあるが、これも上記の「五輪」に因んだもので、「五輪」とは「五大」とも称されていることも知っておきたい。

 さて、そんなところからすると、桜の樹の近くに埋める器の底は土に直結していなければおかしくなるが、こんな話題を幾ら話し合っても結論に達しないのだから難しいのである。

 昔に読んだ書物の中で印象に残っていることがある。それは前述の「五輪」にもつながることかも知れないが、「眼・耳。・鼻・舌・身」という「五感」のことで、それに「心」をプラスさせると「観」になるというものだった。

びっくり企画  NO 3269

 ゴールデン・ウイークが始まり、駅や空港が大混雑。高速道路でも渋滞というニュースがあった。

 こんな時期に旅行へ出掛けると宿泊料金も割高になるし、受けるサービスが行き届かないことも覚悟が必要。

 そんな中、毎月届く旅行のカタログ誌に目を通していたら、びっくりする企画があった。クラブツーリズムが「夢の鉄路」「25の鉄道で春まっさかりの日本をひとまわり」「日本最北端・稚内駅から最南端・西大山駅まで4つのさいはてを制覇」という内容。5月15日出発で14日間「一人約50万円」となっていたので紹介を。

 大阪駅発11時50分のトワイライト・エクスプレスに乗車。車内での夕食は金沢の老舗料亭「大友楼」の二段重弁当・・車中泊

札幌駅着、市内観光後「特急サロベツ」で稚内へ。稚内温泉に宿泊。

 稚内温泉からバスで宗谷岬を経て紋別へ。昼食は名物のホワイトカレー。北浜駅から「オホーツク海岸列車」で知床斜里駅へ。宿泊は屈斜路プリンスホテル。

 屈斜路からバスで納沙布岬を経て東根室駅へ。花咲線で釧路駅へ。「特急スーパーおおぞら」で帯広駅へ。宿泊は十勝川第一ホテル。

 バスで帯広駅へ。「特急スーパーおおぞら」で南千歳駅へ。「特急スーパー北斗」で函館駅へ。「特急スーパー白鳥」で蟹田駅へ。バスで竜飛岬へ。宿泊はホテル竜飛。

 バスで津軽中里駅へ。津軽鉄道で五所川原へ。バスで立倭武多の館を経て弘前駅へ。弘南鉄道で黒石駅へ。宿泊は大鰐温泉・青森ロイヤルホテル。

 バスで阿仁合駅へ。秋田内陸縦貫鉄道で角館駅へ。みちのくの小京都を見学。バスで新玉川温泉へ。宿泊。

 バスで田沢湖駅へ。秋田新幹線「こまち」で大宮駅へ。鉄道博物館を見学ごバスで東京駅へ。寝台特急「サンライズ瀬戸」の乗車。車中泊。

 米子駅から境線「鬼太郎列車」に乗車して境港駅へ。水木しげるロードを散策。バスで松江しんじ湖温泉駅へ。一畑電鉄で一畑口駅へ。バスで出雲大社を経て出雲市駅へ。「特急スーパーおき」で湯田温泉駅へ。宿泊は湯田温泉「西の雅 常盤」。

 バスで新山口駅へ。山陽新幹線「さくら」で博多駅へ。バスで筑前前原駅へ。筑肥線で唐津駅へ。バスで呼子へ行き「イカの活き造りで昼食。バスで松浦駅へ行き松浦鉄道でたびら平戸口駅へ。平戸温泉にて宿泊。

 バスで佐世保駅へ。「特急みどり」で博多駅へ。九州新幹線「さくら」で鹿児島中央駅へ。バスで西大山駅へ。指宿枕崎線で指宿へ。指宿温泉で宿泊。

 バスで仙厳園から桜島を一望。島津家別邸跡を経て鹿児島中央駅へ。「特急きりしま」で宮崎駅へ。「特急にちりん」で大分駅へ。宿泊は湯布院温泉。

 湯布院温泉を自由散策後バスで佐賀関港へ行き昼食。フェリーで四国の三崎港へ。バスで内子を経て道後温泉へ。宿泊は大和屋本店。

 バスで道後温泉駅へ。伊予鉄道「坊っちゃん列車」で松山市駅へ。伊予かすり会館を見学して松山駅へ。「特急しおかぜ」で岡山駅へ。山陽新幹線で新大阪へ。

 如何だろうか。ホテルで使える宅配券が2枚付いているそうだが、こんな企画を発想するツアー・コンダクターに「すごいね」の言葉を贈りたい。

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