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協会の活動  NO 3369

 喫茶店で会う知人に元警察官がいる。私より少し若いが、定年を迎えるまで奉職していた生粋の警察官人生だったので、彼から聞く話には興味深いことが多く、常連客の中で歓迎される存在になっている。

 そんな彼から聞いた話で信じられない事件があった。路上に駐車していた車の助手席のガラスが割られ、その音から気付いた人が犯行に及んだ人物を目撃、それが近くに住む中学生だったところからすぐに通報されて補導されたそうだが、その動機に衝撃を受けることになった。

 ダッシュボードにタバコが置かれてあるのを見て、それを手に入れるためにガラスを割ったというもので、こんな子供達が存在している事実に驚くと共に、彼らが無免許で車やオートバイを運転し、事故を起こしてもそのまま逃げてしまう事件の多さに、根深い病んだ社会の現実に憂いを感じる客達だった。

 そんな会話の中で続いて私の話が話題になり、「あの世」の教育の重要性について盛り上がることになった。

 常連客の中の3人が私の書いた小説「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」を呼んでいたこともあり、「あの世」の存在を信じることが勧善懲悪の基本となるなんて結論に至り、私の口癖である「被害者になるな」「加害者になるな」の考え方に賛同してくれることになった。

「命の教育」と「あの世の教育」はすぐにでも取り組むべき重要なテーマで、最近の凶悪犯罪の実態や「オレオレ詐欺」や「ひったくり」事件の多発を考えると暗い将来は否めず、日本の誇りであった筈の「恥の文化」さえ消滅してしまうような感を覚える。

 事故や事件の被害者の葬儀を担当すると、いつも時計の針を戻すことが出来ないのかと嘆く空気に包まれるが、日々の新聞やテレビのニュース番組には悲しい事件報道のオンパレードが続いている。

 学校の「いじめ問題」から自ら命を絶ってしまった悲しい出来事も一向になくならないし、そんな葬儀の場で「教訓に」「二度と繰り返しませんから」と誓いの言葉のような教育者の形骸的な弔辞を耳にすると腹立たしい限りで、「命の教育」が欠如しているように思えてならないこの頃である。

 飲酒運転も後を絶たない現実がある。それで事故を起こしてから後悔をしてもどうにもならない。前にも書いたが「プロとは反省はするが後悔はしない仕事をする」と言われている。人として「この世」で生かされるなら、少なくとも後悔しない人生でありたいもの。ここにも「被害者になるな」「加害者になるな」の言葉が問われるだろう。

 悲しい葬儀を体験したプロ達が思いを集約して「飲酒運転の撲滅」や「命の教育」「あの世の教育」を本気になって推し進めている。その組織団体の名称は「日本トータライフ協会」だが、大災害に備えて「病院船」や「火葬船」の建造についても積極的に活動している。

 ご興味があれば、「日本トータライフ協会」と検索され、「HP」をご笑覧いただければとご案内申し上げます。

今日ある幸運  NO 3368

 京都の福知山で開催されていた花火大会で、屋台のプロパンガス爆発が起こり、多数の負傷者が出ているニュースに衝撃を受けたが、どこで災難に出遭うか分からず、本当に今日あることに手を合わそうという気持ちになる。

 日付が変わる前のニュースでは58人の方が病院へ搬送されたと伝えていたが、一部の情報によると、発電機に燃料を入れる際に引火し、近くにあったプロパンガスのボンベの爆発を誘引したようであり、今後はその取扱いに関して厳しい制約が課されるかもしれない。

 毎年夏になると海や川での事故が伝えられる。全国のあちこちで悲しいお通夜や葬儀が行われていることになるが、行く前にまさか自分がとは予想だにしていなかった筈で、事故とはいつも予想外、想定外という隙間に悪戯のように発生するのが恐ろしいのである。

 青春時代の夏のこと。十数名で琵琶湖に出掛け、到着と同時に水の中へ入ったら、大きな声で地元のオジサンから説教されたことがあった。

「無茶をしたら危険だ。君達が死んだらお父さんやお母さんがどんなに悲しまれるか考えたことがあるか。いいか、琵琶湖の水の恐ろしさを教えてやる。

 そう言われて全員が改めて水の中に入ったが、そこで教えてくださったことが腹部や胸部で感じる水温の違い。それらは琵琶湖に流れ込む川の水温によって変化が生じていることを体感することになった。

 胸部だけがびっくりするような冷たさを感じることもあり、それが原因で心臓麻痺に至るケースもあるそうでゾッとしたが、みんなでオジサンに感謝したことを憶えている。

 全国各地でゲリラ豪雨と呼ばれる現象が頻繁に起きている。これらは下流で川遊びをしている人達にとって何より危険なことである。上流の方で黒くなったら増水の危険があるというのは常識だが、その量が半端じゃなく、急に増水する危険性があるので気を付けたい。

 こんな仕事をしていると様々な事故のご不幸の葬儀を体験している。山や海の遭難もあったし、交通事故は数え切れないほど担当させていただき、その悲惨で悲しい光景は担当したくない世界で、葬儀の仕事に従事していると自身が被害者や加害者になりたくないと神経質になってしまう。

 一日に全国で3000軒を超える葬儀が行われ、その夜に同じぐらいのお通夜が行われている。その中には事故や事件の被害者も存在するだろうが、誰もそんなことを想像していなかった筈である。

 孤独死という悲しい実態もあるし、だれにも看取られることなくこの世を出立する寂しさ悲しさは筆舌に堪えないことだろうが、何度も入院体験のある私にとって、病院の白い天井を目にするだけでも不幸でないことを学んだような気がしている。

こんなことも  NO 3367

 遠い昔のことだが、遠方からご依頼があり私がスタッフと共に病院へお迎えに行き、日付が変わった頃にご自宅にご安置。そこからお寺様を迎えて枕経となり、それが終わってから葬儀の打合せとなった。

 故人は邦楽の世界で著名な方。ご自宅での葬儀を執り行われることになったが、弔辞が3名予定され、800名ぐらいの参列者が予想されるところ1時間半の式次第で進めることになった。

 時間に関してもお寺様のスケジュールと火葬場の確認も取れたので、後は地域の方々へのご通知をどうするかということだった。

 外は少し明るく鳴り始めた頃。こんなに早くご挨拶に参上してもということから町会長さんへのお知らせは午前8時になってからと決まったが、午前7時半頃、その町会長さんご自身がご当家にやって来られ、突然に「誰に断わって勝手に葬式の手配を進めているのだ!」と一方的にご立腹の態度で抗議をされ、それに対してご親戚の方が反論。「葬儀を誰に断わる必要があるのだ。あなたはどういう立場なのか」と険悪な雰囲気になってしまったので間に挟まれて困惑してしまった。

 ご親戚の立場はトラブルになっても後のことはないが、ご家族はこれからもここで生活をされるのだからそんな配慮も大切だと思いながら、出来るだけ場を和らげるようなイメージを重視しながら割って入ることにした。

「皆さんで午前8時になったら町会長さんにお知らせに参上することにしていましたが、何方様がご訃報をお知らせになったようで、ご挨拶という礼節を欠いた結果となり申し訳ございません」というと、さっきのご親戚の方はご立腹が治まらないご様子で、「葬儀屋さん、あなたが謝る筋合いは一切ない。おかしいのは怒鳴り込んで来たこの人物で失礼極まりないではないか。遺族がどんな葬儀を進めるか、どこの葬儀社に依頼するかも自由な筈で、この町は車はニッサン、テレビは東芝などと決まっているのか?」とエスカレートされたので困った状況に。

 そこまで言われた町会長さんも少し自分の行動が無茶だったことに気付かれたようで、自分の立場を理解して欲しいと態度を変更されたのでホッとした。

 これまでの体験から「当町会は**葬儀社」と暗黙の取り決めをしているケースも少なくなく、それが葬儀社と自治会の裏取引みたいな事実もあり、まだまだ低次元な村社会みたいな実態があるのが複雑な葬儀の世界だが、このケースでもそんな事情が絡んでいたことを後から知ることになった。

 葬儀の進め方やご遺族の思いなんて一切無視。自身の紹介料を優先させる行動に腹立たしい思いを抱いたこともいっぱいあったが、葬儀社を指定されている理不尽な現実に対して、上述のご親戚が反論されたお言葉は名言だったように思っている。

こんな苦労も  NO 3366

「幸せ列車」のコラムでは、ご自宅で行われていた葬儀にサイレンを鳴らした白バイがやって来た出来事を書いたが、果たして何が起きたのだろうか? ご興味があれば「幸せ列車」で検索いただき、私の「各駅停車」のページでご笑覧を。

 世の中には不思議な偶然もあるものだが、これはひょっとして「必然では!?」と思った出来事を体験したことがある。

深夜に掛かって葬儀の依頼の電話。私自身がそのご自宅に参上して打合せを担当することにしたのだが、ご当家のお名前は滅多にない「珍名」さん。偶々次の日が友引だったことから2日後のスケジュールで進めた。

 次の日の朝、遠方から葬儀の依頼電話があり、これも滅多にない「珍名」さんだった。

 そんなお客様のお名前を「珍しいですね」と言って飾り付けの設営に参上したスタッフが「信じられないことです」と興奮の様子で電話連絡をして来た。

 ご両家とも滅多にない「珍名」さんなのに、お隣が同じもう一軒の「珍名」さんと同じ。また、もう一軒の方は斜め向かいのお家が同じ「珍名」さんだったからだ。

 ちょっとご理解し難いかもしれないので別掲として説明するが、「A」さんのお隣が「B」さんで、「B」さんの斜め前のお家が「A」さんだったということで、こんな不思議なことがと社内でずっと語り継がれた出来事となった。

 多くのお葬式を担当させていただいた中には忘れられないことも多いが、あるお寺の檀家総代さんのお家で葬儀を担当することになったのだが、旧家であるご当家の建物が文化財として指定されており、幕を張るのに押しピンを一切使用出来ず、先に大工さんに枠組みをして貰ってから設営した。

 また、新築してから間もない立派なご自宅での葬儀、押しピンの痕跡を残したくないので枠組みをしてから設営しますので少し時間の猶予をと申し上げたら、「親父が建てた家です。親父の葬儀ですから痕跡は気にしないでください。それを見て親父のことを思い出しますから」と言われたので驚いたが、それはちょっとと願い下げを申し上げ、枠組みしてから飾り付けをしたこともあった。

 古いお家にご多数のご親戚が来られ、床が落ちた出来事は何回も体験しているが、古いお家では襖や扉が外せないことも多く、飾り付けの時には必ずジャッキを持参していたものである。

忘れられない日  NO 3365

 高知県で41度を記録したニュースがあった。どこまで暑さが続くのか不明だが、熱戦が繰り広げられる甲子園球場の中継を観ていると、それだけで選手も観客の皆さんも大丈夫かなと思ってしまう。

 ラグビーの親善試合をしていた高校生が熱中症で亡くなった報道もあったが、こんな猛暑の中で激しい運動をするのは「根性論」を否定して命を優先させるべき。過去に熱中症で可愛い孫を亡くした友人のことがあるのでそう伝えたい。

 体罰や根性論を強いる教育者や指導者が少なくないようだが、それらに共通することは説得力が欠如しているからで、自身への不甲斐なさがそんな行動に走らせてしまうような気がしている。

 過去にあるスポーツの世界で多くの選手達を指導した歴史もあるが、重視したことは大らかな選手を育てること。「勝者があれば敗者がある」なんて技術論ではないアドバイスをしていたこともあり、当時では異質な指導者と思われていたと想像する。

さて、今日12日は、あの日航機事故が起きたので忘れられない。犠牲となった方々のお葬式を担当させていただいた思い出もあり、これからも忘れることはないだろう。

 ご遺族のご要望から伊丹空港へご遺体をお迎えに行くスタッフに、全員「黒服の正装でネクタイ着用」を命じたが、それは極めて当たり前のことなのに、他の同業者が開襟シャツ姿だったところから、一部のご遺族から顰蹙を買った出来事もあり、そんなところにプロとそうでない違いがあるような気がする。

 どんな仕事の世界でも原点を忘れないことが重要で、そこに礼節を知るプロの基本があり、自分自身がまだまだという謙虚な姿勢が「匠」と称される人を育むのである。

「生涯教育」という言葉があるが、人間死ぬまで勉強という考え方は大切で、正座ではなく胡坐を掻いた時点でマンネリというミスの温床環境を生じさせることになり、もはやプロではない領域となってしまうものである。

「幸せ列車」のコラムではお盆に因んで「十王経」の一部について触れたが、臨死体験をされた人達が蘇生された際のことで共通することも書いておいた。そんなことを書くと変な葬儀屋と思われるかもしれないが、私は「**が見えます」なんて自称霊能者の存在が大嫌い。他人のことを占うことが出来れば自分のことをもっと見える筈なのに、そんな行動をしていることが疑問に思えて仕方がないからだ。

 世の中には様々な強迫商法の存在も多い。マインドコントロールされてしまう弱者があまりにも気の毒だ。医院の待合室で目にした女性週刊誌の中の広告に、そんな仕掛けや占いの宣伝がいっぱいあった事実に驚いた。

忘れられないこと  NO 3364

 葬儀は最近こそ専門式場で行われているが、昔は大半が自宅で執り行われ、自宅で不可能な場合や参列者が多い場合にお寺を拝借していた。

 そんな時代に想像もしなかった事件が起きたことがあるので紹介しよう。

 当時は香典を辞退することなんて「社葬」以外では皆無で、個人葬で辞退するようなケースでは受付を担当された方々と弔問者のやりとりに次のようなことも少なくなかった。

「喪主に持参して来たものではない。故人にお世話になったことがあるからお供えをしたいので、それを受け取らないとは私の心情はどうすればよいのだ」

 昔の自宅葬では式場の玄関に家紋入りの提灯を設置するのが当たり前だったのだが、ある日、異なる筋で背中合わせのように2軒のお通夜が行われていた。

 同じ時間に始まったお通夜だが、昔は今よりはるかに弔問者の人数が多く、お互い様感情の絆も強く、100人以下というケースの方が少なかったものである。

 式場内でご親族の焼香が終わった頃、接待担当の女性スタッフが私のところへやって来て、「受付でややこしいことが起きています」と言われたので、きっと香典辞退でもめているのではと思ったのだが、ご当家は辞退をされていなかったことに気付いた。

 では何が?と受付に行ってみると、サラリーマン風の5人ぐらいの方々が受付の人達と話し合っている。そこで判明したことは、同時間に行われている裏の筋のお通夜に行くべきなのに、間違ってこちらに来てしまい、香典を託されたことから返して欲しいというものだった。

 それは、すぐ後に別のお通夜でも発生しており、お寺さんが下がられてから両家の遺族が香典帳を確認されて互いのやりとりを問題ないように正常化されることになったが、間違われた方々の話はそれこそ勝手な思い込みだったが、笑うに笑えない環境がそうさせたようだった。

「タクシーの中から提灯と黒い服の参列者の姿が見えたのでてっきり」
「焼香してご遺影を見て手を合わせたら、お父さんのご不幸と聞いていたのに女性の写真だったのであれ!?と思い、入り口の告知看板の名前を確認したら別名だったのですから驚きました」

「葬儀は人を集め、人を走らせる」という言葉があるが、こんな考えられないことが起きることもあったのである。

仕事と作業  NO 3363

 最近はあまり聞かなくなったが、昔は「献体」される方が結構おられ、そんな崇高なご意志を尊重された方の葬儀を何度か担当させていただいたことがあったが、ご高齢だったご夫妻お二人共が、遺言で「献体」の道を決められていたケースもあった。

 そんな「献体」のお葬式で予想もしなかった問題が起きたことを紹介申し上げる。

「献体」される場合の葬儀は、確か当時の厚生大臣からの感謝のメッセージが届き、受け入れされる病院の関係者が参列され、式次第の中でメッセージを代読されるのが多かったが、そんな代読が終わった頃に式場の外で思わぬ問題が起きていた。

 接待担当のスタッフが顔色を変えて私に耳打ちにやって来たので尋常ではないと思ったが、式場となっていたご当家の玄関から30メートルほど離れたところで揉め事が発生。ご指摘された発端は会葬者からで、相手は病院から依頼された寝台自動車の運転担当者だった。

 ご出棺時には病院側から手配された寝台自動車で搬送されるのだが、その車の人物の態度が悪いということがご指摘で、弊社のスタッフの一員と誤解されていたので否定したが、厚生大臣のメッセージ代読がスピーカーから流れている状況で、運転者は寝台自動車の中でタバコを吸いながら三流週刊誌を読みながら笑っていたこと知り、それを目撃された方々のご立腹も理解したが、運転者は病院に出入りする葬儀社のスタッフで、仲裁に入った私は「あなたは仕事に来ているのではなく作業のために来ているようだ。献体という崇高なご意志を踏み躙るとは以ての外」と叱責したが、後から病院側からご当家に謝罪があった後味の悪い思い出として記憶に残っている。

 献体された方のご遺骨は、2年から3年後にご遺族の元に帰られるが、「医学の発展のために」という崇高なご意志は大切にしたいものである。

 脳死という言葉もあるが、何を以て「死」と考えるのかは簡単ではなく、臓器移植という問題もあって今後も論議されることになるだろう。

 社会には「アイバンク」「イヤーバンク」「腎バンク」という「命のリレー」の活動の存在もあるし。ドナーが少ないと提起されている「骨髄バンク」もある。

 大臣を務められた政治家と話し合ったことがあったが、「臓器移植は弱者が強者のために提供するものであってはならない」と仰ったことが印象に残っている。

 この世に生を享けて何かよいことをしたかと話し合った時、「献血をした」と言った友人もいたし「多額の税金を納めた」と言った知人もいたが、少なくとも「加害者」にだけはならないようにありたいものである。

小さな幸せ  NO 3362

 予想もしなかった入院生活から解放されてホッとした。血管が出難いところから腕のあちこちに点滴の痕跡が残り闘病生活を物語っているが、何を食しても問題がないのでよかったと思っている。

 全国的に猛暑が続き、東北では「かつて体験したことのない豪雨」という気象庁の発表もあったが、例年に8月の一カ月間の総雨量をたった半日で記録したというのだから尋常ではない。九州や山陰から始まった局地的豪雨は、専門家によると極めて狭い範囲で発生しており、予測のつかないこともあるそうなので大変である。

 そんな猛暑の中、スタッフ達がお客様のためにあちこちの仕事に従事しているが、熱中症にならないように、そして事故のないように安全運転をと願って手を合わす。

 ご弔問やご会葬に来られる参列者の皆さんも大変だろう。黒い服を召されることも大変だが、これからお盆に入ると交通機関の混雑や高速道路の渋滞が確実なので懸念している。

 今日は、忘れてはならない長崎の日である。市長が核兵器の絶滅宣言に賛同しなかった政府に対して批判をしていたが、いけないことを「いけない」と、おかしいことを「おかしい」と言えない社会は最悪だし、我が国の将来が「福島」と「東電」が顕著に物語っているような気がする。

 葬儀屋風情が総理や内閣を批判する立場ではないが、国の借金が1000兆円を超えたというニュースもあった。いくら金利が低かっても、いくら国債発行が自由な手段としても、その「つけ」は将来に残る負の財産である。

 我々庶民や弱者は小さな幸せを願っている。そんなことから考えると、入院中に「行きたい」という欲望のあった銭湯に行けたことは幸せである。番台におられた女将さんから「また無事に帰られてよかったね」と言われたが、何度も入院した歴史をご存じだからだ。

 銭湯に行きたかったのはもう一つの楽しみがあった。4日間の絶食から減量しているだろうと言う予想で、測定したら見事に減少している数字が目に入り嬉しく思った。

 中で会った常連さんから「入院していたと聞いたが」と言われたのできょう退院して来たと伝えると「再会出来てよかったなあ」と笑われた。

 銭湯で過ごすひとときは至福の時間である。温泉好きな日本人ならではの存在だが、様々な設備が施され、我々庶民に幸せな時間を与えてくれる。お気に入りの今日の湯はグリーン一色の「森林フィスト」で、香りがゆとりの相乗効果を生じていた感じ。

 弊社の「西館」をご利用くださったお客様がお通夜に来られることが多いが、そんな方々のために用意している「銭湯セット」も好評のようだ。幼い頃から銭湯大好き人間だったところから、この世に生がある限り暖簾をくぐるつもりだが、退院した日に入った思い出は一入幸せを感じるものである。

意外と早く  NO 3361

 予想される南海トラフに関する大地震で想定される津波の高さについて,大阪府からの公表があった。前に発表された政府の数字より広範囲で、関西空港でも浸水の恐れがあり、、30センチと予想されていた梅田界隈の浸水もそれどころではなかったので衝撃である。

 地下は揺れが少ないという定説があるが、浸水に対する備えも重要で、地下にいて大きな地震が発生したらすぐに安全を確かめて地上に出ることも考えたい。

 和歌山県沖の太平洋を震源とする大地震が発生すれば、54分で大阪湾の岬町に津波が達し、110分後には大阪市内の住之江区に到達すると分析されていたが、意外なデーターとして大阪城の東北になる城北から城東区に掛けて浸水の危険性があるそうで、それらは淀川から運河を逆上することから想定されていた。

 過去に調べたことがあるが、弊社の「西館」のある「疎開道路」の海抜は6メートル、今里筋にある本館は5メートルと知ったが、大阪湾からが津波が運河を遡ったと仮定しても、2階以上ならば大丈夫ということになっても、机上の空論という言葉もあるところから最悪の想定に備えるべきだと考えている。

 全国に点在する葬儀のプロ達の組織で、昨日の号で書いた行動を始めているが、そんな一方で大震災を想定して「病院船」や「火葬船」の建造の重要性について提起し、政府に要望する運動も行っているが、賛同いただける方はお葉書やメールをくださったら有り難く大歓迎なのでよろしくお願い申し上げます。

 葬儀に関して問題提起をすることがいっぱいあり、メールマガジンを発信する予定も組まれているので、ご希望の方はアドレスを発表した際にお申し込みをとご案内申し上げる。

 そんな地震に関することを考えていたら、テレビで緊急地震速報が流れ、同時に携帯電話でブルブルと伝えてくれたが、ベッドの手摺をしっかり握って構えたが、全く揺れを感じることがなかった。

 夕方になってそれが誤作動みたいなニュースがあったが、まあ速報がないのに大きな揺れが来るよりましかと思っていたら、新幹線もストップしたと知ってびっくりした。

 数年前、救急車で運び込まれた病院で、処置を受けて病室に入った途端に大きな地震に遭遇し、扉が勝手に開いたのでゾッとした体験があった。その時の震度は「3」ぐらいだったが、病人としてベッドの上で寝ていると恐怖感は倍加するもので、古そうな建物だったのでそれからずっと地震が発生しないように願っていた。

 現在入院中の病院は耐震建設だそうで、「念のために」と病室に来てくれた看護師さんが「しばらく扉を開けたままにしておきます」と言われた。

 そんな病院だが、経過が順調で、明日に退院出来ることになったので喜んでいる。予期せぬ今回の入院だったが、色々なことを考える時間を与えてくれたみたいで、退院後は一滴のアルコールも口にせず、会食での乾杯も法事の献杯もお茶かジュースでおこなうつもり。

積算の結果?  NO 3360

 明日から甲子園球場で高校野球の大会が始まるが、今日は開会式のリハーサルが行われたそうで。その模様が各局のニュースで報道されていた。

 そんな映像を観ながら疑問に思ったことは、本番の緊張感を薄らいでしまうこと。イメージだけなら納得出来るが、大半の構成を見せてしまっては開会式本番の感動がなくなってしまう可能性があるではないか。報道のプロがそんな配慮を忘れたら最悪で、プロデュースという意味をもう一度考えて欲しいものである。

「独り言」では入院中の出来事を書き、「幸せ列車」のコラム「各駅停車」では葬儀のプロ達が始めている活動についてふれたので、ご興味があればご訪問いただければ幸いです。

 これまでの人生で日本各地のホテルや旅館に宿泊した歴史があるが、その大半は講演活動の際に利用したものである。

 振り返れば入院から病院での宿泊?も数多くある。記憶しているのを積算してみると250日ぐらいになるのだから少なくない。最短の2日、最長の120日を含めて8回も体験しているのだから自分でもびっくりである。

 その内3回が「あの世」を覗いて来たような体験があるので、誰よりも「生かされている」思いが強く、残された余命で「命」を使う「使命感」に燃えている。

 葬儀に携わる立場が「悲しい事故や事件を起こさないで」と訴えるのは異例で初めてと思うが、「命の教育」と「あの世の教育」にも積極的に取り組むつもりで、殺伐とした砂漠みたいな社会に小さなオアシス活動が出来ればと考えている。

 幸いにして賛同してくれた葬儀のプロ達が北海道から九州まで存在しているが、一般の方々に提案したら全員が賛同してくださったことが何よりの励みで、退院したらすぐに行動を始めたいと考えている。

「幸せ列車」にも書いたが、病室の白い天井を見つめていると「行きたい」「食べたい」「見たい」「会いたい」という欲望の「たい」のオンパレードになるが、今回の入院では齢を重ねたこともあり、「やらなければならない」という責務を強く感じ、それについて考える時間を与えられたような気がしている。

 昔からプラス思考の性格で、「天命」「使命」「宿命」に対する自己納得の感受性も高く、この世を出立する前に何か「かたち」を残したいと思っているが、それが「形見」になる前に完成となれば有り難いことだと願っている。

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