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震災に関して  NO 3481

明日17日は阪神淡路大震災が発生してから19年目を迎える。前日にそんな大地震が起きるなんて誰も考えなかったこと。17日の暁方に発生した出来事は今でも忘れられないほど震撼する大きな揺れだった。

当時、血圧を低下させるために医師から軽い睡眠導入剤を服用していたが、強烈な揺れから目が醒め、天井から下がっている蛍光灯が激しく天井に当たっている光景に驚き、家が軋む音に倒壊するのではと危険を感じた思い出となっている。

当日、生野地域と林寺地域で行われる葬儀の司会を2軒担当する予定だった。出勤不可能となった社員もあり、電話が通じない状態もあって大変な苦労があったが、それはご遺族の方々も同じで、午前中のお客様の方は前日のお通夜に60名ぐらいのご親戚が参列されていたが、葬儀当日は約半数の人しか参列されなくなってしまった。

午後に担当のお葬式だが、ご出棺をして大正区の小林斎場に向かったが、阿倍野の近鉄百貨店の前から西へ向かってすぐにある大阪市立病院前の信号から西は停電状態にあり、全ての交差点の信号が点灯していなかったので大変だった。

その途中の光景だけでも二度と体験したくない世界だったが、大被害が及んだ地域では想像を絶する現実となっていた。

弊社が加盟している日本トータライフ協会に神戸のメンバーが存在している。神戸に本社がある株式会社「公詢社」だが、吉田社長はメンバー研修会で「悲しみの語り部」として体験談を話してくれたこともあり、拝聴していたメンバーの多くが涙を浮かべていたのが印象に残っている。

公詢社は犠牲となった方々の中で2000名を超える方々に携わっており、全社員が会社で1ヵ月ぐらい休むことなく対応されたそうである。

その後、皇太子ご夫妻を迎えられて行われた追悼式や両陛下がご出席された10年目の追悼式を担当されたが、前日のリハーサルで私が畏れ多くも天皇陛下の役を代行させていただいたことも忘れられない出来事である。

もうあのような大地震が発生しないようにと願っていたら、東日本大震災が発生して衝撃を受けたが、関東に在住している娘ファミリーも被害を受け、孫達と学校の体育館に避難することを余儀なくされていた。

昨秋に北海道での講演に行き、その帰路に八戸や気仙沼に立ち寄って来たが、どちらも不思議なご仏縁に結ばれる人物の存在があり、再会することが出来たので自身の人生で気になっていたことの一部が解決に至ったのでホッとしている。

気仙沼の方は、阪神淡路大震災後のテレビ番組で私が出演しているのを観て弊社に入社して来た女性で、その後しばらくで母親になる喜びの事情から故郷の気仙沼に戻られたのだが、東日本大震災のニュース映像の気仙沼の状況を目にして衝撃が走り、彼女が大丈夫なのだろうかとずっと安否が心配でならなかった。

そんな彼女の元気な姿を目にしたのは新聞のカラー記事だった。奇しくも別のコラムを掲載させていただいている「幸せ列車」の管理人さんのコラムで、確か昨年の7月のことだったと記憶している。

世の中は狭いもので、その「幸せ列車」のトップページに著名な女性画家のリンクボタンが紹介され、その方が気仙沼の女性のご主人のお姉さまだったというのだから驚いた。

そんなところから気仙沼に立ち寄ることになったが、大阪の味をと昨年から始められた軽トラックとレジャーテントだけの「たこ焼き店」が大きな話題を呼び、明後日の午後6時放送のテレビ朝日「人生の楽園」でも放送されることになった。ご主人が地元で復興につながる元気なパワーを発揮されている。店名は「なにわのたこよし」だが、ますますのご活躍を祈念申し上げ手を合わす。

今日の夜、そんな彼女から電話があり、再会した際に私が話した半世紀前の思い出の「醤油味」のたこ焼きにも触れており、今日の朝日新聞にも採り上げられたと教えてくれた。

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