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社葬の形式変化から  NO 3564

大阪の地下鉄御堂筋線は堺市方面の「中百舌鳥(なかもず)」から天王寺、難波、梅田、新大阪駅を経て北急行線として千里中央駅まで結んでいる。

各駅に着く前に「次は」とアナウンスが流れるが、数社の案内CMが流れて「次の駅で降りてください」と案内される。

御堂筋の心斎橋と淀屋橋の間に「本町駅」があるが、この駅の案内には「浄土真宗 南御堂・北御堂」という言葉も入る。南御堂は真宗大谷派の大阪別院で果たして「浄土真宗」という言葉に続いて問題ないのだろうかと考えてしまった。

30年前の時代に大阪で大規模な社葬の式場の代表格が南御堂と北御堂だった。それが一流企業、大企業を象徴するような選択で、暑い時でも寒い時でも2時間という葬儀告別式が執り行われていた。

今なら密葬義を終えてから本葬儀を行う式場はホテルが潮流。そこに宗教者を招くことも少なく、「偲ぶ会」や「お別れの会」という形式となっている。

20世紀の終盤の頃、そんな時代の到来を予測して発想したのが「告別献花式」で、宗教者に務めていただくケースと無宗教形式の選択が可能となっていたが、しっかりとした「儀式」ということだけは忘れないようにしていた。

単なる「会」として「司会者」が担当するのは故人に対して失礼で、人生最後の重要な「式」だから「司式者」が担当するべきというのが持論で、それらの実践は施主、宗教者、参列者から大きな賛同を頂戴した歴史もある。

正直に言って司式者的な司会を担当出来る葬儀社は皆無だろう。ゼロから流れを発想してオリジナル形式で式次第を構築し、そこで進行するアナウンスコメントも今まで誰も発想もしなかったものを実験的に行ってみたら、その反響を想像もしなかったほど歓迎され、参列された方々のご体感から遠方からご依頼をいただいたことも少なくなかった。

「会場空間」を「儀式空間」として神変させることも式次第に組み入れ、それらも宗教者から歓迎と賛同を頂戴することになったが、最近のホテルが提供している「偲ぶ会」や「お別れの会」はホテルが得意としていた「おもてなし」と「飲食」を重視し、最も重要な儀式とという部分が不得意だったところから「第一部」が薄らぎ「第二部」だけが流れとなってしまっており、参列者から「こんなことなら無駄」という言葉さえ出るようになり、やがては減少して行く傾向にあると断言するところである。

受付がある。そこで芳名帳に記入したり名刺を差し出して会場へ行くと、ホテルスタッフが立っていて「ご献花を」と一輪の花を手渡される。大きいご遺影の飾られた立派な祭壇があるが、その前の献花台に奉呈すると次の会場に移るように促される。そこに入るとすぐにウェルカムドリンクが出て来て故人の思い出話となれば幸いだが、故人と直接交流のあった人は少ないよう。ビジネスの関係から義理的に参列したが、施主側も義理的に施行しているケースもあるので寂しい限りだ。

ある地方の葬儀式場が車の中からお別れ可能という「ドライブスルー型」の形式を提案して話題を呼んでいるが、それこそ「お笑い的」な発想だと指摘したい。故人に失礼なことをしないのが終焉の儀式で最も大切にしたいことだからで、葬儀とは誰のためのものかを真剣に考えたい。

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