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思い出が形見に  NO 3492

大阪市内の住居の17%トが空き家だそうで、我が生野区は21%で第1位、第2位が20%の西成区というニュースがあった。

生野区と西成区の一部は戦時中の空襲被害が少なかったからだそうだが、崩壊寸前の空き家や、粗大ゴミを捨てに来るケースも多いそうで、不審火事件も発生しているところから様々な問題が表面化している。

そんな中で気になったのは、近所の人達が心配になって役所に要望していたことで、役所が権利者を調査しても見つからないことも少なくなく、見つかって対処を伝えてもそのまま放置されている問題だった。

解体するにしても費用が掛かることも事実だが、条例が適用されて一部の補助金規定があるそうで、一度は確認をされるべきだろう。

さて、日本で一番長い商店街として知られる天神橋商店街の自転車通行が規制されたニュースもあったが、知っていても走行している人達のインタビュー光景に簡単ではない複雑な思いを抱いた。

弊社の式場である西館のすぐ近くに源ヶ橋から林寺、生野東、舎利寺、田島に抜ける1キロぐらいの商店街があるが、五つの振興組合が組織されている中、自転車通行に関して随分前から啓蒙していた歴史があるが、今でも走行している人達が多い。

自転車と歩行者の衝突事故で、重傷のケースやお気の毒に亡くなられた出来事もあり、民事裁判で「5000万円」や「1億円」の賠償というニュースもあったが、保険に加入している自転車は数少ないと思われ、いつどこで加害者か被害者になるか分からないので気を付けたいものである。

全国的に商店街の空き店舗の問題が浮上している。近くの商店街でもシャッターが下りたままというところが増えているが、後継者の問題や大型スーパーやコンビニの登場で閉店した店舗も多いそうである。

活性化について様々な取り組みをされているようだが、その解決策はなかなか難しいようで、このままではどうなるのだろうかと心配している。

生野本通商店街もかつては賑わい、自転車で走行するなんて出来ないぐらいの人通りがあった。「三丁目の夕日」の時代には午後10時過ぎまで開店していた店舗もあったし、源ヶ橋と疎開道路の間には公設市場も存在していた。

そんな商店街を歩くと最近に目立って多いのが整骨院で、次々に改装していると思っているとオープンするので高齢社会を改めて認識させられるが、そんな私も過去にはあちこちにお世話になったこともあった。

昔、商店街が中心になって「釣りの会」と「ゴルフの会」を組織されていた。どちらも誘われて入会していたが、随分前に寂しくも解散されてしまい、当時のメンバーも皆さんがご高齢になっている。

そんなメンバーだった方の葬儀を担当すると、同窓会みたいに昔話に花が咲くが、そんな時代をご存じでなかった息子さんや娘さん達から往年の出来事について「もっと知りたい」と聞かれることも多い。

同好の誼という言葉があるが、同じ趣味で共に行動していた歴史は間違いなく人生の1ページで、葬儀とは思い出が形見となる儀式でもある。

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