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昔の思い出から  NO 3340

 弊社では白木の祭壇を随分昔から一切使っておらず、すべて「ゼロ」の状態から花を使った設営となっている。

女性と男性の異なり、また年齢の違いによってデザインや色合いを考慮するのは当たり前だが、そこにご家族から拝聴する「個人情報」ならぬ「故人情報」が重要となって来る。

 遠い昔、誰もが驚く白木の祭壇を別注して話題を呼んだことがあった。それは、ご遺影を抱く写真台から五具足、盛り物台まで全てを観音様で創作するという発想で、制作を担当してくれた会社が彫刻の担当者を何度か伴って来社。イメージを打合せ、やがて納得した設計図によって完成に至った。

 この時の発想の原点になったのは「観音」という言葉の意味。「音」は見えない世界であり、「観」は「視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚」の五感と「目・耳・鼻・舌・皮膚」の五官に併せ、そこに「心」を加えた世界で、はっきりと感じ見えるものを表現したかったからである。

 とは言っても設営可能な宗教は限られてしまうのだが、幼い子供達が祭壇の前で静かになって自然に手を合わせ、「お婆ちゃん、仏様になったんだ」という言葉が自然に生まれる環境を与えたことは予想外のことであった。

この「六感」や「六大」「六法」など「六」の付く言葉が山ほどあるが、昔に書いた小説「あの世の旅」の中で、主人公が三途の川で出会った「奪衣婆」と「懸衣翁」との会話のやり取りの中でもこの「六」に関して触れ、「宿六」や「ろくでなし」という言葉まで書いたことを思い出した。

ネット社会になってややこしい業者が裏面を隠して表社会に姿を見せるようになった。我々の業界も例外ではなく、大手流通グループなどのピンハネビジネスも登場している。お客様の利益ではなく、業者を下請けにして自分達が高額な紹介手数料で営むというシステムだが、過去にはお布施までパックやセットで料金として表記したのでクレームが生じ、撤回するという恥ずかしい出来事も話題になっている。

 下請けを契約した業者も後悔しているところが多くて気の毒だが、もっとお気の毒なのはそんな業者に担当される悲劇である。どんな世界でも「偽物」と「本物」の区別が判断出来なければ被害を蒙るのはお客様である。会長という立場で哲学として重視している言葉は「加害者になるな」「被害者になるな」だが、これは私がこの世を出立するまで不変である。