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ご逝去を知って  NO 3559

ゲゲゲで知られる「水木しげる氏」がご逝去された。鳥取県へ行った時に氏の作品の伽羅や列車も走っていたので印象に残っているが、戦前、船中、戦後を見事に生き抜かれた偉大な人生に心から手を合わせよう。

小学生時代に紙芝居がいっぱいあった。その中に今で言うところのホラーになるが「墓場の鬼太郎」という物語があった。紙芝居はオジサンが絵を捲りながら言葉で聞かせてくれるものだが、「コケカ・キーキー」という泣き声が無性に怖かったことを憶えている。

小学生3年生ぐらいだったと記憶しているが、自転車のオジサンとオートバイで来るオジサンの2人の紙芝居があったが、幾つかの続き物の作品とクイズみたいな物があったが、どちらも私は発言を禁止されていた。

それはクイズの回答をいつも一番早く答えていたからで、正解だったらお菓子や水飴が貰えるので嬉しかったが、仲間がオジサンに私を答えさせないようにと皆で団結した出来事があったからである。

当時に記憶しているのが製菓メーカーだった「カバヤ」がカバのスタイルの車を走らせていたことや、ロバが屋台を引っ張って音楽を流しながらやって来る「ロバのパン屋」のことである。

屋台の後ろに並んで付いて行ったこともあったが、やっとテレビが登場した頃だった。

当時の「きつねうどん」は30円。近所に貸本屋さんがあってその奥に鉄板でお好み焼きをやっており、何も入っていないお好み焼きが5円だったことを憶えているが、その隣に卵を販売していた店舗があり、小さな物から大きな物まで10円から14円だったので卵の物価は変わっていないように思える。

テレビ番組「人生の楽園」に登場された気仙沼の「なにわのたこよし」さんのことはこの「独り言」でも紹介したが、その中で出て来た醤油味のたこ焼きを話しをしたのは私で、忘れられない美味しい思い出がある。

当時の「たこ焼き」は10円で8個もあったのだから信じられないが、その対極を体験し他のが東京に在住する友人が連れて行ってくれた銀座のクラブで、「この人、大阪の人。何か食べる物を出して上げて」から出されたのが5個の「たこ焼き」で、それで3500円だったことを知って1個700円なのだから衝撃を受けた。

その時に友人に「銀座だからウイスキーやブランデーで高額なのは仕方がないが、たこ焼きであれはないだろう」と言うと、彼が「それが銀座だよ」と返されてその話は進展しなかった。世の中様々ではないか。