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思い出したこと  NO 3507

兵庫県で山火事が発生、山陽自動車道や播磨道が通行止めになり、大規模な消失となってようやく鎮火したニュースがあった。

原因はバーベキューで使用した炭火の灰を捨てた所から発声したみたいだが、炭の習性を理解していなかった過失からと伝えられていた。

葬儀という仕事に携わって「炭火」というものには苦労させられた体験がある。冷え込みの厳しい時期に炭火による参列者への暖房が不可欠で、ガソリンスタンドに頼んで入手したオイル缶を溶接所に依頼して鉄材の足を付けて貰い、一部に口を開けるように穴を作って貰ったものだが、確かに暖かくて重宝していたが、提供する側の責任として完全な消火が不可欠で、お客様が帰られた後始末が大変だった。

当時はご自宅やお寺が式場というのが大半で、その後に地域の会館が登場したが、式場外の暖房は欠かせない重要なもので、受付を担当される方々から「夕方には寒くないようにしてくれ」というのが常識だった。

炭火は始末が大変で、その代替策の一環として考えられたのが固形燃料だった、旅館の夕食に見掛けられる青い色の可燃物だが、それを単体で燃やしても然程暖房効果につながらず、円筒形の鉄のボックスも必要だったし、安全のために周囲に金網をセッティングする作業も仕事の一つとなっていた。

炭火の消化は担当責任者の責務としていたが、徹底的に水を掛けて鎮火するのはもちろんでも、水が流れた後の汚れも大変だったし、持ち帰った消し炭を乾かす仕事も苦労があった。

やがて大きな消壺みたいな物が考えられたが、安全性を考えると水没させて完全消火に勝ることなく、手間でも原始的な作業が我々葬儀社の仕事の一つとなっていた。

その後に大型の石油のファンヒーターも登場したが、静寂なイメージを重視したいのに騒音による環境破壊が著しく、なるべく離れた場所で使用するように配慮していた。

今では大半のお葬式が専門式場という空間だが、全天候型の環境をご遺族と共に参列者が共有されることは何よりだし、我々スタッフも肖れるので有り難いことだ。

何度もホテル空間を式場として利用させて貰った歴史があるが、特別な場合はホテルの音響システムを使用せず、プロスタッフによる音響と照明をプロデュースしていたことも多かった。プロデュースとはキャスティングが何より重要で、そこで「これぐらいでいいか」なんて妥協すればプロの仕事ではなくなってしまう。そんな拘りが弊社の式場の音響システムの具現化につながっている。