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あの日、あの瞬間(とき)  NO 3452

 昨夜、BSテレビで昭和の偉大なスター「石原裕次郎さん」の特集を放送していた。解離性大動脈瘤という大変な病気で、大手術を経て退院された歴史もあるが、彼はスターの中のスターという別格の存在でもあった。

 そんな大スターのことで思い出すのは割烹をやっている友人のこと。彼が常連客から「休みの日は何を」と質問され、横にいた板前の一人が「いつも石原裕次郎さんの歌ばかり歌っていますよ」と答えたら、その人物が突然電話を掛けると言われて「石原裕次郎さん」と話され、「今度大阪に来た時に一緒に来る」と言われて帰られたそうだが、その数日後、本当に「石原裕次郎さん」が奥さん同伴で来店、ご本人の前でアカペラで「夜霧よ今夜も有り難う」を歌うことになったというのだからびっくりである。

 その体験は彼の人生の宝物となっているが、それにしても52才という若さで亡くなられたことは残念である。

 私の青春時代から大スターとなっておられたが、いつの間にか彼の亡くなられた年齢を通り過ぎて現在に至る自分の不思議さに手を合わせてしまう。

 遠い昔に観た映画、また耳にした歌の旋律など、つい昨日のように思い出すことが出来るのも不思議なことだが、そんな出会いが人生アルバムのページになっているようである。

 午前中に行われていたお葬式に参列、3人のお寺様のご読経が心地よい。故人の為人を語るナレーションを聞きながら、お元気な頃のお姿を思い浮かべていた。

メモリアルコーナーに思い出のお写真と共に遺作となった「ちぎり絵」の作品が並んでいたが、「晩年はちぎり絵を・・・」と掲載されていたコメントだが、「ちぎり絵」の鍵カッコが必要だとアドバイスしておいた。

 葬儀が始まってからロビーの受付の所で座っていたら、受付の皆さんから次々に質問があり、常日頃から抱いておられた素朴な疑問の解説のひとときとなった。

 受付の皆さん全員は顔馴染みがありそれぞれにつながりもあるので、最後に「私が逝ったら送ってね」とお願いしておいた。

 ご親戚がご多数なのでマイクロバスが2台も入っている。午後のお葬式には行けなかったが、東に向かって手を合わせた。