記事一覧

明日は分からないが  NO 3448

 これまでに何度か書いたが、今日あることは幸運であると考えたい。利用した飛行機や列車が事故に遭遇することがなかったことも幸運だし、道路を歩いている時に車が突っ込んで来なかったことから今日がある。

 車を運転していて前方から走行して来る車の運転手が急な疾患になったら大変だし、自分がそうならなかって被害者を出さなかったこともラッキーである。

 あちこちに高速道路が建設されるのは便利になって歓迎されるが、総合的に完成するまで片側一車線の対面通行区間が多く、センターラインにポールが間隔を置いて並んでいる道路を何度も体験し、擦れ違う車が酒気帯びや居眠り運転だったらといつも恐怖感を抱いていた。

 四国を走る「松山道」や「「高知道」もそうだし、山陽道と中国道を結ぶ「岡山道」や和歌山から南紀に向かう「阪和道」にも存在している。

 長野県の更埴ジャンクションから軽井沢方面へ向かうトンネル内にもそんな区間があったことを憶えているが、振り返って考えると心から今日あることが幸運であると思える。

 そんな対面通行の道路での正面衝突で死亡事故というニュースがあった。北海道の「道東道」だが、中央分離帯があれば正面衝突という最悪のケースには至っていないと考えられる。

 自動車の運転には互いの「信頼の法則」という考え方があるようで、運が悪ければ事故になるという考え方は恐ろしく、こんな道路がなくなり、少なくとも中央分離帯が設けられることを願っている。

 生活している地で大地震や津波に遭遇することがなかったから今日がある訳だし、過日の台風被害のような事象の被害者にならなかったことに手を合わせる姿勢も重要だろう。

 アップルという会社の歴史で絶対に欠かせない人物「スティーブ・ジョブス氏」は56才という年齢で亡くなられたが、彼は若い頃にインドを旅行されて仏教に傾倒されたことがあったそうで、あの有名な学生達への演説の言葉にもそんな影響があったように思える。

 今日という日が人生最後の日だと考えてその日を過ごすと、人は何をするだろうか?というように問われる言葉もあったと記憶している。

「命」に関する言葉に「余命」「運命」「定命」「寿命」などがあるが、せっかくこの世に生を享けたなら、与えられた「命」が尽きるまで「命」を「使」う「使命」という言葉を大切にしたいものである。