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海と空  NO 3426

 銭湯のお気に入りの温めの湯の入りホッとしながら、挨拶の内容を考えていた。明日は結婚披露宴に出席、ちょっと祝辞を頼まれているので大変だ。こんな変な声で申し訳ないが、何とか伝わるように頑張ろう。

 随分昔のことだが、友人のお父さんがご逝去され、和歌山県の実家でお通夜と葬儀が行われるところから、4人の仲間と一緒に弔問に行くことにした。

 高速道路を降りて国道を南下、当時はナビなんてものはなく、助手席の友人が地図を見ながらナビの役を担当してくれた。

「次の信号を左だ」と言われた場所は川に沿って山側に進む道。その頃には日が落ちてヘッドライトを点灯する状況だった。

 真直ぐだった道がやがて曲がりくねるようになり、暗い中でも確認出来たのは川幅が随分と狭くなって来ていること。そう思い出した頃から坂道となり、国道から40分ほど経った頃にやっと到着。駐車場はもちろんなく、狭い道路の山側に停めて急な坂道を上がって式場へ行った。

 次の日、葬儀にも同じメンバーで参列したが、前日に暗い中で走行した道の恐ろしさは尋常ではなく、よくぞこんな所へ来れたものだと全員が驚く程だった。

 葬儀はその地の慣習で進められるものであり、我が大阪の式次第とは全く異なるものだったが、地元のオジサンが進行係を担当され、それはそれで温かみのある葬送となっていた。

 ご出棺を見送って車に戻る途中で空を見たら、周囲は山に囲まれていて狭い感じ。喪主となった友人が幼い時代のことを話していたのを思い出した。

「俺ね、山奥の田舎で生まれて育ち、小学校5年生の遠足で海を見るまで海を知らなかったし、空がこんなに広いとは知らなかったのよ」

 そんな言葉を耳にしても、実際に体験しなくては分からないものだが、帰路の車中はそんな話題だったことを憶えている。

 車も電車もない時代、山奥で生涯を過ごされ、海がどんなものかも知らずに旅立たれた人も多かっただろうし、東南アジアの人達が日本へ来られて雪を見て喜ばれるニュースを目にしたことがあるが、テレビで世界中の文化遺産の存在まで見ることが出来る現在の世に、もっと喜ばなければと考えたいものだ。