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具現化に向かって  NO 3422

 弊社が加盟する協会の活動について、過日に陳情の郵送物を知られる議員の事務所に送付したら、秘書の方から電話を頂戴し、感銘を受けたというお言葉を頂戴して恐縮した。

 このコラムでも何度か書いたが、殺伐とした社会の現実に「命の教育」「あの世の教育」の必要性を訴え、悲しい事故や事件の葬儀を体験した葬儀者達が集い、まずは「飲酒運転の撲滅」を提唱し、将来に起きるであろう大災害に備えて「病院船」「火葬船」の建造を願望したものだが、これまでに話した全ての方々から賛同の言葉をいただき、実現に向けて活動の一歩目を始めたら、政治に直接携わる立場の事務所の方から冒頭の連絡があったので改めて責務の重要性を認識した。

 葬儀に携わる立場だからこそその悲しみの光景を何度も体験した訳だが、同じ非日常的な儀式でも、事故や事件の被害者のお通夜や葬儀は誰もが体験したくないもの。それらを減らすにはまずは「飲酒運転の撲滅」と発想したのだが、同時に「命の教育」「と「あの世の教育」の重要性に至ったのである。

 毎日報道される交通事故の中に「飲酒運転」を原因とするものが少なくない事実に愕然とするが、自分や自分の家族が被害者になったらと考えると堪らないし、悲しいお通夜や葬儀の光景を一人でも多くの人に知って欲しいと訴える行動は極めて当たり前で、我々葬儀社が提唱するところに強い説得力があるように思っている。

 数日前の号に書いたが、免許証の更新で安全運転の講習を受ける際、悲しみの通夜や葬儀の光景を映し出す映像を目にするだけで飲酒運転が少なくなると想像するし、安全運転を励行する人が増えるように思えてならないのである。

 それがどうだろう、誰も読まないような冊子を配布され、現在の交通事故の件数などを講義されても大半の人が義務的に受講しているような感じ。もっとビジュアル的にインパクトのある講習をしなければ意味が薄いと思ってしまう。

 我々の協会の研修会で学んだことだが、葬儀社は「遺族」の悲しみを理解しようと尽力し、少しでも「不幸でない」ひとときをプレゼント出来たらと取り組んでおり、そこで研鑽する内容に終点はないと謙虚に進んでいる。

 大阪の葬儀では遺族側の謝辞を司会者が代行するケースが多いが、「遺族、親族に成り代わりまして」なんて言葉を発している司会者もいるが、これほど僭越過ぎる言葉はなく、司会者が逆立ちしても「成り代わる」ことは出来ないことを知って欲しいものである。